願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、4月15日です。



「いつも癒され、頑張る気持ちにさせてくれるラハイナの夕日」T


「いつも癒され、頑張る気持ちにさせてくれるラハイナの夕日」 II

 3月は年度末の雑用で、バタバタしてしまいました。フッと気がつきますと、もう4月になりますね。そして、来週からは、大学の新学期が始まります。今年から、私もわずか2コマですが、大学でまた英語を教えることになりました。ちょっとワクワクしています。普段、翻訳の仕事ではあまり人と接することがないので、学生に教えたり、若い人と会ったり、話したりすることは久しぶりです。実は、半分楽しい気持ちと、半分責任の面では大変だなという気持ちで、心が二つに分かれています。

 やはり、これからの若い人に教えることは、とても大切なことだと思い、教壇に立つことに決めました。しかし、語学は週一回の授業ではなかなか身に着きません。日本での英語教育が、殆どの場合ものにならないのは、この理由が大きいと思います。実際に、英語が日常生活に必要のない人も多いのが現実で、あまり英語を重要視する必要はないと思い、英語を教えるのをやめました。だが、今回は開教師(海外で僧侶として活躍する人)に英語を教えて下さいとのことでしたので、受け取ることにしました。将来、学生が開教師になりたいということは、わたしにとりましてはとても興味深いです。

 話は変わりますが、最近、世の中では大変なことになっていると思います。あらゆる問題が世界中に発生しています。環境問題から、イラクの戦争、様々な国の権力争いから日本での高齢化社会。これらの問題を考えると、時々、絶望的な気持ちになりそうです。一人の人間として、何をすればよいのかが分かりません。将来が暗く感じることもあります。この世には、救いはないのかと思うこともあります。

 日曜日に、友達と京都の街を歩いていたら、ドンチャン騒ぎのような太鼓の音と賑やかな声が聞こえました。後ろを見ると、平和デモに参加している人たちが行列でやってきました。その光景に友達は「何かお祭りみたいだ」と笑いますが、私は「笑い事でも、人事でもないよ」とつい言ってしまいました。そのデモはとても小さいもので、多分多くっても200人くらいかもしれません。目立っても、ドンチャン騒ぎとしか見られないデモに本当に意味があるか、疑問に感じました。同時に、何もできない自分に不満を感じました。

 次の日、朝のお参りで、法然さまの『一枚起請文』を唱えていたら、「ただ一向に念仏すべし」の一句に心が打たれました。簡単のようで、なかなかできません。ただ一向に念仏すべし。これが法然さまが教えてくださった救いの道です。「南無阿弥陀仏」と唱えることで、救いを求める。お念仏で世の中が変わったり、問題が消えることはないです。だが、自分の心構えを変えていくことで、世の中を変えていくのではないでしょうか?

 私はそう信じています。私にはお念仏がありますので、いろいろと世の中に悲しいことがありましても、前向きになれるのです。

 まだまだ、自分自身がいろいろと勉強不足ですが、この学期からまた頑張ります。

 原 真 理


 一般の方には馴染みがないと思いますが、「中外日報」という宗教系新聞の110周年記念講演を聞きにいってきました。梅原猛氏と山折哲雄氏の対談を拝聴いたし、現代の世相こそ宗教が必要であるという意見に賛成の拍手をおくりました。

 山折氏が、いま問題となっているチベットのラサへ旅した折、市内で迷子となったとき、ある車がホテルまで送ってくれたというのです。お礼をいたそうとすると、その人は、「あなたを助けたのではなく、仏さまの御心にしたがっただけで」と、お礼を辞退された話を紹介されました。

 わたしも中国で同じような体験をしました。もう20数年も昔の話ですが、お檀家さんと中国のお寺をお参りした。洛陽郊外に建立されたお寺「白馬寺」に参拝したときのことです。多くの中国の人々が、観光にきておりました。みな珍しい仏さまを眺めている姿は忘れもしません。その頃はまだ人民服に人民帽をかぶった人々が、興味深く仏さまを眺めております。なかにはパンをかじりながらの人もおります。しかし、決して仏さまを拝するのではありませんので、帽子をとることもないのです。

 白馬寺といいますと中国で最初にひらかれたお寺であり、私ども僧侶にとりましては、心が引き締まります。
 私どもが、五体投地をしたときです。入り口に管理のために座っていた僧が急に立ち上がり、一緒に礼拝をして下さるのです。わたしの思い過ごしでしょうか、涙を流しているようにも見えます。
 現代の中国の歴史の流れのなかでは、寺院や仏さまは観光の対象でしかなく、僧侶は「文物管理者」となっていました。そこに仏さまに礼拝する私どもを目の前にして、ともに礼拝をして下さったと思われてなりません。言葉は通じませんが、仏さまを拝むということでは、ともに心ひとつにできたようで、今も忘れ得ぬ心の財産となっております。

 政治的なことは別といたしまして、ラサの事件は他人事では済まされません。やはり私にできますことは、原真理上人と同じく、「ただ一向に念仏を申す」ことです。

ごたい‐とうち【五体投地】
〔仏〕両膝・両肘・額を地につけて、尊者・仏像などを拝すること。最高の礼法。接足礼。頂礼ちようらい。(広辞苑)

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


中外日報110周年記念講演


 

第263回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
4月18日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
如来寺 荻田 宣史 師
参 加 費
無料
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
5月16日(金) 同時刻  慶昌院 磯田 浩一 師

 

大施餓鬼会のお知らせ

 本年もお施餓鬼会法要を、下記のごとく厳修いたしたくご案内申しあげます。ご先祖の供養とともに、一日ではありますが、みほとけの教えにふれます良い機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい(当日ご参加できません方には、当寺にてお塔婆をお墓に立てさせていただきます)。

日   時
5月15日(木)  【13時】法要、 【14時】奉納ピアノ演奏
演   奏
瀬川  玄
未定
供 養 料
3,000円
申 込 み
お参りの折、電話、FAX、E-mail(前日までに)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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