風鈴

「ただいまぁ」
「おかえり」
「おかあさんは?」
 小学校4年生の娘と2年生の息子は、学校から帰るとかならず母親の所在を尋ねる。父親が迎えているのだから「おとうさんは?」と言うはずはないが、母子の関係は特別なもののようである。しかし年をとるにつれて母親を次第に呼ばなくなるのが普通であろう。

 私は今年47歳。こんな年になって、今私は毎日「おかあさん。おかあさーん。土屋悦子さーん……」と面と向かって母を呼んでいる。母は3週間前から意識を失ったまま病院のベッドで寝ているのだ。喀血による心肺停止、重度の感染症を乗り越え、母はこの世に戻ってきた。しかし未だ目を覚まさない。
 毎日、毎日、「おかあさん」と母を呼び続けるが、「なあに?」と応えてくれない。確かに母は生きているのに「意志の疎通ができない」と悲観的になる自分がいる。「いやいや、聞こえているはずだ。かならず復活する」と気を取り直してまた声をかける。「おかあさん、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ、悦子さん…」母の名を呼び念仏を称える。私は目の前の母に向かって真剣に念仏を称えている。
「遠くの仏に母の救済を頼んでいるのか?いや、意識のない母を生かしめている"いのちそのもの"に呼びかけているのだ」そう思ったとき
「私は果たして今まで何を拝んできたのか?ばくぜんと仏の名を称え、遥遠くの仏に救われた気になっていたのではないのか?」と気づかされた。

 これでいいのか

同じ風鈴の音でも
秋になると、寒く聞こえ
夏の日には、暑く聞こえ
忙しいときには、ウルサク聞こえ
楽しい時には涼しく聞こえる。
人間は勝手なもので
自分の気分次第で
相手を良いの、悪いのと
批評している………
風鈴の音に捉われず
無心に「風の音」を聴け
 (中野善英上人)

 或る時は本堂のご本尊を拝み、或る時は仲秋の名月を拝み、或る時は水平線に昇るご来光を拝んできた。しかし本当に「現にここにまします如来よ」と仏を拝み念仏申してきたことがどれほどあっただろう。いつも「風鈴の音」に捉われて、無心に「風の音」を聴いたことがあっただろうか?
今、母は私の気にいる反応を示してはくれない。ちょうど風鈴の音が心地よく響いてくれないのと同じように。しかし物言わぬ母を拝み念仏するうちに、「風の音」が聞こえてくる気がする。如来は母を休みなく生かし続けている。

如来の在(いま)さざるところ無きが故に いま現に此処(ここ)に在(まし)ますことを信じて
一心に恭礼
(きょうらい)し奉る
如来の威力
(みちから)と恩恵(みめぐみ)とに依りて 活き働きあることを得たる我は 我身と心との総(すべ)てを捧げて仕(つか)え奉らん
 (山崎弁栄上人)

私は母を見つめ、手を握り、名前を呼ぶ。自分の真正面に「現に此処(ここ)に在(まし)ます」ことを信じて、一心に名を称えることができるように思う。
母は生かそうとする「威力(みちから)と恩恵(みめぐみ)」とによって確かに活かされ働きを与えられている。
母は無言のうちに務めを果たしていた。風は確かに吹いているのだ。

 如来(にょらい)と偕(とも)に一人(いちにん)

我等の生まれる時 すでに如来と偕に一人
我等の死する時 如来と偕に一人
我等の生きる間 常に如来と偕に一人なり
 我等 絶対に「独り」なる時なし
 如来常に 吾がために「一人」となり給う
働く時も 如来と偕に一人
病む時も 如来と偕に一人
 我等 如来を忘るることあるも
 如来 我等を離れ給うことなし
我等 如来の内に在り
如来 吾が内に在りて
如来と我等と 常に「一人」なり
 故に悩みながらも 悩みの中から救われて行く
 あやまちながらも あやまちの中から目醒めて行く
(なんじ) 救われたり
汝 恵まれたり
ただひたすらに如来を呼び 如来のみ心に適
(かな)
 如来の「み力」の現われんことを祈れ
しからば如来直ちに応現して全く汝と一人になり給う
 悦ばしいかな 如来と偕に一人
 尊きかな 如来と偕に一人
 (中野善英上人)

「おかあさん」
あなたはいつまでも私の母親です。
ふがいない息子のために戻ってきてくださったのですね。
私に真剣に念仏を称えさせ、「如来と偕に一人」をあらためて教えてくださいました。
ありがとう、おかあさん。
なむあみだぶつ、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ………
                                 合掌

 観智院住職  土 屋 正 道


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第2巻「帚木」その16

 頭中将の体験談(内気な女)その2

 その女が、まだこの世に生きているならば、はかない世をさすらっているでしょう。いとおしいと思いましたときに、煩わしくまつわる様子がみえておりましたならば、こんなに離れてしまいますこともありませんでしたのに。格別に途絶えることなく、しかるべき通い所として、ながく寄り添ってまいりましたものを。
 その女が生んだ幼子がかわいかったので、どうにかして探し出そうと思いましたが、いまだに消息を聞きません。この女こそ、あなた(左馬頭)のおっしゃた忍ぶ女の例といえるでしょう。

 内心ではつらいことと思っていたことも知らず、いとおしい気持ちも絶えずにいたことは、無益な片思いでした。今少しずつ忘れていく時分になって、女もまた思い離れることができずにいる夕方もあろうかと思います。これは長続きせず頼りにならない女とということでしょう。

 そんなわけで、あの指喰いの女も思い出のある女で忘れがたいけれど、めんと向かってみるとわずらわしく、下手をするといやになることもあるでしょうや。琴が得意であった女(浮気な女)の才気も、浮気の罪は重いでしょう。
 この内気な女もほかに男がいたのかも知れないので、何れがよいかと決められないでしょう。男女のなかはこのようにそれぞれなので、比べることは難しいでしょう。このそれぞれの女たちの良いところだけを具えていて、非難すべきところのない女は、どこにいるのでしょうか。
 吉祥天女に思いおかけようとすれば、抹香臭くて人間離れしていて、またわびしいことですね。」と、みんなが笑った。


きちじょう‐てん【吉祥天】
インド神話で、ヴィシュヌ神の妃。仏教に入って毘沙門天の妃とされる。衆生に福徳を与えるという。その像は容貌端麗、天衣・宝冠を着け、手に如意珠を捧げる。吉祥悔過の本尊。功徳天。吉祥天女。(広辞苑)

*吉祥天女は 、その妖艶な姿から男たちが交わったという話がある。光源氏たちは、その話を知っていて、笑ったといえよう。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊)



 ご承知のように、NHKの不祥事から受信料の不払いが激増した。民放と違い受信料で運営している以上、当然の出来事であろう。NHKは内部の是正を終えたとして、不払い者(NHKは滞納者という)に民事手続きによる支払督促をおこなうと発表した。
http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/otherpress/061005.html
確かにこのまま不払いが増加するならば、NHKの経済は成り立たなくなるであろう。

 でもあえて提案したい。受信機(テレビ)がある家庭から受信料を徴収するのではなく、
WOWOWのごとくスクランブルをかけて送信し、受信機のある者(受信契約をした者)のみ見ることができるようにしたならばどうであろうか。きっと大方の人は、NHKの内容ある番組に価値を見出し、受信契約をするであろう。NHKも自信をもって番組を作成し放送しているであろうから。

 NHKは、特に公共性も有するのであるから、地震や台風とか緊急を要する場合には、スクランブルを解除しての放送に切り替えサービスするとよいのである。
 契約数と良質番組は、必ず比例すると考える。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久




 

第245回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
10月20日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
長源寺住職 高木 泰孝 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも
多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
11月17日(金) 同時刻  西福寺住職 矢弓 尚善 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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