願成寺メールマガジンのより充実そして何よりも継続のため、観智院の土屋正道上人の応援を仰いだ次第です。8月号より10回に渡って特別寄稿を頂戴いたすこととなりました。上人と仏縁をいただいたことが嬉しく思える、お会いいたして癒される上人の人柄に惚れてのお願いであります。ぜひともお読みいただき、人の輪に加わってほしいと思っております(願成寺住職 魚尾孝久)。

 先日、7歳の娘を連れて、東京の高尾山を訪れた。前に一度つれてきたことがあったが、その日はバスに乗って裏側の上り口から山道に入った。「高尾山はどこにあるの?」娘は小さなリュックを揺らして私に聞いた。「ここが高尾山だよ。山を登っているときは、その山は見えないんだ。」と娘に話しながら、"大切な何か"を娘に思い出させてもらった。

 今から10年以上前、12月の半ばに、友人と東京の増上寺から京都の知恩院まで歩いたことがある。東海道53次を12泊13日。願成寺さんを訪れたのは、3日目の夕刻であった。ご住職が自ら焼いたビフテキでおもてなしをしてくださったことが今でも忘れられない。
 その日の明け方、小田原を出発。三島まで43kmの道のり。初めての「箱根越え」に不安は募った。箱根の旧道に入る頃には小雪がちらつくようになる。石畳は長い年月に磨り減り、濡れて滑った。足を痛める人、ペースダウンをする人が相次いだ。「果たして峠を越えられるのか?あと何キロあるのか?もし、怪我をしたらどうなるのだろう。」不安が頭をよぎり、薄暗い木陰の道はどこまでも続くように感じた。自然に念仏の声が漏れるようになる。その声に励まされ足を運ぶうちに「なるようにしかならない。」と気持ちが落ち着いてきた。
 やがて目の前が急に明るくなる。不意に木陰がとぎれ、空から陽がさしてくる。雪はいつの間にかあがっていた。峠を越えて海に向かう。なんと気持ちがいいのだろう。静岡側に入ると景色も陽気も一変していた。下りだから当たり前なのか、足取りも軽い。海が見える。箱根を越えた実感が湧いてきた。

 「モモ」という物語をご存知だろうか?ミヒャエル・エンデが書いた「時間どろぼうと ぬすまれた時間をとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」である。その中に掃除夫ベッポの言葉が載っている。道路の掃除を彼はゆっくりと、でも着実にやる。
「とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードを上げてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。」
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな。たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。」
「これがだいじなんだ。」
 
 山を登っているときは、その山は見えない。だからいい。
極楽浄土も見たことはないが、仏様のお救いを信じて、ひと息ひと息、念仏を称えながら、ゆっくり足を運んでゆく。娘の小さな背中を追って山道を登りながら、私は「高尾山」と一つになる喜びを感じていた。そして、娘もいつか私の喜びを感じてくれることを信じている。
                                観智院  土 屋 正 道


 いずれの帝の時であったか、すでに故人となった大納言の女(むすめ)が入内(じゅだい)した。賜った住まいは淑景舎(しげいしゃ)で、桐樹が前庭にあったことから俗に桐壺と呼ばれた。皇后や妃などが住む後宮には、上席の者の住む承香殿をはじめとする7殿と、下の者の昭陽舎をはじめとする5舎の12殿舎あるが、その女の淑景舎は最も奥の北側であった。帝の住まいである清涼殿から一番遠いところに位置しており、一般的にはその存在感の薄いものであった。
 その局の名を冠して桐壺更衣と呼ばれた。

 父親大納言はすでにこの世にはなく、兄は出家をしており、わずか母親だけの後見であり、また親や夫の身分でその女たちの地位の決まる時代にあって、大納言は後宮においては決して高い身分ではなかった。与えられた地位は更衣と呼ばれ、皇家や摂関家から入内してくる女御の次位であったからである。

 物語は、そんな桐壺更衣が帝の特別な寵愛を受けるところから出発をする。朝夕の宮仕えにつけても、我こそはと自負する女たちの嫉妬や蔑(さげす)みが、目に余るものであったことはいうまでもない。
 こうした嫉妬のためであろうか、桐壺更衣は病弱となり里がちであった。後宮に出仕するものは、病気になるとすぐに里下がりを命ぜられるのが常であった。病気が帝にうつることが懸念されたからであるが、帝は不憫に思われなかなか里下がりを許可せず、世の中の話の種になるほどのご寵愛ぶりであった。
 側近の上達部や殿上人たちは目を背ける有りさまである。

 唐土でも、玄宗皇帝が楊貴妃を溺愛して国政を怠ったことから、安禄山の乱により世の中が乱れることとなった例も引き合いに出された。桐壺更衣は、ますます心細い思いであったが、帝のみ心ばえを頼みに宮仕えするのであった。

 こうした桐壺更衣に光かがやく男皇子が生まれる、光源氏の誕生である。(つづく)


                           天主君山現受院願成寺住職                                   
魚 尾  孝 久

 

                       「青表紙本源氏物語」 新典社刊  

 


                                住職挨拶  

 

                      表彰された 波多野 よね さま  

 

                        表彰された 渡辺 りん さま  

 

 昭和63年9月より、願成寺文学講座と銘打って『源氏物語』の講読を始めました。少しでも紫式部の時代を味合うために、写本(「青表紙本源氏物語」、新典社刊)での講読といたしました。最初はいわゆる変体仮名を読むのに戸惑いがあったようですが、今では全員で声を出して読むところから始まります。

 月2回の講座ですが、この6月には300回の回数を重ねることができました。そこでこの十数年の継続を讃え合い、また500回、1,000回を目指して頑張ろうと三島プラザホテルを会場に、「300回祝賀パーティー」が開催されました。
 全部読み終えるには、まだまだ30年ほどかかりますので、健康で頑張りますことを互いに誓い合ったのであります。

 式典では、初回よりほとんど休むことなく今日まで出席しております波多野よねさん(92歳)と渡辺りんさん(89歳)が、最優秀受講生として表彰されました。
                               (写真提供 前島芳彦氏)

 


 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。


                           天主君山現受院願成寺住職                                   魚 尾  孝 久

 

本メールマガジンがご不要な方は、下記URLから講読解除できます。

http://ganjoji.com/mlmaga.html (解除・退会)

 



 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。


8月のお盆棚経

 お盆の棚経は、「ご自宅へ伺っての棚経」 と 「お寺での棚経」 とがあります。7月下旬にハガキにてご案内申しあげますので、ご希望をお知らせ下さい。

「ご自宅での棚経」
8月13,14,15日のうちお伺いする日を連絡します。
「お寺での棚経」
8月13日(金)11時、本堂へ。
前日までにお電話で連絡をお願いします。

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土い返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。