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次回配信日は、10月1日です。




法然上人御影がある六時礼讃堂と石舞台
(四天王寺)


石の鳥居
(四天王寺・西門)


法然上人直筆の「難波名号」
(一心寺)


法然上人日想観の図、右隣は後白河天皇
(土佐光茂画・一心寺所蔵)

 今年は、残暑が厳しく9月中旬になってもまだ30度を超す日が続いている。
 しかし、さすがに秋分の日前頃から、朝晩は少し涼しくなって来た。
 私はこの時期の、秋の気配を感じられる夕陽を観るのが好きだ。自坊の近くに、富士山と共に丹沢連峰が遠望できる、広々とした農業専用地域がある。田んぼの稲穂が黄金色になりはじめている時、天気の良い日だった夕方に、時々散歩をする。雲は朱色に染まったり、様々な色の変化があり、落日の美しさを観る事ができる。

 この時期に思う言葉が「日想観」だ。
 日想観とは、浄土三部経のひとつ観無量寿経の中で説かれている、お釈迦様の教えから来ている。インドのマガタ国の王子である息子の阿聞世(あじゃせ)によって牢に閉じ込められた、母の王妃である韋提希(いだいけ)夫人が、お釈迦さまに救いを求める。
「王舎城の悲劇」で始まる、このお経の中で、「業障(ごっしょう)を浄め除き、諸仏の前に生まれる」方法として、阿弥陀仏と極楽浄土の観想法を、十六の教えで説いている。その中で一番初めに出てくるのが日想観になっている。
 日想観の意味するところは、阿弥陀仏のおられる西に沈む、夕陽を拝して極楽浄土を感じる修行の一つだ。

 日想観の名所に、大阪市天王寺区の四天王寺がある。法然上人二十五霊場第六番霊場になっている。
 その四天王寺に、九月初旬に増上寺布教師会研修会の参加者、四十数名と共に私にとっては初めての参拝させていただいた。新鮮な思いがしたのは、寺院入口に巨大な石の鳥居がある事だ。西大門(極楽門)の外側に位置する石の鳥居は、元は木造であったが、永仁2年(1292)に石造りに改められ現在に至る。年号が判明している物としては、日本最古になる。
 石の鳥居の中央に掲げられた扁額は、縦1.5メートル、横11メートルで、鋳銅製?形になっている。その中の文字には

   「釈迦如来 転法輪処 当極楽浄土 東門中心」

とある。意味は、「釈迦如来が法を説き、ここが極楽浄土の東門の中心である」と言う事になる。
 平安時代には、四天王寺は日想観の聖地であった。石の鳥居と西大門との間には、念仏三昧の関連諸堂があり、浄土信仰の霊地として隆盛を極めていたという。

 四天王寺は、聖徳太子が飛鳥時代に創建したと言われている、我が国最古の寺だ。この寺が日想観の名所になった理由は、昔の四天王寺付近は難波津(なにわのつ)といわれていて、湾が今よりも東に深くはいりこんでいた。寺がある高台から眺めると、西方の海に沈む夕陽がことのほか美しく西方浄土を思わせる絶景だったからだ。
 そして、都の西方を守護する鎮護国家の官寺だったために、四天王像は西を向いていた。海の彼方から来る敵を睨むように、新しい伽藍になる昭和38年(1963)までは、横一列に並んでいた。広々とした境内の中には、多くの堂宇がある。和宗総本山としての、御本尊は金堂に安置されている救世観音菩薩だ。

 ひき続き、法然上人二十五霊場第七番、四天王寺西大門と石の鳥居の、すぐ坂の先にある一心寺を参拝させていただいた。
 法然上人は、一心寺で文治元年(1185)の春彼岸の頃に、日想観を修められた。その時代には、大阪湾はもちろん、四天王寺と同様に遠くには淡路島と六甲山を望み、明石海峡に沈む夕日は格別の美しさであったと伝えられている。

 観無量寿経の中で、絶望の淵に立っていた韋提希夫人に、お釈迦様が西方浄土を観想する教えをお説きになったのが、日想観だ。
 夕闇が迫る中、光輝く希望に満ち溢れる太陽は、心の暗がりに光明をもたらす慈悲の心になる。これから益々夕陽の美しい季節になって来る、西方に沈む太陽を拝む日想観を、おすすめしたいと思う。

 桂林寺住職  永 田 英 司








 浄土宗総合学術大会に参加するために、京都華頂大学に出かけた。年一回であるが、それぞれが研鑽してきたことを互いに発表する場である。
 会場の京都華頂大学は、浄土宗総本山知恩院の門前にあることから、昼休みを利用して登山した。

 ご承知のように、法然上人800年大遠忌を無事終えた知恩院は、平成の大修理が始まっており、国宝の御影堂(みえいどう)の解体修理がその中心となる。
 御影堂(みえいどう)は、その雄大なたたずまいから大殿(だいでん)とも呼ばれ、江戸時代初期から浄土宗を開かれた法然上人の御影をおまつりしてきたお堂でである。
 建築様式は唐様を取り入れた和様、大きさは、奥行35メートル、間口45メートル。周囲に幅3メートルの大外縁をめぐらすという知恩院最大の堂宇で、平面積では日本で5番目に大きい寺院建築。寛永10年(1633)の火災により焼失したが、寛永16年(1639)に徳川家光によって再建され、平成14年には国宝に指定された。

 まずおこなわれる工事は、御影堂全体をすっぽりと覆い隠す「素屋根」の建設。素屋根は、屋根などを取り外した状態の御影堂を雨風から保護し、作業の足場とするために設置されるものである。修理が完了した時には取り払ってしまう仮の屋根であるが、御影堂の素屋根は高さが41メートル(一般的なマンションの13階相当の高さ)にもなるため、素屋根をつくるだけでも1年間を費やす大がかりな作業になる。素屋根が完成すると、平成25年からは、いよいよ屋根の葺き替えや小屋・軒廻り、建具など御影堂本体の修理が行われる予定である。
 私が訪れたときは、ちょうど素屋根によって御影堂が覆い隠された日で、地元の新聞も大きく報道していた。

 大遠忌法要も終わり、御影堂は閉鎖され、国宝の山門のに登るための仮設の陸橋もはずされ、年寄りには登るのも難しい。ご本尊の法然上人は、法然上人御堂「集会堂(しゅえどう)」に安置され、今までのようにお参りできるが、残暑の厳しい昼下がりのためもあってか、やはり寂しい限りの知恩院であった。

 私が心配することではないが、やはり知恩院へのお参りは、8年後の修復までまたねばならないのかと思った。すぐさま、自分の間違いに気づかされた。少なくとも私は御影堂を拝するために知恩院にきたのではないことである。法然上人にお会いするための知恩院であった。
 観光としては、御影堂を拝することができないことは痛手であろうが、ご本尊さまをお参りするには、何の問題もないことである。

 大きな過ちを犯すところであった。工事のあいだも今まで通りに参拝するつもりである。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


素屋根に覆われた御影堂(1)


素屋根に覆われた御影堂(2)









宗祇法師の会 (9月例会)

 日大名誉教授藤岡武雄先生を中心といたしまして、宗祇法師の顕彰と研究をする会です。
どなたでも参加できます。申込は不要ですので当日お出掛けください。

日   時
9月24日(月) PM1:30〜3:30
会   場
願成寺 TEL:055-975-1763
参 加 費
無料
主   催
三島ブランド 宗祇法師の会

 

第317回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
10月12日(金) PM6:00〜7:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
大泉寺 小島 捷亮 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
11月16日(金) 同時刻  如来寺 荻田 宣史 師

 

ハワイ「ラハイナ浄土院」100周年

 ハワイのマウイ島にあります「ラハイナ浄土院」は、大正元年、カフルイ浄土院を開いた原聖道師がラハイナに土地を借りて仮布教所を設置、翌年着任した斉藤原道師が寄付などを集めて大正3年に堂を建てたのが始まりとなっているが、昭和5年、同じラハイナの海に面した現在地に土地を購入して移転している。同院は他のハワイの寺院と違って日本的に作られているのが特徴である。昭和43年、火災で本堂が焼失し、原源照師らの努力で3年後に再建された。日本から大工を寄せて、日本式本堂と三重塔を建てたのである。境内には、このほか鎌倉大仏を縮小したミニ大仏、鐘楼、山門、東屋などがあって、観光客が多く訪れている。
 今年の10月21日に開教100年の大法要が催されます。住職が代表いたし参拝いたして参ります。

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

  「燃えないゴミ(ビン・カン)」
 市のゴミに出します
  「土に返すゴミ(花・香花)」
 寺にてチップにして土に返します
  「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
 寺にて土に返します
  「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
 市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。








▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開 催 日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場  所
 願成寺庫裡
費  用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。







 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


 







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