聖観世音菩薩


「おかあさん、離婚するの?」
家族4人の夕食の席で、今年7歳の息子が突然妻に質問しました。
「いいえ」
妻は即座に答えました。その答えを聞いて私は、
「えらいもんだなあ。私が聞かれたら、すぐに返事ができなかったかもしれない」と思いました。
 妻と私は、どういうわけか仲が悪くしょっちゅうけんかをしています。子どもの前ではいけないと思いながら、やめられず子どもには心配をかけて申し訳ないことだと思っています。ずいぶん離婚も考えましたし、離婚用紙を区役所に取りにいったことさえあります。その時はまだ窓口が閉まっていて、開くのを待っていたら次第にばかばかしくなって帰ってきてしまいました。

 お釈迦さまは、生老病死の四苦に、
愛別離苦(愛するものと別れねばならない苦)、
怨憎会苦(いやな人とも会わなければならない苦)、
求不得苦(求めても得られない苦)、
五蘊盛苦(体と心に執着する苦)
の4つをあわせてお説きになりました。2500年経っても、私たちは四苦八苦しているのです。

 私は幸せなことに、「いやな人」にあったことがありませんでした。おかげさまで、今まであまりけんかをした記憶もありません。ところが何故か、妻とはしょっちゅうぶつかってしまいます。まあ、「今生だけのことですからガマンしなければ」と思ったり、「諦めの心境になれば苦しみも薄らぐ」、などと考えたこともありますが、どうも釈然としません。別れることで苦を回避することはできますが、苦の解決にはなりません。この世では多くの場合いやな人とも暮らさなければいけないのです。隣国同士はたいがい仲が悪い、しかし引越しするわけには参りません。首脳同士がけんかばかりしていては、両国民は幸せにはなりません。どうやったらこの苦しみを乗り越えられるのでしょうか?

 念仏の先達Sさんは、超一流の和裁職人でしたが気が短く、一時は職人仲間を刺し殺そうと思いつめたこともあったと聞きました。またSさんの奥さんも職人仲間で、年がら年中顔をあわせて暮らしていたのですが、気性が合わない。Sさんも自ら「トウヘンボク」と号するほど個性豊かな方でしたから、若い頃は毎日のようにけんかしていたそうです。そんなSさんが殺人を犯さず、奥さんとも90歳を超えるまで添い遂げられたのは、「念仏様のおかげです。」とおっしゃっていました。
 若い頃は、彼の念仏信仰をちっとも理解してくれなかった奥さんが、晩年は自ら木魚を叩き朝夕の念仏を欠かさないようになったそうです。Sさんは私にしみじみおっしゃいました。
「妻は私のいうことを聞かない。念仏は称えない。業突く張りの鬼ババアだとおもっていました。しかしそうではなかった。私にはちょうどよい女だったんです。私が念仏を称えるために姿を現された観音様であったと思えるようになりました。」
 
 私にもこのように思える日が来るのでしょうか?しかし観音様は33変化身。色々なお姿を表して、あるいは身を隠して私どもをお導きくださるといいます。あるときは優しく、あるときは厳しく、そしてある時は意見の合わない存在として、私どもが念仏申して浄土往生を願い、真実に生きられるように見守ってくださいます。そう思えば、妻もまた観音様の化身と思えないことはありません。もっともけんかしていないときの話ですが………。

 もし、息子や娘に、
「おとうさん離婚するの」と聞かれたら、間髪入れず
「しないよ」と言おうと思います。
もちろん、今晩またけんかして、気持ちが変わるかもしれません。人間の気持ちはあてになりませんが、「離婚するかもしれない」と答えるよりずっといいでしょう。しゃくに触ることも多い妻ですが、先日の子どもへの対応は見事だったと思いますし、見習いたいと思っています。
 こんな小さなことをつみ重ねて、腹が立ったら念仏を称えて、家族そろって生きていきたいと思います。

気に入らぬと腹が立つようでは修養が足らないのです。
気にいってもいらなくとも顔色をかえずよろこべる人になりたい。
気に入らなくとも気にいっても如来様はここにましますと思って、唱えに唱えて念仏をするところに――――気に入らなかったことが気に入ってくるのです。
(2006年6月に遷化された関谷喜與嗣上人の御言葉)

 さあ、観音様の肩でも、もみにいきますか。
「けんかしませんように、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。」
                                  合掌

 観智院住職  土 屋 正 道


(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

第2巻「帚木」その15

 頭中将の体験談(内気な女)その1

 頭中将、「わたくしは、おろかな女の話をいたしましょう。」といって話し始めます。

「たいそう忍んで見そめた女が、それにいたしましても結婚とはならない様子でしたので、
長く付きあうことにはならないと思っておりましたが、慣れていきますままに愛おしく思いましたので、途絶えがちにも忘れられない女と思っておりましたところ、それほどのなかとなりますと、わたくしを頼りとしている様子もございました。頼りにすると恨めしく思うこともあろうと、自分の気持ちとしては感じられる折々もございましたが、女は気がつかないようにして、久しく途絶えましてもたまにしか来ない男とも思わず、ひたすら朝夕に使えてくれる様子がいじらしいので、わたくしを頼りにするように申すこともございました。

 親もなくたいそう心細げに、それならばこの人を頼り所と、事に触れて思っているようすも可愛い感じでした。このように穏やかなことに安心をして久しく出かけませんでしたころ、わたくしの妻のあたりから、あるつてをもって情けないことを言わせていたようで、後から聞きました。
 そのような嫌なことがあったとも知らず、心では忘れていたわけではありませんが、消息などもいたさず久しくたちましたところ、ひどくしおれ心細くて、幼い子供もありましたので、思い悩んで撫子(なでしこ)の花を折って届けてきました。」といって、涙ぐんでいる。

「さて、その文の言葉は」と、光源氏が問いますと、

「いや、ふつうの消息と異なることはありませんよ。

  【女の歌】
  山がつの 垣ほ荒るとも をりをりに 
                  あはれはかけよ なでしこの露
  (山がつの垣根が荒れていたとしても、折々にはそこに咲く撫子
   に情けの露をかけてください。)

 思い出すままに、女を訪ねましたところ、わたくしを信じているもののたいそう物思いに沈んだ顔で荒れた家におりた露を眺め、虫の音に競うように泣いている様子は、昔物語のようでございました。

  【頭中将の歌】
  咲きまじる 色はいづれと 分かねども 
                   なお常夏に しくものぞなき
  (混じって咲いている花の色はどれがよいかわからないけれど、
   やはり、あなた(常夏)にまさるものはありません。)

と、子供のことはさておいて、まず「塵がつもらぬほど、絶え間なく訪れよう」と、母親の機嫌をとります。

  【女の歌】
  うち払ふ 袖も露けき とこなつに 嵐吹きそふ 秋も来にけり
  (あなたがお訪ねくださらないので、塵を払う袖までもが露けきわ
   たくし(常夏)に、嵐までが吹く秋までもが来てしまいました。)

と、とりとめもなく本気で恨んでいるようすもなく、涙を漏らしてもたいそう恥ずかしそうに慎ましげに隠しており、わたくしの薄情さに気がついておりますことをわたくしに知れることを辛がっておりましたので、また気楽に考えまして途絶えておりましたところ、跡形もなくいなくなってしまったのです。


しれ‐もの【痴れ者】
@おろかな者。源氏物語帚木「なにがしは―の物語をせん」
A狼藉ろうぜき者。乱暴者。弁慶物語「弁慶もとより―にて、行き
  あふ者を蹴倒し、踏み倒す事、たびたびなれば」
Bその道にうちこんでいる者。その道でのしたたか者。奥の細道
  「風流の―」(広辞苑)

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊)



 

第245回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
10月20日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
長源寺住職 高木 泰孝 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも
多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
11月17日(金) 同時刻  西福寺住職 矢弓 尚善 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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