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次回配信日は、1月7日です。



ビルのなかの増上寺

 年末の恒例となった、今年の世相を表す漢字として「偽」が発表された。日本漢字能力検定協会がハガキやインターネットで公募したものである。

 不二家、ミートホープ、白い恋人、赤福、船場吉兆、等々、食の根底を覆す偽装事件が続発した。すべてが何年も前からの確信犯で企業ぐるみの犯罪であり、決して許すことができない。同時に年金問題、恒常的なことであるが政治家の嘘と列挙するのに暇がない。問題は、事件が発覚したのが今年と言うことであって、いずれも本質的には根の深いものである。ガソリンや灯油の値上げとあいまって、我々は怒りをどこにぶっつければよいのであろうか。

 ところで社会問題としての「偽」は、私が直接対応できるものではないが、時に気になることがある。自分で自分を偽っているのではないかということである。
 そこで私自身に「偽」はなかったであろうかと、点検をしてみる。さしあたっては社会的に問題になるような事案はないように思われる。だが、だいぶお酒を飲んだのに「今日はそんなに飲んでいないよ」と妻にいった。「おれの若いころは必死で頑張ったものだ」と息子にいった。大儀だと思いながら掃除をしていると、お檀家さんが大変ですねと労をねぎらってくれると、「そんなことありませんよ、いつものことですから。」と見栄を張った。
 やはり「偽」といわねばならないだろうか。そう考えると、いろいろ出てくるように思われてならない。

 そういえば、今年のお正月にいろいろと計画を立てたが、どれだけ実現することができたであろうか。だいぶ疑問があるが、「いや、今年は○○で忙しかったから仕方がない。○○がうまくいったのだから、××はやもえないよ。」と、自身を正当化していることは確かである。そう考えたときに、社会や他人を偽るのは論外であるが、意外と自分で自分自身を偽っているように思われてくる。

 これは大変なことである。そうした意味では、もの心ついてから今日に至るまで「どんだけ」の「偽」を犯してきたのであろうか。一瞬身の毛がよだつ思いがした。しかし、悪魔がささやく。「誰も知らないよ。みんなそうだよ。大丈夫だよ。」
 いや、そうではない。仮に自分自身を偽ることができても、「仏さま」「神さま」「お天とうさま」を偽ることは、決してできないことは確かなことである。
 また少しではあるが、阿弥陀さまが近いものになった。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


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第2巻「帚木」その28

 空蝉との出会い

 紀伊守は好色で、この継母の様子をもったいなく思って、心をよせる気持があったので、この子を大切に連れて歩いていた。
 君は、小君をお召しになって、「昨日は待ちこがれていたのに。やはり私が思うほど、おまえは私のことを思っていてくれないのだな。」とお恨みになるので、小君は顔を赤らめている。「さあ、どうであったか」とおっしゃるに、しかじかと申しあげると、「頼みがいがないな、残念であるな」と、また御文を賜る。
「おまえは知らないであろうな。あの伊予介の爺さんより先に姉君と逢っているのだ。しかし私のことを頼りにならない、取るにたれない後見を設けて、私のことを侮っておられるようだ。だが、おまえは我が子であれよ。夫である伊予介は行く先短いのであろう。」とおしゃると、「そうかもしれない、それは大変なことであるかな」と思っているのが、おもしろくお思いになる。
 君はいつもこの子を側にお置きになられて、内裏にも連れて参上などなさる。ご自身の御匣殿(みくしげどの)におっしゃって装束などを用意させ、ほんとうに親のようにて扱いなさる。

 君からの御文は常にある。されど、この子もやはり幼いので、ほかに知られてしまったならば軽々しい浮き名まで追うてしまう身を、たいそう不相応と思われるのでめでたきことも我が身からと思って、うちとけた御答えもなさらない。わずかにみえた君のお姿やご様子はほんとうに並々ではなかったと思い出さないわけではなかったが、たとえお相手をする態度をお見せいたしたとしても、何になるであろうかなどと思い返すのであった。

 君はかた時もお忘れになることはなく、あの出会いを心苦しくお思い出しになられる。お思い返しなられることの切なさも晴れる方法もなく、お思いつづけになる。軽々しくお立ち寄りになられるのも人目が多いところなので、都合の悪い振る舞いが漏れてしまうであろう、女のためにもかわいそうであると、お思い惑われる。

 いつものように内裏にお越しになられるころ、しかるべき物忌みにあたる日をお待ちになってお出かけになられる。急に左大臣邸へ退出なさるまねをして、道の途中から紀伊守の屋敷へお出かけになられた。紀伊守は驚いて、遣り水のおかげであると恐縮して喜ぶ。
 小君には「昼からこのように思っていたのだ」とおっしゃって約束していた。明けても暮れても小君をお側にお仕えなさっているので、今宵もまずお召しになった。

(そこで空蝉は?)


みくしげ‐どの【御匣殿・御櫛笥殿】
○内裏の貞観殿じようがんでんのうち、后町きさきまちの北にあって、内蔵寮くらりようで調進する以外の御服の裁縫をつかさどった所。
○御匣殿別当の略。御匣殿の長官である上臈女房。源氏物語薄雲「命婦は―のかはりたる所に移りて」(広辞苑)

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊)



 

修正会(新年会)のお知らせ

 恒例の新年の初参り、護持会総会、新年会を開催いたします。ご申込は、暮れのお参りの折、またお電話にて前日までにお願いいたします。

日   時
1月4日(金) 11時より
内   容
初参り、護持会総会、福引き、会食
会   費
2,000円
申 込 み
暮れのお参りの折、電話、FAX、E-mail (前日までに)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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