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次回配信日は、4月1日です。



雨の地鎮祭(1)


雨の地鎮祭(2)


金塊入り?の瓶

─―─ 地鎮祭 ─―─

 いよいよ書院庫裡建設の地鎮祭となった。吉日を卜定してというが、大安であることと住職の都合で決まった。安易な決め方がいけなかったのであろうか、当日は土砂降りの雨である。建築関係者には式場づくりに、参列者には足場の悪さにと、多大なご迷惑をお掛けした。
 
 ところで、地鎮祭に相前後してある祝賀会に参列した。当事者側はやはり天候を気にしていて、挨拶に「天気に恵まれ………、皆さまのお徳により………。」ときた。以前にも述べたことがあるが、「天気に恵まれ………」まではよいが、「皆さま(時には故人)のお徳により………」は避けるべきである。そもそもひとつの結果に対して、安易にその原因を口にすべきではないことを、少なくとも僧侶たるもの慎むべきである。宗教家である以上、因果について論ずるときは、細心の注意と確たる信念をもっての発言が求められることを肝に銘じておこう。挨拶の枕などに口にすべきではないのである。

 雨の地鎮祭、まさしく住職の挨拶は、「足下とお悪いなか………」と始まり、「雨降って地固まるとは、まさしくこのような日のための辞(ことば)でして………」と相成ったわけである。

 式典では、鎮め物(しずめもの)として香、経典、五穀、宝輪を瓶に入れて埋めた。
 ところで、今までの書院庫裡の解体の時、なにが出てくるか楽しみにしたものである。重機の下から瓶のようなものが見えたときは、一瞬ではあるが興奮を禁じ得なかった。小判でもと思ったのである。先祖が、つぎの事業のためにと資金を埋蔵してくれたのではないかと思ったが、大きな徳利であったのが願成寺らしい。

 わたしも、次世代のためにしかるべき資金、通貨は価値の変動があるので、やはり金の延べ棒をいれるべきであろう。悔しいかな、次世代に繋ぐ資金がない。断腸の思いで、今ある硬貨をいれたが、気持がおさまらない。そうだ金山で売っていた土産ものの小判を入れておこう、そしてイミテーションしか入れられなかった詫び状をと妻に話したが、一蹴されてしまった。まだ、気持だけでもと未練がある住職である。


しずめ‐もの【鎮め物】シヅメ‥
地鎮祭に地中に埋める呪具。人形ひとかた・鏡・剣などを壺などに入れて埋めた。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


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第4巻「夕顔」その4(下の品の女に興味をいだく光源氏)

 御前駆(さき)の松明(たいまつ)もほのかにて、たいそう忍んでお出になられる。さきほどの半蔀(はじとみ)は降ろしてあった。隙(ひま)などから見える灯火の光は、蛍よりさらにほのかで寂しげであった。

 お心ざしのところ(六条御息所)には、木立や前栽など、すべて一般のところとはちがっていて、たいそうのどかに心憎く住んでおられる。女のうちとけないありさまなど、様子が異なっているので、先ほどの垣根の家をお思い出すまでもなかった。つとめてすこし寝過ごしになられて、日がさしのぼるほどにお出になられた。朝の姿は、まさに人のお褒めになるのも道理である様子であった。
 今日も昨夜の蔀の家の前をお通りになられる。今までも通りすぎになられたあたりであるが、ただ歌をかわしたことにお心が止まりて、どなたの住み処であろうかと行き来にお目がお止まりになられた。

 惟光は何日かして参上した。
「患っておりました人がまだ弱げでございましたので、何かと世話に手が掛かりまして」など申しあげ、近くに参りよりて申しあげる。
「仰せられましたのちに、隣のことを知っておりますものを呼びまして尋ねましたが、はかばかしいことも申しませんでした。たいそう忍んで5月のころより住んでおられる人であるようですが、だれであるかはその家の人でも知らせていないと申しております。時々、垣根からのぞき見をいたしますに、たしかに若い女たちの影が見えます。褶(しびら)のようなものを形ばかり着けていて、ご主人に仕える人がおられるようです。昨日、夕日がはっきりと差し込んでおりますときに、文を書くといっていらっしゃる人の顔こそ、たいそう美しいものでございました。物思いをしている気配で、仕える人たちも忍んで泣く様子など、はっきりと見えました。」
と、申しあげる。君もうち笑いになられて、さらに知りたいものであるなとお思いになられた。
 世のおぼえこそ重い御身のほどであるが、お歳の若さや人々がお慕い思し申しあげることなど思うに、好き者でないのも情けなくつまらないであろう。人の承知しないほどの人であっても、それなりの女のことは好ましく思うのであるからと、惟光は思っている。
「もしも見ることもあろかと思いまして、ちょっとしたついでをつくり出して、手紙などを使わしました。書きなれた筆で、すぐに返事などしてまいりました。たいそう気にかかる若人などがいるようでございます。」
と申しあげると、
「さらに言い寄れ。わからなくてはつまらぬことになる。」
とおっしゃる。
 雨夜の品定めで、下のなかでも下と人の捨てた住み処であるが、そのなかにも思いのほかの女を見つけたならばと興味をお持ちになられた。


褶(しびら)
裳もの一種。地位の低い女房のつける簡略な裳。源氏物語夕顔「―だつものかごとばかり引きかけて」(広辞苑)

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


青表紙本源氏物語「夕顔」(新典社刊)


「夕顔」本文


 

観音堂大祭(諸祈願)のお知らせ

 春のお彼岸に観音堂の大祭を厳修いたします。寺伝によりますと、頼朝公が三嶋大社に百日祈願の折、当願成寺を宿舎といたし、その願が成就いたしたことから「願成就寺」の寺号を賜りました故事により、諸願成就の祈願をおこないます。当日ご参加できません場合には、お札は郵送申しあげます。また、当日前年のお札等を炊きあげますのでご持参ください。当日は「餅まき」「模擬店」「野菜青空市」等を予定いたしておりますので、お誘い合わせてお出かけ下さいませ。

日   時
3月20日(春分の日) 【11時】法要、【12時】餅まき
祈 願 料
3,000円 特別祈願料 1万円
申 込 み
お彼岸のお参りの折、電話、FAX、E-mail (前日までに)

 

第274回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
3月20日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
4月17日(金) 同時刻  

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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