願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、7月1日です。



ある斎場炉前ホール(1)


ある斎場炉前ホール(2)

 このテーマでの第2回目になります。今回考える対象は、いわゆる「直葬」という葬儀のあり方についてです。

 前回、「家族葬」が大変に増えている、ということを論じました。直葬という形態はさらに簡素化した葬儀のしかたで、自宅や斎場などの式場を一切準備しない形態です。最も極端な場合には宗教的儀式は一切なく、棺を火葬場まで運んだらそのまま火葬炉に納めて、荼毘にしてしまいます。

 そこまで極端でない例では、火葬場に到着してから、ホールのような場所で最小限のお経を唱える形や、炉に納めてから簡単なお勤めをする形などがあり、一回一回状況に合わせて方法も変わります。お戒名をつけることもありますが、俗名のままということが大半です。

 直葬を選択される理由は大きく2つに分けられますが、まずひとつは経済的な事情です。式場を借りる費用が大変だとか、菩提寺が遠方で49日の法要で改めて親族が集まり事実上の葬儀をするから、それ以外は最低限の出費に抑えたい、などという理由です。
 こうした場合、それは各家庭の経済上の問題で、実際やむを得ないことでもありますし、私たちとしても限定された状況の中で精一杯にお勤めいたします。

 問題なのはもう一つの理由のケースで、それは宗教的な儀式に一切の意義を認めない。本来積極的な宗教否定論であるのに、様々な事情、大概はご親族の不満をなだめるために、最低限お経をあげたという形を整えるためだけの場合です。
 こうしたケースでは、喪主自身が焼香したがらないといった、信じられないようなこともあります。

 無論どんな状況であれ、頼まれて読経する以上は真剣に致しますが、一方でこの家は何のために読経をしているのか、非常に複雑な感情が生じることも事実です。
 こういった方々のお考えを一言で集約すると、
 「人間死んだらそれで全ておしまい。」ということです。大変な愚論です。

 誰かが亡くなられても、その人とかかわりを持っていた方々は大勢います。その方々の思い、その方々の心というものは全く考えられていません。「自分が」「無意味だと思うから」「自分で」「決めておく」。
 そこには自分以外の他者の姿はありません。究極の勘違い、最悪のエゴイズムだと思います。いったいその人は自分自身の力だけで生きていたのでしょうか?

 互いに支え合わなければ一日も生きていられないのが、私たち人間という存在です。まるで自分だけに決定権があるかのような認識は、根本的に間違っています。今自分が生きていられるのは、両親はじめ様々な方との縁が積み重なった結果です。

 例え自分の命といえども、自分ひとりで何かを決めるということは、過去の蓄積を全て無視する「おこない」です。そういう事実を理解していれば、宗教的信仰の有無を問わず、人生最後の儀式を自分だけで全て決めてしまうことの非礼さが判るはずなのです。まして死後のことはいずれにしても全て他人任せにするしかやりようがないのですから。

 浄安寺住職  八 幡 正 晃



 法然上人800年遠忌にむけまして、「書院の建設」「境内整備」「墓地の造成」と事業を進めて参り、この1月には増上寺ご法主八木季生台下をお迎えいたしまして、「法然上人800年大遠忌法要」を務めさせていただきました。お檀家さまを始め多くの人々の結縁の賜物と深く感謝申しあげるところでございます。

 先日、最後となりました墓地の工事の完成を迎えました。工事関係者とともに式典を厳修いたした次第です。ひとつひとつの墓地が、また新しいお檀家さんとの出会いを醸し出してくれますことが何とも楽しみであります。
 墓地を見に来られる方は、すでにお骨があってすぐにでも収めたい方と、将来自分たちが入るための墓地を探している方に分かれます。特に後者の方には、熟慮することをお勧めいたしております。明日にも必要なわけではありませんので、まず墓地を求めることの意味、宗派のこと、そして何よりもこれからどのように生きていくかまで考えてほしいと思っております。無論、墓地を求めようという仏縁、そして拙寺をえらんでくれた仏縁も大切にさせていただきながら。

 あるご婦人が墓地を求めに来られて、ご主人に急逝されてから葬儀、 49日法要、墓地のこと等、蟻が砂糖に群がるがごとく、いろいろな業者がいろいろなことをいってくるのに辟易(へきえき)としたとおっしゃっておりました。葬儀を勤められた僧侶は自分の寺への納骨を勧め、葬儀社は仏壇と墓地を紹介するという等々、すべてを断って、親戚の菩提寺であります拙寺にみえたそうです。最愛の人を失ったことへの配慮が欠けていたこと指摘しておりました。そこで、ご婦人のお話を、心の内をお聞きするところから始めさせていただきました。多少落ち着かれ、このお盆をどうしようかという話になり、すこし安心しました。墓石を造ることは、まだまだ先のこととして。

 ひとつの墓地がたくさんの仏縁を結ぶ手助けをして下さいますことを、大切にしていきたいと思っております。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


新墓地完成


記念撮影



 

第289回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
6月18日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
福泉寺住職 岩佐 善公 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
7月23日(金) 同時刻  願成寺住職 魚尾 孝久 師

 

墓地清掃

 恒例となりました、お盆の墓地清掃をおこないます。檀信徒総出でのお掃除の機会でもあり、また、「そうめん流し」も用意いたしておりますので、ご家族とともにご参加いただけますようお願い申し上げます。

日   時
7月4日(日) 9時より(雨天決行)

 

7月のお盆棚経

 お盆の棚経は、「ご自宅へ伺っての棚経」 と 「お寺での棚経」 とがあります。6月下旬にハガキにてご案内申しあげますので、ご希望をお知らせ下さい。

「ご自宅での棚経」
7月13,14,15日のうちお伺いする日を連絡します。
「お寺での棚経」
7月13日10時、13時いずれかに本堂へ。
前日までにお電話で連絡をお願いします。

 

お盆灯籠流しの販売

 7月16日、三島市仏教会主催の「灯籠流し」が水泉園(白滝公園)でおこなわれます。7月3日より、灯籠を販売いたします。

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。



 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。


 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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