願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、10月15日です。



ストラス牧場のかわいい子牛ちゃんたち


この防水シートのしたに牛のフンをためて、
そこから発生するメタンで電気発電をします。

 最近、共生(きょうせい、coexistence, symbiosis)がキャッチ・フレーズとされていることが多いようです。もともと、仏教の縁起思想(一つの行為が他の全てのものに繋がっている教え)から来る言葉です。20世紀には、浄土宗の僧侶で、仏教学者の椎尾弁匡先生(しいおべんきょう、1876-1971)が、仏教の運動として、共生運動を立ち上げました。椎尾先生は、『共生教本』、『共生法句集』、『共生仏教』など、共生について様々な本を書きました。仏教思想を通じて人間と自然、人と人の繋がり、そして自分と体の関係について説きました。また、建築家の黒川紀章の『共生の思想』でも、「共生」という言葉が一般に広まりました。

 黒川先生がプロローグに題した「なぜ、いま共生の思想なのか」について、私も改めてこの質問について考えてみたいと思います。そして、どのように仏教が今、自然破壊、温暖化、戦争など様々な問題を抱えているこの混乱している世の中に適切なのかということを考えて見たいです。仏教が、どのように今の世の中に通用するかと言う質問は日本の仏教だけではなく、世界的に考えられています。そして、仏教だけではなく、他の宗教も、同じような質問に取りかかっています。

 「共生」とは、ただ単に概念だけではなく、生き方の姿勢として大事な思想だと思います。人間と自然、そして人間同士、どのように、本当の共生を得られるか、考えて行く必要があると思います。
  
 あらゆる問題のなかで、特に興味があるのが環境問題です。世界中、「エコ」と言う言葉を最近よく聞きます。テレビや広告に見ることもあります。まるで、新しい概念のように大流行ですが、考えてみれば、昔から「エコ」と言う考えはありました。大量生産のお陰で、世の中は便利になりました。ですが一方では、大量生産が、自然の破壊にも貢献してきたことは、事実です。それは、やはり人間が責任を持たなければなりません。

 地球の資源は限られており、最近やっとそれが無制限に使えないと分かってきたようです。しかし、今でも大量生産がおこなわれ、まだまだ意識のレベルが低いと思います(これは、自分も含めてです)。今や省エネと言っていますが、これは70年代に、「エネルギー消費のピークに到達した」という悲鳴を提示した科学者は少なくありません。それにも関わらず、大量生産は続いて来ました。もはや、赤信号を無視し、以前より大量に生産が行われて来ました。今になって、「エコ」と言うのは、遅いかも知れませんが、人間がこの地球に生きている限り、皆で協力しあってどうにかすることが必要だと思います。

 先月、友達に誘われ、240頭を飼っている、ストラウス・ファミリー・クリーマリー(Straus Farm)という牧場に行きました。この牧場は、牛にはホルモン剤を与えなく、餌も化学肥料を使わない草などを牛に食べさせています。有機的にミルクやアイスクリームなどの乳製品を作っております。そして、なんと、牛のフンを 化学肥料に使ったり、そのメタンをエネルギーとして使っています。牧場が使う90%のエネルギーは、牛のフンから出るメタンを利用するそうです。これには、本当のエコだと関心と感動をしました。

 ものを無駄に使ったり、要らないものを無闇に買ったり、何でもゴミにしてしまったり、ものがゴミになることは、「エコ」ではないと思います。そして、共生的な生き方ではないです。仏教者としての生き方は、まず共生の生き方にして行く必要があるのではないでしょうか?


 一息も、草木の息と、共なれば、
       このみさながら、雨土広し
                        椎尾弁匡

 原 真 理


 建設工事も進み、内装に忙しい現場である。ひとつひとつに職人さんたちの意気込みが感じられる。「よいものを作ろう」というその一言だけが集まってきている。そしてその気持が、棟梁そして現場監督によって束ねられていく。

 毎日、現場に入るのが楽しみである。時には2時間もの時間が経過される。ある職人さんが言う。
「現場にほとんど顔を出さない住職さんには、一抹の寂しさを感じるが、ここの住職さんのように、四六時中、現場にいられるのも鬱陶しい(うっとうしい)。」
 現場が楽しくてしょうがないのである。

 建物は、ひとりの力でできるものではない。これもひとつの「共生」であろうか。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


意匠を凝らした玄関戸


秋田杉の格天井



階段


 

第281回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
10月16日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
長源寺住職 高木 泰孝 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
11月20日(金) 同時刻  西福寺住職 矢弓 尚善 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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