願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、9月16日です。



「ロシアの少女」佐伯祐三作 1928年
(大阪市立近代美術館建設準備室)


「カフェ・レストラン」佐伯祐三作 1928年
(大阪市立近代美術館建設準備室)

 もう秋ですね。お盆が終わり、あの夏の暑さは一体なんだったんでしょうと思うほど、あっという間に涼しくなりましたね。7月中旬、ハワイから戻り、週末も休めないほど忙しい毎日が続いています。秋の展覧会図録の英訳で、バタバタしています。
(ここで、ちょっと宣伝させていただきます:佐伯祐三展、大阪市立美術館、9月9日から10月19日、と10月18日からのJapan蒔絵展、京都国立博物館、はまた来月号で宣伝します)。
 仕事のため、夏休みもなかったし、9月のイタリアの学会行きもキャンセル。夜も遅くまで働き、今は仕事をやりこなす事しか考えていません。

 ところで、仕事が大変になってくると、自分を見失うことはありませんか?こういう時ほど、冷静になり、客観的になり、素直になる必要があります。最近は、茶道の先生方に教えていただいた「初心忘るべからず」を思い出しています。そして、自分の日頃の行いにも、その言葉を実践しようとしています。もちろん、弱い、愚かな人間なので、直ぐそれを忘れてしまい、自分が何でもできると思ったり、回りに迷惑をかけたりしてしまうこともあります。ですが、常にこの言葉を自分に言い聞かせています。
 「初心忘るべからず」ということは、簡単そうで、実はとても大変なことです。自分が何でもやりこなせるプライドは大切だと思いますが、紙一切れの違いで、自分ひとりでやりこなしていると勘違いすることもあります。やはり、いろんな方、そして阿弥陀さまのお蔭さまがあってからこそ、今やりたい仕事をやらさせてもらっているのではないでしょうか?やはり、初めての心、素直で謙虚な心が大事だと思います。

 子供のとき、母はよく「実るほど頭が下がる稲穂かな」ということわざを教えてくれました。子供の頃は、この意味が理解できませんでしたが、大人になってから、というか40歳になってやっと最近、分かってきた感じがします。このことわざも最初、基本に戻りなさいと言っていると思います。阿弥陀さまの前で手を合わせて、お念仏を唱えると、自然に素直な気持ちになります。自然に初心の気持ちになるのはなぜでしょうか?
 言い訳のようですが、私は申年で、自分のことを典型的なサルだと思っています。利口だけど、自分勝手、ちょっと頭いいけど、おっちょこちょいで、直ぐいい気になってしまう。大学で仏教経典の授業で(漢文でお経を読み、それを英語に訳し、ディスカッションをしていました)、先生があるとき、「中国の古典文学で一番妄想が激しいものは」とクラスに訪ねたとき、直ぐ答えが分かりました。それは「猿」です、先生は『西遊記』に出てくる孫悟空のお話をしたかったのです。自分で何でもできると思い込み、雲に飛び上がり、光のように遠く遠く飛び回っている気になる孫悟空。それは、実は仏さまの手のひらの上でした。色々と一人で頑張っているつもりですが、実は上には上があります。自分でやっているつもりですが、実は目に見えないあらゆるお蔭さまでやらしてもらっているのです。
 誰でもが、あるときはサルになったり、天狗になったり、般若のお面のようになることもあると思います。ですが、大切なことは正しく、優しく、明るく生きることではないでしょうか?手を合わせ、お念仏を唱えると、静かな気持ちになり、初心に戻ります。初心に戻ると、自分で生きているのではなく、生かされていることを実感し、自分の人生に感謝を感じます。人生に感謝を感じると、自然に人生が楽しく感じます。有難いことです。

合掌

 原 真 理


 6月の末であろうか、あるお檀家さんの年忌法要がおこなわれた折、お施主さんの申すには、「葬儀から年忌法要まで毎回雨ばかりで、来ていただく皆さんに申しわけなくて。今日の法事は初めて晴れました。とてもよかったです。」 と、嬉しそうである。「しかたありませんよ。亡くなられたのが梅雨時ですから、法要の折は雨になってしまうのが多いのですよ。」と声をかける。

 ところで、人と出会ったときの挨拶に、時候の言葉から始まるのが常である。「とてもよいお天気ですね。」、「寒くなりましたね。」、「毎日雨ばかりで困りますね。」のごとくである。挨拶に天候のことを話題にするのは、たぶん人間だけであろう。ほかの動物は、出会うと、自分の味方であるか敵であるかを、瞬時に判断することが最優先である。まず自分の命を守るための仕事である。犬であるならば、味方であると思えば「クンクン」と尻尾(しっぽ)振るし、敵と思えば「ウー!」と攻撃態勢をとる。
 人間とて、握手をするのは、私は手に武器を持っておらず友好的である証とする。人間は心に思ったことを直接口にすることはしない動物である。出会ったとき「嫌な奴に会ってしまったな。」と思っても、それを口にすることは決してない。そのまま口にしたならば動物と同じになってしまう。とりあえず「毎日暑くていやになってしまいますね。」と声をかけるのである。これ以上相手をしたくないと思えば、「先を急ぎますので」となる。結婚披露宴なども、晴天であれば「よいお天気に恵まれて」と、雨が降れば「雨降って地固まると申しまして」となる。

 身内のこととなるが、あるお寺の葬儀に参列したときの導師の挨拶が、「本日は晴天に恵まれまして、やはり亡くなられた前ご住職の徳が高いからでしょう。」と始まった。お坊さんの挨拶としては、何と不用意な言葉であろう。葬儀などの折、お天気のよいときもあれば、雨のときもあり、ときには暴風雨の場合もある。決して故人の徳によって天候が変わるわけではないことを肝に銘じてほしい。「徳が高いからお天気に恵まれて」とは、最大級の賛辞のつもりであろうが、雨のなか親の葬儀をつとめられた人には不快感を禁じ得ないであろう。
 時候の挨拶は、プロローグであって、それに特別の意味を持たせてはいけない。ときには雨のなか、結婚式や上棟式、ときには葬儀式まで営まれていることを忘れてはならない。当事者や参会者の人格によって、天候が決まるわけではないからである。

 僧侶には決して許されないと思うが、どうであろう。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


知恩院門跡中村猊下表葬(晴天)


その2


 

第268回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
9月19日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
本法寺 清水 俊匡 師
参 加 費
無料
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
10月17日(金) 同時刻  長源寺 高木 泰孝 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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