願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、5月15日です。



大自然の中では、人間はとても小さなものです。


自然は素晴らしいです。

 あなたにとって大切なことは何ですか?答えは人それぞれだと思いますが、たまには、「大切なもの」や「大事なこと」は何かと自分に問うことがあります。その時によって答えが変わることもありますが、よくよく思ってみますと、価値観とは、とても面白い概念です。人々の価値観で、世の中が動かされているのです。社会や経済、政治、すべてが価値観で変わることができます。逆に、価値観もそれらによって大きく影響され、変化することもあります。

 例えば、経済状態が良い時は、お金はそんなに大事に感じないかも知れません。しかし、不景気になれば、突然、お金は大事に感じ、以前よりは気を使ったり、貯金したりします。同じように、元気な時はあまり健康に気を使いませんが、病気になれば、突然、健康の大切さを思うようになります。このように、事情や時によって、価値観が変わることがあるのです。でも、人間の歴史や文学を見てみると、あまり変わっていない価値観は、「愛情」と「家族」だと思います。かたちが違っても、どの文化のなかでも、「愛」と「家」は大切にされて来ています。アンケートを取ってみれば、今でも「一番大切なものは?」と聞かれると、その答には「愛情」と「家族」のどちらかがかならず入っているでしょう。
 もちろん、それが全てではありません。でも、今、ここに、自分がいます。ここに、存在しているのは、親がどこかで出会ったからです。そして、親の親がまたどこかで出会ったから、親がいます。それらの出会いがなければ、私が今ここに存在していないかも知れません。いや決して、独りで存在していません。
  「なぜ、私が私で、あなたはあなたか」と考えたことありますか?生きて行くためには、物理的なものから目に見えないものまで、無数なものが必要です。人生は、偶然の固まりか、或は何か計画があるのか、分かりません。どちらにしても、今ここに私たちは生きています。そして、一人一人がお互い、そして全てが大自然と繋がっています。また、それらは、過去、現在、そしてこれからの未来に繋がっています。この繋がりは、仏教で、「因縁」と呼びます。そして、それらの原因と結果は、「因果」と言います。難しいようで、簡単。また、簡単なようで、難しい。それが、仏教の深い教えだと思います。

 仏教では、人間に生まれて来ることはとても難しい、尊いことだと教えます。これは、人間が一番だと言う訳ではないと思います。ただ、他の動物や生き物ができない言葉と言う表現などがあるからかも知れません。他の生き物と違って、様々な知的な判断をすることができます。それに寄って人間は善い行動や悪い行動を行います。

 普段の生活では、自分にとって大切なことは、殆ど考えません。忙しい毎日に巻き込まれ、あまり深く人生のことを考える余裕はないです。でも、時々、「私にとって何が大切か」と自分に問うことはよいと思います。「私はなぜ今、ここにいるのか」、「なぜ生まれて来たのか」と思いませんか?一つ、一つ、そして一人、一人の不思議な繋がりで結ばれています。私が今ここにいることは、親、そしてその親、その親の親とずっと過去に繋がります。そして、その人たちの一つ、一つの行動で私の今がなりたっています。だから、我々の行動は種のようなもので、善い行動をすると、善い結果があると仏教で教えられるのです。繋がっていることを忘れてはいけません。

 私は、お念仏を称えることで、目に見えないその繋がりに触れることがでます。目をつぶって、手を合わせて、「南無阿弥陀仏」を口にすると、阿弥陀様の大慈悲を感じます。そして、それが本当に大切なことと思います。

 原 真 理



 今回より願成寺メールマガジンに参加させていただくことになりました、願成寺副住職の魚尾和瑛と申します。身の回りのことから仏教のお話をさせていただきますのでよろしくお願いします。

 さて、いま東京上野の国立科学博物館では、「大哺乳類展―陸のなかまたち―」という特別展が開催されています。この特別展は、今年 2010 年が国際生物多様性年であるとともに、「シートン動物記」を記したシートンの生誕150周年を記念して開催されております。私が参りましたのは開館直後の土曜日でしたので、家族連れからカップルまでたくさんの人が訪れていました。

 この大哺乳類展では、科学博物館が所蔵するはく製や骨格標本、日本全国の博物館などから集められた標本などが、「進化」、「生活」、「生体」などに分類されて展示されています。はく製や骨格標本がずらっと展示されているさまは生きている動物と同じように圧倒されます。特に、白クマの立った姿のはく製は、横に展示されていたヒグマのはく製よりも更に大きく、段違いの迫力がありました。また、2008年に上野動物園で亡くなったリンリンのはく製標本も展示されています。
 さまざま展示されているなかで、ひときわ目立つ標本があります。それは、象の鼻の標本です。アフリカ象とアジア象の二種類が展示されており、標本といえども象の鼻をまじかで観察することはなかなかできないので、時間をかけてじっくりと観察してみました。写真でおわかりになるかと思いますが、象の鼻の穴もちゃんと 2 つあるんですね。象は巨体を支える四股の代わりとしてこの鼻を手のように使います。また、この鼻は骨が入っていないので、様々な方向に柔軟に動かすことが可能なのです。あらためて象の鼻に感動しました。

 さてこの象、仏教発祥の地であるインドには、アジア象の仲間が分布しています。そして象は、仏教と大変深いつながりを持っています。
 お釈迦さまの母親である摩耶夫人は、白い象が体に入ってくる夢を見て、お釈迦さまを懐妊されたと経典には書かれています。また、普賢菩薩が乗られているのも白い象であり、歓喜天(別名をガネーシャ・聖天)も象の姿をしています。このように、象は仏教におきましては大切な動物であり、もっとも仏教と関わっている動物と言えます。

 ではなぜ象がこれほど仏教で大切にされるのでしょうか。残念ながら経典からは、象がなぜこれほど重要かつ神聖視されるのかは読み取ることはできません。しかし、推測が許されるならば、インドにおいて象は最大の動物であったと思われます。また、時に賢く、時には想像を絶するほどの力を発揮します。このような体の雄大さと賢さ、力強さが仏教の象徴的なものになっていったのではないでしょうか。

 どうぞ涅槃図におけます象を始め、いろいろな象さんたちに出会っていただけたらと思っております。また普賢菩薩は、東京のホテルオークラにあります大倉集古館や奈良法隆寺で、歓喜天は浅草本龍院の待乳山聖天などでそのお姿を見ることができます。


ふげん‐ぼさつ【普賢菩薩】 (梵語 Samantabhadra)
仏の理法・修行の面を象徴する菩薩。文殊菩薩と共に釈迦如来の脇侍で、白象に乗って仏の右側に侍す。一切菩薩の上首として常に仏の教化・済度を助けるともいう。 (広辞苑)

かんぎ‐てん【歓喜天】 クワン‥
仏教の護法神の一。ヒンドゥー教のガネーシャが仏教に入ったもの。障害をなす魔神を支配する神とされ、事業の成功を祈るためにまつられた。形像は象頭人身で、単身像と妃を伴う男女双身像がある。妃は十一面観音が魔神としての働きを封じるために現した化身だという。歓喜自在天。大聖歓喜天。略して聖天ともいう。 (広辞苑)

 天主君山現受院願成寺副住職
 魚 尾 和 瑛


剥製たち


象の鼻


お釈迦さまの涅槃を悲しむ動物たち(部分)



 

第288回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
5月21日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
養雲寺住職 青野 溥芳 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
6月18日(金) 同時刻  福泉寺住職 岩佐 善公 師

 

大施餓鬼会のお知らせ

 本年もお施餓鬼会法要を、下記のごとく厳修いたしたくご案内申しあげます。ご先祖の供養とともに、一日ではありますが、みほとけの教えにふれます良い機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい(当日ご参加できません方には、当寺にてお塔婆をお墓に立てさせていただきます)。

日   時
5月30日(日)  【13時】法要
法   話
大場 朗 先生 (大正大学教授)
古典文学と仏教
供 養 料
3,000円
申 込 み
お参りの折、電話、FAX、E-mail(前日までに)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。



 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。


 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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