なす台木「台太郎」 

なす穂木「筑陽」 

ピーマン「京ゆたか」 

 

 愛知地球博覧会が開催され、初めての休日に数万人の来場者があったという。愛知博とセットのように開港された中部国際空港「セントレア」には、10万人の来場者があったといいます。セントレアは単なる空港ではなくして、「エアポートからエアシティへ!」をキャッチフレーズに「開放・快適・感動」を提供し続ける、国際空港のあるまちとして、さまざまな楽しさを用意しているところに人気があるようです。
 家族連れで1日遊んでも、「入場料がかからない」と言ったお父さんの一言が印象的です。

 ところで家庭菜園を楽しんでおりますが、家庭菜園の世界もなかなか国際的であります。じつは、チリ、アメリカ、タイ、イタリア、ニュージーランド、オーストラリア、インド、韓国等から種が入ってくるのです。種苗店はもちろん、ホームセンターやマーケットに陳列された種の袋の裏を見ていただきたいのです。
 冬場の鍋料理に欠かせない根深ネギの種は、チリで生産されています。白菜はなんとイタリアから来ております。大根は韓国、人参はチリと、輸入で冷凍の魚を用いますと、国際色豊かな「寄せ鍋」ができあがるのです。
 たしかに種苗会社や大根でもその種類、生産された年度によって産地が異なりますが、驚きです。小松菜は東京の小松川で生産されても、種まで小松川で採取されているとは思いませんが、夢にもニージーランドでの生産とは知りませんでした。

 種の生産には、隔離できる空間が必要と聞きます。同じ大根であっても異なる品種の大根が受粉がなされてしまいますと、品種が変わってしまうのです。島など隔離されたところで、ひと種類の種が生産される場合もあると聞きました。

 わたしは「タキイ種苗」さんの種を利用させていただくことが多いです。今日も苗床には、タイ産のピーマン「京みどり」が元気に育っております。播種が遅かったので、すこし小さいですがガッチリとした苗にしたいものです。数年来、ピーマンは「京みどり」に決まっております。6月の末には、果肉の柔らかいものが収穫できるからです。

 隣の苗は茄子です。茄子や胡瓜、トマトは接ぎ木苗が用いられます。丈夫な病気に強い苗「台太郎」に、美味しい実のなる穂「竜馬、筑陽」を接ぐのです。素人にはなかなか上手くいかないのですが、すべてが挑戦です。ちなみに、すべての種の生産地はタイであることは言うまでもありません。

 動物や植物を慈しみ育てますことは、仏さまに手を合わせるのと同じに思えてならないのです。
 原稿が書き終えましたので、これから茄子の接ぎ木に挑戦します。


                           天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久

 


「ねえ、テレビの占い見てる?」
「え?見てないよ。」
「ぼくは毎日見てるんだ。」
「ふーん。そうなんだ。」
6歳の息子と、13歳の姪が車の後部座席で話しています。
「チョット、どーなのよ?」と驚かれる方もいらっしゃると思いますが、我が家では毎朝、テレビの「今日の占い」を見て一日が始まります。正直いいまして私も妻と結婚当初は、非常に違和感がありました。彼女は占いを信じるようなのです。
 私は日の吉凶、方角の良し悪し、字画の多い少ないなど、全く気にしません。彼女の行動や考え方が理解できず、最初は不機嫌になりました。
「こういう迷信と戦うのが念仏僧の使命だ!」などと息巻いておりました。ところが最近は娘、息子も「占いの信者」ですから形勢が悪い。私も黙っておとなしくしています。

 世の中は、マジックブーム、占いブームのようで、毎日のように「予言者」がテレビに登場します。「星がイイ」とか、「背後霊がワルイ」とか、「今年の運勢はクダリぎみ」とか結構話題になっているようです。占いのテレビ番組が増えたり、占いの本が売れたりするのは、「不信」の時代にあって、何かを「信じたい」という人々が増えているからかもしれません。迷い多き私たちですから、何かに頼って生きたいと思うことも無理からぬことでしょう。
 そんな時代ですから、念仏をもっと宣伝しなくちゃいけませんね。念仏申す人は幸せです。「念仏申すものはいかなるものも救う」という本願にすがり、ただ「南無阿弥陀仏」と申すだけです。それだけなのに日の吉凶も、方角の良し悪しも、字画の多い少ないも気にならなくなってまいります。「仏様にお任せ」ですから思い悩むことも少なくなってくるのではないでしょうか。まさに現益です。

 先日、ある方に質問されました。
「善悪についてどう考えたらいいのでしょうか?善いのか、悪いのか判断ができずに思い悩むことがあります。」そこで、親鸞上人のお言葉をお伝えいたしました。

本願を信ぜんには、他の善も、要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに
悪をもおそるべからず、弥陀の本願を、さまたぐるほどの、悪なきがゆえに

 私たちには本当の善悪は判断できません。ただ阿弥陀様の本なる願いを信じて、念仏をお称えしましょう。そのほかのどんな善も必要ありません。どんな善も念仏に勝る善は無いのですから。また悪をも恐れることはありません。どんな悪も本願を妨げるほどの悪は無いのですから。

 しかし昔から占いや祈祷が気になる方がいたのですね。法然上人もある人に尋ねられました。
「念仏申す人が、物詣で(社寺におまいり)することはいかがでしょう?」 
「問題ありません」さすが法然上人です。「やめろ」とか「意味がない」などとはおっしゃいませんでした。「念仏を申す」ただ一点をお説きになり、そのほかのことにはきわめて融通無礙でいらっしゃいました。それが老若男女、すべての人々に受け入れられる秘訣だったのかもしれません。
 私も当分の間、テレビの占いを見る、母親と子どもの顔を眺めてみることにしました。もちろん食事のときは念仏を称えて、刷り込みを忘れないようにしています。いつの日か、吉凶や善悪を超えた、如来の本願を信じてくれることを祈念しています。                    合 掌

                              観智院  土 屋 正 道

 

三嶋大社本殿 

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(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

 桐壺帝から姓を賜って臣籍に降下し、光源氏が誕生した。

 帝は、年月が経っても桐壺の御息所をお忘れになることはなかった。慰みにとしかるべき方々を入内させるが、疎ましくお思いになられた。

 そんな折、先帝の女四の宮で、母后も特別にお育てになってご器量もすぐれており、何よりも亡くなられた御息所(桐壺更衣)に似ておられるとの奏上に、帝は心ひかれ入内をお申し入れになられた。母后は、「まあ恐ろしいこと。桐壺更衣が露骨にはかなくされてしまったのに」と、入内はなさらなかった。しかし母后が亡くなられて心寂しく思われているときに、帝は「私の皇女たちと同列に」とたいそう懇ろにお申し入れになられる。兄の兵部郷の親王などは、心細くいるよりは宮中での生活をと、入内が決められる。藤壺と申しあげる。
 帝の桐壺更衣に対するお気持ちが紛れるというわけではなかったが、次第にお心が藤壺に移っていかれ、慰められることとなった。
 
 光源氏は帝のおそばを離れることがなかったので、自然に藤壺のお姿を垣間見ることがあった。光源氏は母御息所のことを影さへ覚えていなかったのであるが、女房が「たいそうよく似ております」というので、幼心にも懐かしいとお思いになり、いつもおそばにいたいと思うのであった。
 帝も藤壺に「疎まないでやってほしい、あなたを母親と見なしているが、無礼と思わず可愛がってやってほしい」とおしゃるので、光源氏もちょっとした花が咲いたとか紅葉が色づいたとか、お気持ちをお伝えになられる。

 光源氏の美しさはたとえるものがなく、世の人は「光る君」という。帝のご寵愛もそれぞれに同じであられたので、藤壺は光源氏に並んで「輝く日ノ宮」と申しあげる。

 つぎは光源氏の元服。結婚を意味する。


                          天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久

 


 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。


                          天主君山現受院願成寺住職                                魚 尾 孝 久

 

  

 

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▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。



大施餓鬼会のお知らせ

 本年もお施餓鬼会法要を、下記のごとく厳修いたしたくご案内申しあげます。ご先祖の供養とともに、一日ではありますが、みほとけの教えにふれます良い機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい(当日ご参加できません方には、当寺にてお塔婆をお墓に立てさせていただきます)。

日   時
5月15日(日)  【13時】法要、 【14時】法話
供 養 料
3,000円
申 込 み
お参りの折、電話、E-mail(前日までに)

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土い返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。