諏訪大社 御柱


 


さざれ石

 諏訪湖から霧ヶ峰にむかう中腹唐沢山に阿弥陀寺という古刹がある。弾誓上人、徳本上人など常念仏の聖たちが修行したところであり、今日も念仏道場として利用されている。私も大正大学伝道学の研修指導員として、何度も登山したことがある。山深く遙か眼下に諏訪湖を望めるが、夜となると寺の灯り以外は月の明かりのみで、月の明るさに驚く。また時に風そよぐ木の葉の音を耳にすることがあるが、自分の立てる音以外には静寂そのものである。都会の雑踏を離れてこの地に身を置くと、本当に心を洗われる思いである。

 昨年の夏、久しぶりに訪れた。正確にいえば、息子の研修参加を両親が見送ったのである。駐車場から本堂までは、急な坂道を20分ほど登らなければならない。参道の脇には寺務用の車道があるが、入山者は大きな荷物を背負って登っていく。息子たちの姿が木々のなかに吸い込まれていく光景を楽しんだ。

 帰り道、諏訪には何度も訪れているが、初めて御柱で有名な諏訪大社の上社と下社をお参りさせていただいた。両社とも、四方に天に向かってそびえ立つ御柱の大きさに人々の祈りが感じられ、自ずから手が合わさる。
 参拝を終えて、参道を下る途中に大きな石が奉納されていた。ふと目をやると「さざれ石」とある。板札を読むに目が点になってしまった。この歳までに、何度、国歌「君が代」を口にしたであろうか。実際に「さざれ石」という石があるとはまったく知らなかった。「さざれ石の巌をとなりて苔のむすまで」と詠まれているのは、細かい石が大きな巌となりそしてその石に苔がむすまでと、膨大な年月を現す単なる比喩とばかり思っていたからである。

 仏教にも膨大な時間を表すに「劫(こう」という言葉がある。『智度論』では、「40里四方の石を100年毎に一度ずつ薄い布で払拭し、その石が摩耗しても劫はつきない」時間をいう。また『無量寿経』には阿弥陀さまが成仏してから10劫を経ていると説く。
 いずれにせよ、ほぼ無限に等しい時間で、ものごとを思惟することの発想に驚いた次第である。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

第2巻「帚木」その17

 式部丞の体験談(博士の娘)その1

 「式部丞のところには、おもしろい話があるでしょう。少しずつ話してみなさい。」と責める。
 「下が下の私には、そのようなことでお話しいたすことがございましょうか」というが、頭中将、熱心に「おそい」と責め立てるので、式部丞は何事を申し上げようかと思いめぐらすに、

 「まだ文章生でありましたとき、賢い女の例を見ました。先ほど左馬頭が申しましたように、公事のことも互いに話せ、ふだんの私生活での心づもりもよく考え、学問の方面においてもなまはんかな博士もかなわないほどで、すべて意見を言えないほどでございました。

 それは、ある博士のもとに学問などをしようと通っておりましたときのことで、そのあるじにはたくさんの娘がいるとのことから、ちょっとした折に言い寄ったのですが、親が聞きつけて杯を持ってきて『わが二つの道の歌をきけ(家は貧しいが娘はよく仕えるの意)』と申しましたが、とくにうち解けて通うこともせず、親の気持ちもはばかってただ関係を持っていましたところ、たいそう心を込めて世話をしてくれ、寝覚めの語らいにも学才がつきおおやけ仕える教養を教えてくれ、清げな消息文にも仮名は使わずきちっとした言いまわしをして、おのずから絶えることなく通い、その女を師として腰折れ文を作ることを習ったので、今ものその恩は忘れませんが、親しき妻として子をもうけることは、無才の人には不格好な振る舞いを見せるのは恥ずかしく思われました。
 
 君達のみなさんには、しっかりしていてしたたかな世話やきは無用のことでございましょう。つまらぬ悔しいと思いながら、自分に合っておりましたので宿世に引かれることもあると、男というものはたわいのないものでございます。」
と申しますと、残りを語らせようと、
「さてさて、おもしろい女だな。」と、おだてられ、式部丞はそれを承知でおどけて話す。


もんじょう‐しょう【文章生】
古代、大学寮で紀伝道を学んだ学生がくしよう。平安時代には、擬文章生などから詩賦の試験(省試)に合格した者。(広辞苑)

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊)



 

第246回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
11月17日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
西福寺住職 矢弓 尚善 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも
多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
12月15日(金) 同時刻  大泉寺副住職 小島 健布 師

 

十夜法要のご案内

 本年もお十夜の季節となりました。一日ではありますが、ご先祖のご供養とともに、み仏の教えにふれますよい機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい。
 お檀家の皆さまには、11月中旬に郵便にてご案内申しあげます。

 日   時
12月4日(月)13時より
会   場
願成寺 本堂
塔婆供養料
3,000円
申 込 み
専用ハガキ、電話、FAX、E-mail (前日までに)

 

暮れの墓地大掃除のお知らせ

 毎年12月の第2日曜日は、暮れの墓地および境内地の大掃除となっております。お忙しい折とは存じますが、ご家族でご参加下をお願いいたします。当日は「温かい豚汁」を用意いたしておりますので、お掃除終了後お召し上がり下さい。

 日   時
12月10日(日) 9時より (小雨決行)
お 願 い
できますならばお掃除の道具をご持参下さい。
駐車場が少ないのでご注意下さい。

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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