願成寺メールマガジンのより充実そして何よりも継続のため、観智院の土屋正道上人の応援を仰いだ次第です。8月号より10回に渡って特別寄稿を頂戴いたすこととなりました。上人と仏縁をいただいたことが嬉しく思える、お会いいたして癒される上人の人柄に惚れてのお願いであります。ぜひともお読みいただき、人の輪に加わってほしいと思っております(願成寺住職 魚尾孝久)。

 夏に7歳の娘を連れて渓流釣りに行きました。本格的なものではありません。養殖のニジマスを放流した"観光渓流釣り"です。釣り針にえさのイクラをつけて糸を流れの底に垂らします。魚影が見えてもなかなか食いつきません。1時間かかってやっと私が一匹。娘は何度もアタリがあるのですが、いまだに釣れません。もう時間ですが「まだえさがあるよ。もう少しやろうよ。」娘は眉間にしわを寄せて帰ろうとしません。しかたがありません。時間延長です。ところがさらに25分粘ってもかかりません。あと5分というところで私にヒット。すぐに彼女に竿を渡します。「引いてる、引いてる。丁寧に取り込んで!」祈る気持ちで彼女が釣り上げるのを待ちました。
「釣れた!釣れたぁ!!」娘は本当にうれしそうな笑顔です。魚は針を深く飲んでいて、針を抜くと程なく絶命しました。
 
 私も中学校までは友人とよく釣りに行っていました。近所のフナ釣りから、東京湾のスズキ、カレイ。江ノ島で小型の黒鯛やメジナも釣りました。やがて高校に進学し自然と釣りをやらなくなった時のことです。愛媛県の壬生川という町に行きました。そこで古くからの念仏信者で、釣具店の主人をしていたBさんに訊ねられました。
「正道さんは釣りをやるかね?」「中学まではやってましたが、今はしてません。」と私が答えると、口数の少ない、物静かなBさんはポツリと言いました。
「釣りは、……できれば、………やらんほうがいい。」
「………。」
 釣具屋のご主人に、「釣りはやらないほうがいい」といわれたのです。私はとても驚き、なんと答えたらいいのかわからず、困ってしまったことを覚えています。

 Bさんは、小豆を湯飲みから湯飲みに移して数を数え、いつも念仏に励んでいらっしゃいました。そのBさんが私の祖父観道上人に出会った喜びとともに、なぜかご自身の神秘的な宗教体験を私に話して聞かせてくださいました。大変まじめで物静かな方でしたが、その時には顔が輝き、とつとつとしゃべる言葉が喜びに満ちているように感じました。

 その後Bさんは90歳を越えるまで元気にお暮らしになりました。Bさんの葬儀にうかがったとき、私は30代半ばになっていました。
「ありがとうございました。若いときに、いのちをもてあそばない様に、戒めてくださったのですね。もうそろそろ、いいですよね?また釣りを始めてみようかと思います。」
と、焼香をしながら、心の中でBさんに話しかけました。
 人間が「しめた!」と思うときは、魚は「しまった!」と思うときです。
Bさんはそのことを私に考えてもらいたかったのかもしれません。

 ニジマスを釣った晩、串にさして炭火で焼いて食べました。娘は得意そうにかぶりつき、ペロリと獲物をたいらげました。もうすこし大きくなったらBさんの話をしてあげたいと思っています。                    合 掌

                                 観智院  土 屋 正 道

 


 先日、京都百万遍にある知恩寺に参拝させていただいた。浄土宗の大本山であり、百万遍の大きな数珠があることで有名であり、2寸ほどの玉が天井から吊されている光景は壮観でもある。
 1331年(元弘1)後醍醐天皇の勅により知恩寺8世善阿空円上人が、7日間にわたって念仏百万遍を修したところ疫病が終息し、その功績に対して天皇から「百万遍」の寺号と「弘法大師利剣の名号」を賜ったという。以来、百万遍の念珠の寺として、今日まで庶民の信仰の場となっている。
 百万遍のお念仏とは、10人が1080個の大数珠を100回まわすというところから、百万遍念仏の儀式が成り立っているのであるが、大勢の人々が多くの念仏を唱えることによって、その念仏の功徳が融通して百万遍とするのが一般的であろう。
 
 数珠とは本来どのようなものであろうか。平凡社百科事典に次のようにある。
   糸や紐に金属や玉石,種子,香木などで作った小玉を連ね通し
  て一環としたもので,仏号(念仏)を唱えたり,真言,陀羅尼(だらに)
  を唱念する回数を数えたり,仏を礼拝するときに手に掛け,つま
  繰る法具。古代インドのバラモン教で用いられていたものが,2〜
  3世紀ごろ仏教徒の間にとり入れられたともいわれている。また当
  初は僧たちが日数を繰るために所持していたのがその起源ともい
  われている。日本には仏教伝来後さほど日を経ずしてもたらされ
  たと考えられるが,722年(養老6)の〈法隆寺資財帳〉にすでに
  〈誦数〉の名前がみえ,正倉院宝庫には奈良時代の数条の〈誦数〉
  やそれを納める数珠箱が伝存している。平安時代の初めごろより
  密教の伝来によって,真言を数多く念誦する修行法が盛んに行わ
  れるようになってからは,数珠は修法に必須の法具となり,多用
  されるにいたった。また称名念仏の流行,多数作善業(たすうさぜ
  んごう)の盛行は寸暇を惜しんでの念仏や真言念誦の回数を誇る
  ようになり,常時身に持つ法具として僧俗を問わずなれ親しむもの
  となるにいたった。(抜粋)

 数珠は袈裟とともに仏事の必須アイテムとなっているが、一言でいえば、お念仏や真言をお唱えする時の数取りをする「ソロバン」といえよう。玉の数は、108の煩悩になぞらえて基本的には108珠である。その半分の54珠のもの、またその半分の27珠、さらに42,36,21,18,14珠のものがある。一般には数取りよりも仏事の必需品として象徴的なものとなり、108の4分の1である使い勝手のよい27珠の数珠が用いられているようである。最近では腕輪念珠として腕にフィトさせた念珠が若い人たちにも流行しているが、アクセサリーとしての意味合いが強いようで、一部では形骸化している感もある。

 我が願成寺でも、昭和49年法然上人の浄土宗開宗八百年を記念して、百万遍の数珠が制作された。十夜法要などで大きな数珠を廻しながら追善供養や諸祈願をしている。
 制作にあたっては 檀信徒の皆さんの多くの結縁をいただき、108の5倍の540個の珠が集まったが、大変な問題が生じた。540珠に紐を通すと本堂より大きくなってしまい、本堂を建て替えなければならなくなってしまったのである。やむなく270珠を2連とも考えたが、道具である以上使い勝手のよさから340珠と200珠とした。
 玉のひとつひとつには、お檀家さん一人ひとりの願いが込められている。作られたときには単なる桜の木のボールであるが、お檀家さんの願いが込められたとき珠となったのである。

 百万遍知恩寺に参拝してから、数珠を手にすると何か重みが変わったようだ。この重みを大切にしたいと思う。
 時がたつと薄れてしまう心配があるが、そのときにはまた百万遍知恩寺に参拝しようと思っている。

                         天主君山現受院願成寺住職                                 魚 尾  孝 久

 

                         知恩寺山門

                                    大殿

                                    念珠繰り

                                  利剣名号

                             願成寺百万遍数珠T

                              願成寺百万遍数珠U

 


 

(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

 桐壺更衣は、ほかの女御や更衣たちの嫉妬や蔑みのためであろうか、ますます病弱とななっていった。

 後宮の女たちは、病になると里下がりが命ぜられるのが本来であった。帝に病気を移してはならないからである。しかし、日ごろから桐壺更衣の病弱に目慣れた帝は、退出をなかなかお許しにならなかった。ますます重くなり、里の母君からのお願いで、やっと若宮を宮中に残しての退出となるが、正体を失った更衣に輦車の宣旨(てぐるまのせんじ、宮廷内で手車に乗ることを許す宣旨。春宮・親王・大臣・妃・夫人・内親王・命婦・女御・大僧正・護持僧などに許した。)をあたえ、今すこしの宮中での生活を命ずるのであった。
 更衣の死期が近づいていることはだれの目にも明らかであり、いま退出したならばもう二度と会うことがかなわないことは帝にもわかっていた。
 
 死出の道もともにと契った仲であったが、后妃といえども宮中での死は禁忌であったので、やむなく退出を許可せざるを得なかった。
 
   かぎりとて 別るる道の 悲しきに
     いかまほしきは 命なりけり
    (今はもう別れなければならない死出の旅が悲しく思われるにつけ
    ても、生きる道を行きとうございます。桐壺更衣)

 里からは、「今日から始めることになっております祈祷の験者(げんざ)を迎えておりますので」と、お急ぎ申しあげるので退出をお許しになる。

 帝からのお見舞いのお使いが行き帰る間もなく、「夜中すぎるほどにお亡くなりになりました」との連絡に、帝は分別をうしないご自分のお部屋にお籠もりになられてしまわれた。
 そして帝は若宮をこのまま宮中に留めおきたかったのであるが、喪中のものが宮中におられるのは許されないことであったので退出となられる。若宮は、何がおきたのかもわからず、帝もただただ涙され、お仕えする人々が泣き惑うのを不思議に思われた。
 母親との死に別れは普通であっても悲しいことであるのに、母の死を判らぬ若宮のお姿は哀れこのうえないものであった。           (つづく)

                             天主君山現受院願成寺住職                                 魚 尾  孝 久

 


 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。


                          天主君山現受院願成寺住職                                魚 尾  孝 久

 

 

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http://ganjoji.com/mlmaga.html (解除・退会)

 



 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 

十夜法要のご案内

 本年もお十夜の季節となりました。一日ではありますが、ご先祖のご供養とともに、み仏の教えにふれますよい機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい。
 お檀家の皆さまには、10月下旬に郵便にてご案内申しあげます。

日   時
11月21日(日)13時より
会   場
願成寺 本堂
塔婆供養料
3,000円
申 込 み
電話、FAX、E-mail (前日までに)

 

お念仏と法話の集い

 季節が移り変わるなかで、ふと日々の生活を省みることがあります。物はあふれるほどの豊かな時代になりました。しかし一方では、その中で暮らす人々の心は、いたずらに常に何かを探し求め、必ずしも安らかな日々を迎えられているとはいえません。
 時には、争いやいがみ合いに苦しんだり、冷たい心や、わがままな心に悲しみ、ただ何げなく毎日を過ごしている自分を見たとき、そこに何か物足りなさと、やりきれなさが、心の中にひろがってまいります。
 法然上人はそんな私達に「このいたらぬ私でさえもその身そのままで救われるお念仏」のみ教えをお示し下さいました。
 この集いは、5回にわたり順を追ってお念仏のみ教えをわかりやすく皆様にお伝えする法会であります。今までの我が人生とこれからの自己を深く見つめる機会でもあります。そして何時の日か「お念仏と法話の集い」に参加してよかったと思う日が必ずやってくると思います。
 お忙しいことと存じますが、万障繰り合わせて、この機会に勝縁なりますこの集いにご参加下さいますようおすすめいたします。

日   時
10月29日(金)11時より
会   場
蓮馨寺  三島市広小路町
講   師
大正大学専任講師 林田 康順 先生
参 加 費
1,000円
申 込 み
菩提寺に
持 ち 物
袈裟と数珠

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土い返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。