第10回 日本人は何を着てきたか

 今年は雨がちの春ですね。なんかすっきり晴れない不思議な感じです。
 桜の花が青空に映えるような眺めに会うこともなく、あっという間に五月です。

 さて、願成寺様のメールマガジンに連載のご依頼をいただいて、早10ヶ月。今回で最終回です。締めになにを書こうかと悩んだのですが、最後ですから少しいままでとは違ったテーマでお話をします。

 もう18年前のことです。昭和天皇がなくなられ、現在の天皇が即位されたときのことです。このころ私は大学院の修士課程に在学していました。
 新天皇が即位され、さまざまな行事がメディアを通じて報道されました。前天皇の喪葬儀礼の数々はわれわれを、あたかも平安の時代にタイムスリップしたかのように、静かに見つめていました。私もその一人であり、有職故実、服装史の研究者を志す立場としては、毎日のようにテレビの画面を食い入るように見つめていました。

 昭和天皇が亡くなられたあと、新天皇の即位をめぐる諸行事もよく報道されていました。
 各国の外交官が夫人とともに、即位する新天皇に慶賀を申し上げる場面の中継を見ていて気がついたのです。一部の国々の外交官は夫人とともにさまざまな民族衣装を身にまとっていたのです。どれもが個性的で、美しいものでした。なによりも目に付いたのは、そうした民族衣装はかれらにとても似合っていました。着こなしていた、というべきでしょうか。世界にはさまざまな民族がおり、髪の色、目の色、肌の色、多種多様でした。しかし、そうした髪や目や肌の色にこうした民族衣装はとてもよく似合うのです。むしろ、服とのコーディネートがとても素敵なものでした。
 そして、ふと、思ったのです。日本人にとっての民族衣装とはなんなのだろう、と。

 この問いが私の研究の基本にあります。この道に本格的に進んでいく契機となりました。
 
 現在の日本は完全に洋装主体の服装文化圏にあります。こうなったのは言うまでもなく明治維新期以降のことです。
 『明治天皇紀』によれば、1868年(慶応4)8月23日、同月27日の明治天皇の即位式では唐制の礼服を用いないことが決定されました。即位式当日、清涼殿朝餉間で天皇は束帯に着替え即位式に臨みます。この即位式の準備にあたり、岩倉具視ら明治政府の中心にいた人々は「従来の朝儀は唐制の模倣であり、今回はこれを改め皇国神裔継承の規範を樹つべきである」として、新たな様式の即位式と天皇の服制変更を決定しました。こののち、1872年の太政官布告11月12日付により、明治政府は礼装・正装にかかわる律令制下の服制を神事における祭服に限定し、その他は列強諸国と同様に大礼服などの
洋装に改め、8世紀以来の朝廷の服制は幕を閉じました(『法令全書』『太政官日誌』等)。すなわち、日本人の礼装・正装は洋装となったのです。文明開化期には我先にと欧米の文化・文明を積極的に取り入れていった日本は都市部を中心に少しづつ洋装が浸透していきます。華族や政治家、知識層らを中心に洋装は広まっていきますが、日本はまだまだ近世の服装文化を堅持していたようです。
  
 そして、20世紀、日本は太平洋戦争を経て、欧米、特にアメリカ合衆国の服装習慣に導かれてヨーロッパ諸国の服装文化を完全に自分のものとしました。高度経済成長期、バブル期を経て、人々は豊かさを背景に老若男女をとわず、完璧な西欧風の服装文化を手に入れたといっていいでしょう。
 
 大学で教壇に立ち学生を見ていると、本当に今の学生はおしゃれになったものだと思います。なかには理解を超えたかっこ悪い身なりをしている学生もいますが、それは世代の違いで彼らなりのかっこよさなのでしょう。ただ、なんとなく思うのは、ファッションを楽しむ場所を選んでいないことから、くすんで見えてしまっていることに気づいていないのかな?とも思います。もしかするとファッションに振り回されていて、自分のものにしていないということなのかもしれません。ファッションを、場所や相手を選んで楽しめる人こそ、本当の意味でおしゃれな人といえるのかもしれませんね。
 ときどき、とても地味なのですが自分の好みをしっかりと持った学生もいます。目立つことはないのでしょうが、とても似合って見えます。まだ、こういう学生がいるのだなと思います。
 
 日本という国の洋装化は、明治以後の日本が歩んできた歴史を如実に象徴しているように見えるのです。良くも悪くも欧米の文化・文明全般を享受し自らのものとしていく。太平洋戦争、第二次世界大戦以後の様々な国々でも行なわれていることです。たとえば、中国や韓国、そして冷戦が終わったあとのロシア(旧ソビエト連邦)や東欧諸国。今現在、世界中のさまざまな民族、国々の人々が公的な場所で何を身にまとっているのか、それはその民族や国々の人々がどんな歴史を選択してきたのか、選択せざるを得なかったのか、ということを明確に語っているのです。
 
 過去の服装を調べながら、実はこんなことをいつも考えています。
 
 また、こんな経験もあります。
 7・8年位前の新年でした。昼食を摂るために、当時の仕事場の近くの街並みを歩いていました。すると、どこからともなく子供たちの元気な声が聞こえてきます。わいわいがやがやとしゃべりあうその声に、近くを歩いていた誰もが声の主を捜しました。わたしもその一人で、周囲を見回していると、反対側の歩道を10人近くの小学校にはまだあがっていない年齢の子供達が飛び跳ねるように歩いてきました。大人の引率がいたかどうかはわかりませんが。「元気だな!」と思って目を凝らしてみているとふと気がつきました。彼らは原色の赤や黄色や緑の服を着ています。少し曇った昼時の冬の風景の中で、それはとて
も鮮やかなものでした。「なんでまたあんな派手な色使いの服を?」と思って見ていると、距離が近づいていくうちに、それがチョゴリであることがわかってきたのです。ゆったりとしたシルエットの原色のチョゴリが、元気なかわいい子供達の飛び跳ねるような、激しくちょこまかと動くその姿にとても似合っていました。詳しいことは今もわからないし、特に調べたわけでもありませんが、お正月の何らかの行事でもあったのかもしれません。ひらひらと子供たちの動きに追従するチョゴリがとても印象的でした。
 転がるように歩いていくチョゴリを着た子供たちを、日本人の子供たちが見ていました。ものめずらしそうに。そして、彼ら日本の子供たちは洋服を着ていました。このとき、冒頭の外交官夫妻たちの民族衣装のことを鮮烈に思い出しました。ちょっと複雑な気分になったことを覚えています。
 ところがその年の10月、ある史料調査で名古屋の熱田神宮にうかがいました。ちょうど、七五三でした。大人顔負けのおしゃれな子供たち、そしてこどもたちに引けをとらないくらいファッショナブルなご両親たち。そのなかに、振袖の女の子や羽織袴の子供たちもいたのです!なんだかうれしくなりました。まだ、この国も捨てたものじゃないな、と、なんだか嬉しくなったことをよく覚えています。
 
 さて、100年後、200年後、そして1000年後、日本人はどんな服装をしているのでしょう。想像もつきません。でも、その姿は私たちの子孫がどんな未来を選んだのか、というひとつの証しであることは間違いではないでしょう。

 東京大学史料編纂所学術研究補佐員、大正大学非常勤講師
佐 多 芳 彦




NEWS23テレビ画面より

 筑紫哲也氏がキャスターを務めるTBSのニュース番組「NEWS23」の終了時に、筑紫氏が「今日はこんなところです。」と結ぶ。何か違和感を感じるのは、私だけだろうか。「こんなところ」という表現が気になる。「こんなところ」という語句の持つイメージに問題があるのだろう。「こんなところいやだ。」「こんなところに来てしまった。」「今日できるのはこんなところだ」と、悪い場所や状態を指す場合が多く、よい状態や場所を示すときに「こんなところ」とはあまり言わないのである。

 記者たちの集めた多くの記事のなかから、今日における重要度によって選別し、一定の時間枠の中で伝えられているのが、ニュースであろう。どのニュースをとっても、本日の出来事として報道しなければならないものであるはずである。その報道をもって「こんなところ」と結ばれたのでは、何かみつくろったニュースであるように思われてならない。

 言葉や語句には、その使用されてきた歴史によって、おのずからその言葉の持つ意味とともに、良いイメージや悪いイメージがあったり、良い状態か悪い状態のいずれかのみに使用されることがある。
 たしかに「こんな」は、「こんないいやつはいない」また「こんなひどいやつはいない」と両方に使われるが、「ところ」が付け加えられると、圧倒的に悪いイメージとなってしまうだろう。

 喧嘩で相手を呼ぶとき「きさま!」という。漢字で書くと「貴様」となり、多少イメージが変わってくるので辞書を引いてみる。

き‐さま【貴様】
(近世中期までは目上の相手に対する敬称。以後は同輩または同輩以下に対して男子が用い、また相手をののしっていう語ともなる) 貴公。おまえ。きみ。好色一代男1「―もよろづに気のつきさうなるお方様と見えて」(広辞苑)

 目上の人対する敬称であったものが、時代とともに変化して、軍隊で上官が部下を叱るときの第一声が「きさま!」である。まちがっても、上司を呼ぶときには使えない。いま使われるとするならば、やはり喧嘩するときであろう。 
 「あわれ」も同じである。古典では心深く感動することであるが、現代ではみじめな状態をいう。
 バラエティー番組では「ぜんぜん、だいじょうぶ」というが、ニュースではいわないであろう。

 では、よけいなことかもしれないが、ニュースの最後をどう結んだら良いであろう。「今日のニュースを○○がお伝えしました。」「以上、今日の出来事でした。」「また、明日お会いいたしましょう」等、考えられるが、きっといずれかのニュース番組に似たような表現があるのだろう。
 ともかく、言葉のもつ雰囲気、少し大袈裟かもしれないが、言葉の持つ世界感を大切にしたいものである。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久



 

大施餓鬼会のお知らせ

 本年もお施餓鬼会法要を、下記のごとく厳修いたしたくご案内申しあげます。ご先祖の供養とともに、一日ではありますが、みほとけの教えにふれます良い機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい(当日ご参加できません方には、当寺にてお塔婆をお墓に立てさせていただきます)。

日   時
5月15日(月)  【13時】法要、 【14時】法話
講   師
慶應義塾大学教授 慶應義塾大学月が瀬リハビリテーションセンター長 
木村 彰男 先生
法然上人800年遠忌を健康で迎えるために
「役に立つリハビリテーションの知識」
供 養 料
3,000円
申 込 み
お参りの折、電話、E-mail(前日までに)

 

第240回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
5月19日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
秀源寺住職 飯島 誠之 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも
多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
6月16日(金) 同時刻  福泉寺住職 岩佐 善公 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久

  

 

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