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5歳くらいの私

 一ヶ月はあっと言う間にたってしまうのですね。子供のころは暇で暇で時間が余っていたのに、どうして年を取るとともに時間に余裕がなくなるのでしょうか。
 何年か前のことですが、ある博物館の前館長さんが人生を川に喩えました。年取るとだんだん川が瀧のように早くなり、最近は大洪水になっているというのです。私もその洪水に巻き込まれたように、時間が大河のようにスピードアップしてしまい、子供の時の暇の時間が欲しいと思います。コンピューターや様々な器械の普及で今までより時間を有効に使えることが可能になり、もっと色々なことをしようとするために忙しくなるのか、時間が早く動く感じになる錯覚なのでしょうか。子供のころや祖母の姿を思い出すと、ゆとりがあるように感じました。

 今は何でも早くて便利であることは、本当に人間の心にとってよいことなのか考えてしまいます。最近、LOHASやスローライフなどのキャッチ・フレーズで流行になっていますが、私にはよく分かりません。忙しい人にインスタントなリラックスを作ろうと、ヨガやアロマ・セラピーも流行していますが、これはまたマーケティング作戦でコンビニのように便利そうで、どこか基本的に間違っていると思われてなりません。私も急いでいると時などコンビニを利用したり、ヨガやアロマ・セラピーも嫌いな訳ではありません。実はヨガは7年前からはまっており、体と心には最高なものだと思っています。ただ、便利や流行だからはまったり、無意識で機械的に行動したり、instant gratification (直ぐに満足感)を要求するのではなく、もっと人間らしく行動するのが大切ではないでしょうか?

 「人間らしく」と言うことは、もっと自分らしく、素直に、正直に生きて行くことです。そしてたまには、ものごとに疑問を感じたり、「これはおかしい間違っている」と思うことには、自分の意見を発言することではないでしょうか?一方的に自分の意見を通すのではなく、相手の意見も聞き、考えながら会話をしていくことが人間らしさだと思います。一見、当たり前のようですが、現代の社会では忘れられているように感じられます。

 近頃、あまりにも人と人の間に、十分な会話がないと思います。コンピューターやゲームの世界に入ってしまっている若者が増え、私自身も翻訳の仕事が忙しくなると時にはお昼はコンピューターの前で食べたりしてしまいますが、人間と対応するより器械と過ごす時間が多くなることがあります。やはり、これはおかしい。切羽詰っても、やはり友達や同僚と一緒に食事をとるべきでしょう。

 やはり「人間らしく生きる」とは、家庭の中から始まることだと思います。親子との挨拶や会話が基本です。、社会が器械化や便利なることで色々と社会問題などが起こりますが、人間である我々が対処できることなので、一人一人が責任を持たなければならないと思います。

 手を合わせて、お念仏を唱えることもまた「人間らしく生きる」ことです。希望や夢を持つことが大切なのです。前向きにお互い励まし合うこと、阿弥陀様に励ましてもらうことが「人間らしく生きる」ことだと思われてなりません。

写真:5歳くらいの私、自然の中で伸び伸び育てられました。とてもやんちゃでした。

 原 真 理


 東京で仕事を終え新幹線に乗ったが、一車両に私を含め二人しか乗っていない。いや、携帯で座席指定を予約してあったので、おおむね状況は掴んでいた。三島まで1時間ぐっすりと眠れ、仕事に疲れた体を癒すのにはよい環境である。

 途中からの乗車客もなく三島に到着すると、修学旅行の生徒たちが乗車してきた。5、6月は小中学生の修学旅行の時期であろうか、新幹線で一緒することが多い。仲間での旅行に胸はずましている姿に、中学生の時、初めて京都奈良に修学旅行した思い出と重なる。名所旧跡を見学するよりも、仲良しグループと闊歩(かっぽ)したことが思い出される。

 先日修学旅行の生徒達が乗った後の車両に乗った。車内にはいると、まだ生徒たちの熱気がよどんでおり、決して気持ちのよいものではないが仕方がない。
 ところが、座席の上、通路と至る所にお菓子のかけらや拾いきれない小さなゴミが落ちている。座席に座る前に、手で払う必要がある。なかには向かい合っている座席を進行方向に直してから、座る人もいる。急に不快感に襲われる。

 最近しばしば、子供たちが起こす事件が報道されるが、子供を叱れない親、給食費を払わない親、いじめを見ぬふりする学校、十分に指導できない教師の存在を考えると、頷いてしまう。公共のマナーが悪いことなど、子供や大人の区別がなく、子供たちを叱れないであろう。
 とかく、「今の親は、今の教師は」と口に出したくなるが、私は子供たちの親でもなく教師でもない。しかし、ひとりの大人として考えなければならない。いや大袈裟であるが、ひとりの宗教家として他人事であってはならない。
 不特定多数の人々が集うお寺という場を管理する者として、公共のマナーを養うことに積極的になる必要があろう。

 修学旅行生が降りた後、車掌さんがゴミ袋を持ち出し大きなゴミを拾い、座席を進行方向に直している光景を目にした。小田原を過ぎ、もう指定席にはほとんど乗客はないのであろうが、同乗している私どもには快いものであった。今まで乗っていた生徒や引率の教師は、知るよしもないことであった。
 またあるとき、一車両に修学旅行生と一般乗車客とが同居していた。ひとりの教師が「一般のお客さんと一緒だから静かに」と注意を繰り返していた。無論、その子たちが降りた後の車内はほとんどゴミが落ちていなかった。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


新幹線


 

第253回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
6月15日(金) PM7:00〜8:30
会   場
西福寺(茶房「欅(けやき)」東側50メートルくらい)
講   師
福泉寺 岩佐 善公 師
参 加 費
無料
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
7月20日(金) 同時刻  願成寺 魚尾 孝久 師

 

墓地清掃

 恒例となりました、お盆の墓地清掃をおこないます。檀信徒総出でのお掃除の機会でもあり、また、「そうめん流し」も用意いたしておりますので、ご家族とともにご参加いただけますようお願い申し上げます。

日時
7月1日(日) 9時より(雨天決行)

 

7月のお盆棚経

 お盆の棚経は、「ご自宅へ伺っての棚経」 と 「お寺での棚経」 とがあります。6月下旬にハガキにてご案内申しあげますので、ご希望をお知らせ下さい。

「ご自宅での棚経」
7月13,14,15日のうちお伺いする日を連絡します。
「お寺での棚経」
7月13日10時、13時いずれかに本堂へ。
前日までにお電話で連絡をお願いします。

 

お盆灯籠流しの販売

 7月16日、三島市仏教会主催の「灯籠流し」が水泉園(白滝公園)でおこなわれます。7月1日より、灯籠を販売いたします。

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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