京都御所 清涼殿 殿上間 

 京都御所 紫宸殿 高御座内の椅子 

 京都御所 清涼殿 東廂の昼御座 

 今回は家具の一種、座具の代表である椅子についてお話をします。
 座具とは、座るための調度のことです。畳、座布団、茣蓙、絨毯、椅子、スツールなど我々の周りには数多くの座具があります。
 前回、建築における石板や磚(せん)を敷き詰めた床が立礼を生み、縁の下のある床は座礼を生み出したことをお話しました。こうした建築様式はそこで生活する人々のライフスタイル全般に非常に大きな影響をあたえました。その一例としてあげたのが、座礼と立礼という問題でした。そこで、この変化のただなかで非常に興味深い諸相を見せてくれるのが椅子なのです。

 椅子は現代の我々の生活には欠かせない家具のひとつです。明治時代、文明開化の頃、欧米から輸入されました。しかし、現実にはもっと古い時代から椅子は日本にあるのです。
 正確にはわかっていませんが、4・5世紀頃の、古代の王族や豪族の墓所である古墳から出土する人物埴輪のなかには、背もたれの無い椅子に腰掛けているものも少なくありません。かたちとしては高さが低めの長方形に近いものが多いようです。その後、6・7世紀、背もたれのあるものが中国からもたらされたと推測されます。これらは背もたれの部分が「鳥居形」と呼ばれる、神社の鳥居に似た形状で肘掛がついたものでした。その名残は、たとえば現在の京都御所の清涼殿や紫宸殿に置かれた近世、江戸時代末期のものに見出すことができます(現在の京都御所の建築とその調度類は、江戸時代の末期に平安時代以降の文献や絵画を渉猟して得た知識をもとに作られています。したがって、その形状や構造は非常に古式豊かなものということになります。)
 左の図1は京都御所のなかにある清涼殿(せいりょうでん、天皇の居所)の南よりにある殿上間(てんじょうのま)にある椅子です。御所にある天皇の座る椅子は「倚子」(いし)と呼ばれました。図2はおなじく紫宸殿(ししんでん、厳格で大規模な儀式を行なう建物)の中におかれた高御座(たかみくら)という調度のなかに置かれた倚子です。両者の形状、構造ともに現代の椅子と非常に似ています。 
 ※…成人の天皇の場合は問題ないのですが、まだ幼い天皇の場合は倚子が高いので大人のようには座れません。そこで「承足」(しょうそく)と呼ぶ足置きを倚子の足元におきました。一度、承足に昇ってから履物を脱いで倚子に座ったのです。
 
 ところで、この写真をみて何か不思議な印象をお持ちにならないでしょうか?畳の上に椅子が置いてあることに気がつきませんか?
 本来、椅子は石板を敷き詰めたような床、すなわち立礼の世界で使われた家具でした。おそらく中国の文化を積極的に輸入していた飛鳥・奈良時代ころ、中国の宮廷の建築様式やこれを下敷きにした住環境とともに日本に入ってきたのでしょう。これは当時の政治の場であった朝廷や貴族を中心に広がっていったと考えられます。この舶来の家具は「机」(き)「案」(あん)と呼ばれたテーブルとともに当時最新の調度として扱われ、公的な場所での調度品の位置を得ます。また、当時、天皇のような身分の高い人々が公的に人と会うときは椅子に座るようになります。こうした椅子の使い方は、平安時代の中ごろ、人々の生活が縁の下をもつ建築様式とそこで育まれた座礼の世界に移行しても、特に天皇においては「伝統」的な権威として引き継がれていきます。その結果が図1・2です。特に図1では椅子の手前に台盤(だいばん、座卓)が、さらにその手前には上畳(あげだたみ)が置かれています。すでに座礼の時代になっていながら、伝統的な儀礼面を重んじて椅子を使う、ふしぎな光景がここにあるのです。
 図1の上畳にしても平安時代に入って出現したものですが、この使い方も椅子の使い方に似ていました。現在の座敷では部屋の床一面に畳を敷き詰めます。ところがこうした畳の使い方は近世、江戸時代になってからのことです。縁の下のある建築様式は板張りのフローリングの床です。そこに、適宜、必要に応じて畳を一枚かもしくは2枚、あるいは必要な分だけ敷いたのです。つまり、畳は椅子のような座具の一種であり現在のようなイメージではないのです。図3は、これも現在の京都御所清涼殿ですが東側にある「昼御座」(ひのおまし)と呼ばれる天皇が日常的に着座する場所です。ここに上畳2枚を敷き、その上に茵(しとね)と呼ぶ座具を置くことになっていました。こうした使い方はテーブルや椅子を必要に応じて配置する、石板を敷き詰めた立礼の居住形態の名残とも考えられるのです。図1・3の清涼殿という建物の調度類は異なる時代の異なる生活様式と儀礼感覚のものが混在していたことになり、歴史の偶然とはいえ、とても興味深いものを覚えるのです。
 
 そして、椅子の話で忘れてならないのは仏教伝来です。奈良仏教の広がりとともに中国の寺院建築を模範とする建物と一緒に使われたのです。そして、かつての奈良仏教や平安時代初期の密教諸宗の建築も、縁の下のある床へと変わり行き、立礼から座礼の空間へと推移していきました。この居住空間の変化により椅子も姿を消していきました。ところが鎌倉〜室町時代の臨済・曹洞禅、江戸時代の黄檗禅の諸宗では、厳格な儀礼において高僧は曲ロク(きょくろく)と呼ばれる椅子にすわり、その椅子の前に踏床(ふみどこ、ふんどこ)とよぶ足置き兼靴脱ぎをおきました。曲ロクと踏床に着座する禅僧の姿は、室町時代頃からさかんに描かれた「頂相」(ちんぞう)という肖像画に必ずと言っていいほど描かれるのです。禅宗僧侶といえばこうした姿を当時の人々は思い描いた、と言い換えてもいいでしょう。
 この椅子の使い方は公的な空間は立礼であった中国の生活様式の模倣です。そして、奈良時代以来の天皇の倚子と承足の再現とも考えることができます。前回、前々回、奈良仏教や平安時代初期の密教諸宗は本来は中国的な立礼の建築様式であり、これは中国ではあたりまえのことでした。禅宗寺院の建築様式も同じ理由で中国的であったこともお話しましたが、禅宗をはじめとして新しい仏教の宗派が日本にもたらされるたびに、立礼から座礼、という変化が繰り返されてきた、といえます。この曲ロクと踏床も中国風の立礼の居住空間を象徴するものとして建築様式とおなじように考えていいでしょう。しかし、大変に面白いのは仏教の世界で使われた曲ロクは、前述の朝廷で天皇らが使った倚子と融合することはなく、それぞれ別個に受け入れられ、しかも武士や庶民に広がることなく消えていったことでしょう。それが近代になり、西欧文明の一端として椅子が輸入され我々の生活に根付いたこと、歴史の不思議な一面を垣間見たような気がしてならないのです。

       東京大学史料編纂所学術研究補佐員、大正大学非常勤講師 佐 多 芳 彦

 


 アメリカでは、8月29日にハリケーン「カトリーナ」が、9月24日に「リタ」が上陸しました。「カトリーナ」は、フロリダ半島に上陸後メキシコ湾を経て、ルイジアナ州に再上陸して、ニューオリンズでは市街地の8割が水没しました。公立学校が避難場所となり、さらにスーパードームまでが開放されましたが、1000人を超す被害者が出でしまいました。追い打ちをかけるように、「リタ」が、災害復旧のすすまないテキサス・ルイジアナ州上陸して、被害の拡大をもたらしました。

 両ハリケーンとも女性の名前が付けられていますが、民衆主義と平等を自負するアメリカで、なぜ女性の名前が付けられるのでしょうか。先日もカトリーナという女性がテレビに出演して、「感じのよいものではない」とコメントしておりました。

 名前の由来につきましては、北本朝展氏(国立情報学研究所)の詳しい説明がありますので引用させていただきます。
   最も有名で歴史も長いのが、北大西洋に発生するハリケーンの名
  前リストです。これは、単語の先頭の文字がアルファベット順になる
  ように名前を選び、そのリストをAから順番に使い(Q、U、X、Y、Zの5
  文字は利用しない)、そのリストを使い果たすと次のリストに進む、と
  いう現在の方式の起源になっています。そもそも、米国空軍や海軍
  の気象学者らが、彼らのガールフレンドあるいは妻の名前を愛称と
  して使ったことから、女性の名前のみが使われることになりました。
  しかしその後、それでは男女同権に反するということで、1979年以降
  は男性と女性の名前が交互に用いられています。
  http://agora.ex.nii.ac.jp/digital-typhoon/help/tcnames.html.ja#2.4
 ちなみに、2005年のアメリカでのハリケーン名前リストを掲げておきます。
   Arlene Bret Cindy Dennis Emily Franklin
   Gert Harvey Irene Jose Katrina Lee
   Maria Nate Ophelia Philippe Rita Stan
   Tammy Vince Wilma
   http://www.hurricaneville.com/names.html

 日本でも米軍占領統治下では、カスリーン台風、 キティ台風、ジェーン台風などアメリカの女性の名前を付けたこともありましたが、現在の台風の名称は、気象庁でつぎのように規定されています。
   気象庁では毎年1月1日以後、最も早く発生した台風を第1号とし、
  以後台風の発生順に番号を付けています。なお,一度発生した台風
  が衰えて「熱帯低気圧」になった後で再び発達して台風になった場合
  は同じ番号を付けます。
   台風には従来、米国が英語名(人名)を付けていましたが、北西太
  平洋領域で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である台
  風委員会(日本ほか14カ国等が加盟)は、平成12年(2000年)から、
  北西太平洋領域で発生する台風には同領域内で用いられている固
  有の名前(加盟国の言葉で動植物や自然現象に関係する名前)をつ
  けることになりました。
   平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」
  の名前が付けられ、以後、発生順にあらかじめ用意された140個の
  名前を順番に用いて、その後再び「ダムレイ」に戻ります。台風の年
  間発生数の平年値は26.7個ですので、おおむね5年間で台風の名
  前が一巡することになります。
  http://www.kishou.go.jp/know/typhoon/1-5.html

 9月30日現在、台風19号が中国大陸に向かっていますが、台風委員会(北西太平洋14カ国等が加盟) によりますと、「台風ロンワン」(Longwang中国語で龍の王を意味する)の名前が自動的に付けられております。
http://www.jma.go.jp/jp/typh/

 拙寺でも、昨年の10月9日の台風、12月4日の嵐によって、多大な被害をこうむりました。ホームページの表紙にあります楠木の枝(胴回り1メートルほど)が折れまして、民家の屋根を壊し、お地蔵さんの首を飛ばしてしまいました。ころがっているお地蔵さんの首をみたとき、そっと自分の首筋に手がいき、精進を再認識いたしました。
 大変なことは、後片付けの費用(前回は120万円)や労力はさておき、多くの人にご迷惑をおかけすることです。それだけに台風が逸れますと安堵の感をもつのですが、今年の宮崎県や大分県での被害を思いますと、複雑な気持ちになります。現在「台風19号ロンワン」は、日本を逸れて中国大陸に向かっています。
 日ごろ「自分さへ良ければよい」という気持ちは、あまり頭をもたげませんが、台風だけは別のようです。自分のところ日本を逸れますとやはり安堵の感を抱いてしまいますのが正直な気持ちです。
 同じ命をいただいて、同じ地球に生きているという視点から考えるようにするにはどうしたらよいのでしょうか。

                           天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久

 

台風のあと 

首をとばされたお地蔵さん 

懺悔させられた楠木 


 青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊) 

 

 

(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

第2巻「帚木」その4

 左馬頭の理想の妻についての発言

 さまざまのことを話していると、また左馬頭が言う。
   「一般的なこととしてつきあっているには欠点のない女も、自分の妻
  とする選びになると、大勢いる中にもこれはと決めることのできる女
  はいません。男が朝廷にお仕えして国を守るということのなかで、本
  当の力量を持っているという選びになりますと、なかなか難しいのと
  同じです。しかし朝廷というところは、1人や2人で政(まつりごと)をお
  こなっているわけではありませんので、上の者は下の者に助けられ、
  下の者は上の者にしたがっていろいろな仕事を分担することができ
  ましょう。

   ところが、女の狭い家庭での主婦という立場で考えてみますと、思う
  ようにならず、不十分では困るにちがいない大切な資格がいろいろと
  多くがありましょう。
   不十分ながらも何とかやれそうな人が少ないので、好き心で女のあ
  りさまを見比べようという好みではないのですが、結婚相手と決める
  なかで、同じことなら力を入れて直し繕うところがなく心にかなう人を
  選ぼうとするのですが、なかなか決まらないものです。

   必ずしも自分の考えるとおりというわけではありませんが、夫婦とな
  りました縁ばかりを棄てがたくて別れません人は誠実な人と見えます
  し、棄てられないでおります女もまた、奥ゆかしくすぐれていると推測
  されましょう。

   しかし、いろいろと世間の夫婦のありさまを集めてみますと、想像を
  超えた特別ということはありませんな。みなさまのように最上の女の
  方の選びには、まして、どれほどの人がお似合いでしょう。顔も美しく
  若々しく、それぞれが塵もつかないようにと身をもてなし、手紙を書け
  ばおっとりとした言葉を選び墨の色もほのかで心許なく思わせつつ、
  はっきりとした返事をもらいたいとどうしょうもなく待たせて、わずかに
  声を聞くことのできるほどに言い寄りますと、かぼそい声でたち消えて
  しまいますのが、大変よく欠点を隠すものでございますよ。
   ものやわらかく女らしいと思いますと、とかく情愛にこだわってしまい
  ますし、また機嫌をとりますと色めかしくなってしまいます。
   まずこれを第1の、女の難しさといえましょう。」

                           天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久

 




十夜法要のご案内

 本年もお十夜の季節となりました。一日ではありますが、ご先祖のご供養とともに、み仏の教えにふれますよい機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい。
 お檀家の皆さまには、10月下旬に郵便にてご案内申しあげます。

 日   時
11月19日(土)13時より
会   場
願成寺 本堂
塔婆供養料
3,000円
申 込 み
専用ハガキ、電話、FAX、E-mail (前日までに)

 

第233回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
10月21日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
長源寺住職 高木 泰孝 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。
次   回
11月18日(金) 同時刻  講師 西福寺 矢弓 尚善 師

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。


                           天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久

 

  

 

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