願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、5月15日です。



御忌に随喜(弟、従兄弟、私)

 4月は、浄土宗では元祖大師法然上人の法要、御忌会が総本山知恩院や各大本山で行われました。不思議なご縁で、弟と21日に知恩院で随喜することになりました。そのご縁というのは、弟が高校生時代、ロータリの交換留学プログラムで神戸に一年いました。その時、お世話になったホストファミリーが、たまたま浄土宗のご住職の家族でありました。そのご住職さまが、今回お導師さまを21日につとめることになり、弟と私に声をかけてくれました。

 御忌は、初めてだったので、何が何か分からなく、知恩院に足をはこびました。そして、恐る恐る、弟と着替え室にいったら、従兄弟と再従兄弟が一緒に法式を勉強している仲間たちといました。偶然のようで、実はこれもまた不思議なご縁でした。私の祖母が生まれたお寺は、ずーっと以前から若い僧侶の法式勉強会を夏に行い、たまたまこの神戸のお寺のご住職さまも若きころ、この会のメンバーでありました。現在は、再従兄弟が立派な住職としてそのお寺を継ぎ、その会のリーダとして頑張っています。そのため、今回彼らが知恩院に駆けつけてきたことは、私たちにとって、全く偶然ではなかったのでした。何かのご縁でした。とてもありがたいことです。やはり、阿弥陀さまに見守られていると感じさせていただきました。

 そして、今回の御忌会に随喜できたことは、改めて法然上人の尊さを考えさせていただくよい機会にもなりました。
 今では当たり前のようなことは、本当は全然当たり前ではないのです。このことは日常の生活でよく忘れやすいと思います。自分で頑張って生きている気持ちになったり、何で自分だけが苦しい思いをしなければならないかと感じたりします。しかし、本当は目に見えないお蔭さまで生かされているのではないでしょうか?
 このお蔭さまこそが、阿弥陀さまの御慈悲ではないでしょうか?法然さまはひたすらお念仏を唱えて、ひたすら阿弥陀さまを信じることを教えてくださいました。当たり前で、簡単なような教えですが、なかなか理解を超えたことで、素直な心で受け取ることが難しいです。私も、アメリカの教育を受け、西洋的な客観的、論理的な考え方で、理屈ぽく考えれば、受け難い教えです。
 でも、先日のように、偶然のようで、偶然でないことがあると、やはり自分一人で生きているのではなく、生かされていることを教えてくれます。目に見えない、理屈では説明できない偶然のような出来事とは、ご縁としか言えないと思います。

 また、このご縁で、4月からは、佛教大学で開教師英語(海外で活躍する僧侶のための英語)を非常勤講師として教えたり、知恩院の雑誌『知恩』に「法然上人のお言葉を英語で考える」を作成するお手伝いをさせていただいています。そして、9月末には、イタリアのレッチェでヨーロッパ日本研究協会の学会で、「法然上人絵伝と絵解き」というテーマで発表をする予定です。法然さまの勉強や仏教のことについて考える様々な機会ができて、本当に嬉しく、ありがたく思っています。
 毎日を感謝の気持ちで生きるようになると、また充実した日々になり、自然に手を合わせて、「南無阿弥陀仏」と声に出てきます。

 原 真 理


 加齢のためであろうか、前歯がなくなり物が噛み切れない。家族は手入れが悪いからだというが、失ってしまった歯は戻ってこない。
 ちょうど同じ時期、祖母の命日で手を合わせると、祖母のことが走馬燈のごとく思い出された。

 祖母は、自分が食べる何切れかの沢庵に、包丁で縦横に切り目を入れていた。歯が少なくなって沢庵が噛み切れなくなってしまったからであるが、子供の頃そんなこととは知らない私は、よく横取りをしたものである。祖母はそこまでして沢庵を食べたかったのではなく、戦後間もない我が家は大家族で、朝食はご飯に味噌汁、あとは梅干しと沢庵のみであったからである。おもしろ半分に食べてしまったことに気がついたのは、何年たってからであろうか。切り込み沢庵が、刻み沢庵に変わったことも忘れてはいない。
 歯が抜けて、祖母の切り込み沢庵の存在の大きさを再確認し、祖母が愛おしくてならない。

 私は、原稿を書き出すと台所に立ちたくなる。思うように筆がはしるべくもなく、構想を錬るということで台所に逃避するのである。幸か不幸か、料理をするのが大好きとなった。
 時に、祖母の作ってくれた鰯料理が懐かしい。隣町の海でイワシが大漁すると、バケツ半分ほどを買い入れる。お昼ごろであろうか、祖母はイワシを手で捌いていく。包丁でたたき、いわゆる「鰯のたたき」ができあがる。冷蔵庫のない時代なので、すぐにお醤油と生姜汁で和えて夕食のおかずとなる。温かいご飯のうえの大盛りの「鰯のたたき」は、何よりのごちそうであった。次の日は残った「たたき」は「だんご汁」となり、その次の日は残ったイワシが甘辛く煮付けられて出てくる。安いイワシが入ると、3日間鰯料理が続くが、楽しみであった。今でも当時をまねて、鰯料理をつくるが、息子には鰯の煮付けは………。

 家庭菜園で大根を作る。その半分は切り干し大根にして楽しんでいるが、これも祖母の料理であった。冬場の本堂のぬれ縁はにはたくさんの大根が干してあった。蹴っ飛ばして遊び、祖母にこっぴどく叱られた。切り込み沢庵を食べたときは叱られなかったが、切り干し大根の時は別であった。

 祖母の思い出にひたっているのは加齢によるものであろうか、いやこの歳になって祖母のひとつひとつが理解できたようにも思われる。
 あと何年かすると、祖母に会えるかもしれないが、祖母は極楽にいるので、私も精進して………。心に秘めるものがあるが、まだ書く勇気がないのが残念である。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


切り込み沢庵


まいわし


 

大施餓鬼会のお知らせ

 本年もお施餓鬼会法要を、下記のごとく厳修いたしたくご案内申しあげます。ご先祖の供養とともに、一日ではありますが、みほとけの教えにふれます良い機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい(当日ご参加できません方には、当寺にてお塔婆をお墓に立てさせていただきます)。

日   時
5月15日(木)  【13時】法要、 【14時】奉納ピアノ演奏
演   奏
瀬川  玄
未定
供 養 料
3,000円
申 込 み
お参りの折、電話、FAX、E-mail(前日までに)

 

第264回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
5月16日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
慶昌院 磯田 浩一 師
参 加 費
無料
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
6月20日(金) 同時刻  福泉寺 岩佐 善公 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

本メールマガジンがご不要な方は、下記URLから配信を解除できます。

http://ganjoji.com/mlmaga.html (解除・退会)