逆さ地図1


逆さ地図2

「♪西から昇ったお日さまが、東へ沈う〜む〜♪」
私が昔見たテレビアニメ「天才バカボン」のオープニングテーマ曲です。
 破天荒な性格のオジサン「バカボンのパパ」が、毎回いろいろな騒動を引き起こします。常識人たちは彼の行動に振り回され、カンカンに怒りますが、彼は意に介しません。最後にオジサンは「コレでいいのだ!」と、ひとり納得して終わります。人騒がせなマンガですので、「俗悪」というレッテルを貼られたりしましたが、子供たちには人気があったようです。

 人にもよりますが、私たちは思い込んでいたものを、否定されたり、疑いをさしはさまなくてはならなくなった時、嫌悪感や戸惑いを覚えるようです。『常識』から外れる不安や、自分の信じる正義感から、『非常識』の人に軽蔑や敵意を感じることも少なくありません。
 特に宗教上の問題が絡むと、人々はなかなか常識を改めようとはしません。

 「太陽が昇って沈むのではない。地球が動くのだ」と主張したガリレオは、宗教裁判にかけられました。彼の汚名がそそがれたのは、何世紀もたってからのことです。天動説から地動説に常識が替わってからも、私たちは旧来の考え方に縛られます。どうしても、お日さまは「東から昇って西に沈むもの」と見えますね。
 「南無阿弥陀仏を称えるものは、どのようなものも必ず救われる」と説かれる法然上人の信仰も、それまでの仏教の『常識』を超えるものでした。当然、批判や迫害があったわけです。自分を中心とする努力の教えではなく、仏さまを中心とした救いの教えでした。これを祖父・観道上人は「如来中心主義」といいました。私たちの好き嫌い、損得、功罪ではなく、仏さまの大いなる願いを中心とする。念仏を申すなかに常識に生きながら、仏さまの意思にかなう人格にならせていただけるという信仰です。 

 先ごろオーストラリアに行きました。彼の地は夏真っ盛り。赤道に近い町では毎日35度を超え、帽子とサングラスが手放せません。私は始めて南半球に行ったのですが、7時間飛行機で飛んでいくだけで、真冬から真夏へ。まことに変な気持ちになりました。売っている地図は上下がさかさま。北に行くと暑くなり、南に行けば寒くなる。東から昇った太陽は、北を通って西に沈みます。北半球とはあべこべです。頭では理解していても混乱します。自分の『常識』がいかにあてにならないものか、改めて感じることができました。現代は、昔より他の文化や風土に接しやすくなりました。そのぶん「如来中心主義」は受け入れられやすいのかもしれません。

 ところで、「西から昇ったお日さまが東に沈む」ところはあるのでしょうか?
 お隣の星、金星ではお日さまは西から昇るそうです。なぜだかわかりませんが、金星は地球と自転の方向が逆なのだそうです。
金星人はバカボンのパパと一緒に「コレでいいのだ!」といっているのでしょうか。

 観智院住職  土 屋 正 道



(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

第2巻「帚木」その7

 左馬頭の理想の妻についての発言その3

 左馬頭が続けます。

 よくあるように、ほかの女に心をうつした男のことを恨み、おこって反旗をひるがえすことは、ばかげたことでしょう。ほかの女に心をうつしたとしても、初めてみそめあったこころざしを大切に思うならば、それを縁とすべきところ、そのようなことでがたがたしていると、ふたりの縁は絶えてしまうことでしょう。

 ですから、女はすべていろいろなことを穏やかに、恨み言をいうようなことは男が憎く思わない程度にほのめかすならば、男の情愛も増すことになりましょう。おおかたは、男の浮気心もおさまるでしょう。しかし、あまりむべに恨み言をいわず、放任してしまいますのも、簡単で可愛らしくもありますが、おのずから軽く見られてしまうでしょう。「繋がれていない舟が漂う」の例しもあるように、どうすることもできないでしょう。そうは思いませんか。」

といいますと、頭中将はうなずきます。頭中将は、

「さしあたりまして、すぐれているとも可愛いとも気に入った人に、浮気の疑いがありますならば大変なことでしょうが、自分の心に過ちがなくて、相手の浮気を大目に見ますならば、相手も心を改めてくれると思いますが、じつはそうではないでしょう。ともかくも自分の心に違うことがあったとしても、のどやかに我慢する以外に、勝ることはないでしょう。」

と言って、頭中将は、自分の妹の君が、この定めに合っている(光源氏の浮気に、妹葵の上が我慢していること)ので、光源氏に視線をやりますと、光源氏が居眠りをしていて、言葉をお挟みになりませんことを、物たりなくねたましく思うのでした。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久



青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊)





 

第236回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
1月20日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
善教寺住職 土山 和雅 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
2月17日(金) 同時刻  講師 三明寺住職 大嶽 正泰 師

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久

  

 

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