旅から帰り、東京駅から山手線で浜松町に向かおうとホームにあがりました。ちょうど山手線の電車が入線しました。ところが車体に派手な広告が貼り付けられていて、なんとも下品です。おくれて京浜東北線も入線してきました。こちらには広告がありません。私は京浜東北線に乗り込みました。普段はあまりこだわらないたちなので、何でそんなことが気になったのか自分でも不思議でした。みなさんにはご経験ありませんか?第六感などともいいますが、無意識の領域から何かシグナルが送られてくるのでしょうか。それとも…。
 勝ち負けの厳しい世界で生きている方には、験を担ぐ方がいらっしゃいます。ある大投手は現役時代、スパイクシューズは必ず左足からはいて、ファールラインを必ず左足でまたいでマウンドに上がったそうです。もちろん打ち込まれることもあったでしょうが、いい結果を信じて毎回同じ作法を貫いたようです。
 楽しいことばかりが続き、好きな人ばかりに囲まれ、いつまでも健康で生きていられれば最高ですが、そうは参りません。毎回いいピッチングができるなら、験を担ぐことさえ必要ないでしょう。

 「松があります。松くい虫もいます。」信楽のご住職に教えていただいた言葉です。松にも松くい虫にも平等に光が当たっています。この世の中には天敵やまるで正反対のものも存在していますが、どちらが善でどちらが悪というわけではありません。私たちの心の中にもそれは当てはまります。全くの善人と全くの悪人が別々にいるわけではないのです。善の親玉である神仏から見れば、どんなに上品な人でもみな凡夫であると善導大師はおっしゃいました。そして念仏申すものは凡夫のまま救われるといいます。有り難い教えですね。
 法然上人の『選択本願念仏集』には
 「念仏行者をば観音・勢至、影と形との如く、暫らくも捨離せず」
念仏を行ずる人には慈悲の観音菩薩、智慧の勢至菩薩が、ちょうど影が形から離れないように寄り添って、ほんのわずかの間でも捨て置いたり離れることがない。
と書いてあります。菩薩方がいつも護ってくださるのです。これは心強いですよね。「一寸先は闇」と申しますが、人生何がおこるかわかりません。「自動車が飛び込んで来たらどうしよう」「道路の穴に落っこちたらどうしよう」と不安がってもしょうがありません。「念仏申すものは必ず護っていただける。」という信念があれば歩き出せます。安心があるから少々の困難があったり、災難にあっても乗り越えてゆけるはずです。壁に直面したとき、
「松があります。松くい虫もいます。」といえたらいいですね。

 派手な広告の山手線でも、シンプルな京浜東北線でも、こだわりがなくなれば結構ですが、しかし、なかなか好き嫌いは直りませんね。「こんな私ですがどうぞ護ってください」と祈りながら今日も念仏を称えています。                                       合掌

 観智院住職  土 屋 正 道


(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

第2巻「帚木」その10

 左馬頭の体験談(指喰いの女)その2

 左馬頭は、気性の激しい女に指を食いつかれてしまった。

「こんなに傷を付けられてしまったならば、世間の付き合いもできない。馬鹿にしていらっしゃる私の官位も、まったく何をより所として人並みになることができよう。出家するしかない身であろう」とおどして、「それなら今日こそは限界であろう」と、指を曲げて出てきてしまいました。

 【左馬頭の歌】
 手を折りて あひみしことを 数ふれば これひとつやは 君がうきふし
 (指を折ってこれまで一緒であったことを数えると、この嫉妬ひとつだけ
  が、君のいやなところである、いやひとつどころではない。)

私を恨むなよ 、と言いますと、さすがに泣き出して、

 【女の歌】
 うきふしを 心ひとつに 数へきて こや君が手を 別るべきをり
 (つらいことを心に収めてきましたが、今度こそあなたと別れるときでし
  ょう。)

など、言い争ってまいりましたが、まことのところは別れることになるとも思われませんで、何日も消息を出さず、あれやこれやと出歩くあいだに、臨時の祭りの調楽で夜遅く霙の降る夜、退散するに思いめぐらすと、やはり家路といえるのは、この女のほかにはないのでした。

 宮中に泊まるのも興ざめでしたし、気どった女のところはそぞろ寒く思われましたので、あの女が私のことをどう思っているのか様子を見がてらと、雪を払いながら、すこし体裁悪く恥ずかしかったが、そうはいっても今宵、日ごろの恨みは解けてしまうであろうと思いました。女は、わずかに灯をともし、着なれた厚い着物を大きな伏籠(ふせご)にかけて帷子(かたびら)の布は引き上げてあり、「今夜あたりは」と待っている様子でありました。「それみたことか」と得意になったのですが、本人はおりませんでした。

 しかるべき女房だけが残っており、「親御さんの家に、今宵お渡りになられました」と答えます。あれ以来女はあだめいた歌を詠むこともなく気どった消息もなく、ひたすら家に籠もり情けなかったので、がっかりして「いつまでも許さないのは、私に別れる気持ちになるようにとの下心か」とも、そうも思えませんでしたが、心まかせに疑いました。しかし、私が着るべきものはいつもより心をこめた色合いや仕立てが特別であって、見捨てた後のことも考え世話をしていたのでした。

 ところが………                             (つづく)


ちょう‐がく【調楽】(広辞苑)
○舞楽・音楽を奏すること。
○公事または宴席に行う舞楽をあらかじめ練習すること。予習。試楽。
特に、賀茂・石清水の臨時祭に行う舞楽の予習。源氏物語帚木「臨時の祭の―に夜更けて」

ふせ‐ご【伏籠】(広辞苑)
○火桶の上にかぶせて、衣類を乾かしたり、薫香を衣類にたきしめたりするのに用いる籠。○匂懸においかけ。源氏物語若紫「雀の子を、犬君が逃がしつる、―の中にこめたりつるものを」
○ふせて鶏を入れておく籠。

かた‐びら【帷・帷子】(広辞苑)
○几帳きちよう・帳とばりなどに懸けてへだてとした布。夏は生絹すずしを、冬は練絹を用いる。枕草子76「几帳の―いとあざやかに」
○裏をつけない衣服。ひとえもの。暑衣。枕草子33「夏などのいと暑きにも―いとあざやかにて」
○夏に着る、生絹や麻布で仕立てた単衣ひとえぎぬ。
○経帷子きようかたびらの略。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久



青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊)





 植えた八重桜(食品用)


 満開の花


 摘みごろの花

 桜の花も散り始め、若葉が吹き出す季節となりました。しかし八重桜はこれからです。わたしも思うところがあって、数年前に2本の八重桜を植えました。昨年あたりからたくさん花を付けるようになり、お参りに来た人も愛でているようです。

 境内に植えた桜が花を付け皆さんが喜んでくれる、住職冥利に尽きるのですが、褒めてくだされば下さるほど、困った問題があるのです。
 じつは、この八重桜は「桜湯」「桜ごはん」を作るために植えたのです。桜の塩漬けを作るための品種なのです。
「桜湯」は結婚式などのおめでたいとき、よくいただきますよね。桜の香りと塩味が、何ともいえぬ世界を作り出していることでしょう。桜の花の塩漬けをもどした水でご飯を炊きますと、桜ごはんです。塩味のちょうどよくなった花をトッピングすると、春爛漫です。ご詠歌のみなさんと食するのです。

 お参りの皆さんが愛でている花を摘んでしまうのですから、気がひけてなりません。それも開ききった花を摘むのではなく、6分咲きがちょうどよいのです。そこで、早朝摘むことにしました。とても、お参りの人のおります前で、摘むようなことはできません。心を痛めながら、本来の目的を達成させるのです。

 佐多先生が6種類のさくらを楽しんでおられますことを考えますと、何とも無粋なことでしょう。
 このメルマガを読まれても内緒にお願いいたします。それならば書かなければということになりますが、ひとり心に秘めておりますのも辛かったのです。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久



 

大施餓鬼会のお知らせ

 本年もお施餓鬼会法要を、下記のごとく厳修いたしたくご案内申しあげます。ご先祖の供養とともに、一日ではありますが、みほとけの教えにふれます良い機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい(当日ご参加できません方には、当寺にてお塔婆をお墓に立てさせていただきます)。

日   時
5月15日(月)  【13時】法要、 【14時】法話
講   師
慶應義塾大学教授 慶應義塾大学月が瀬リハビリテーションセンター長 
木村 彰男 先生
法然上人800年遠忌を健康で迎えるために
「役に立つリハビリテーションの知識」
供 養 料
3,000円
申 込 み
お参りの折、電話、E-mail(前日までに)

 

第239回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
4月21日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
先照寺住職 磯田 隆一 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも
多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
5月19日(金) 同時刻  

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久

  

 

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