願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、3月1日です。




法泉寺の御影と檀家手作りの色彩豊かな あがり餅


重厚な二層山門


歴史ある本堂での布教法話


現存する街道脇の藩境の石列

 浄土宗の宗祖法然上人は、建暦2年(1212)1月25日に、80歳で往生された。
 法然上人のご遺徳をしのぶ法要を御忌(ぎょき)という。
 御忌と呼ばれるようになった始まりは、大永4年(1524)に「大永の御忌鳳詔(ほうしょう)」と言われている出来事があったからだ。
 元来「御忌」という言葉は、天皇や皇后の命日にいとなまれる法要の尊称である。しかし、後柏原(ごかしわばら)天皇が、知恩院25世超誉存牛上人に「浄土宗を開かれた法然上人の恩徳を忘れないように、入滅された知恩院で七日間の御忌をつとめなさい」という、お言葉がきっかけだった。
 だから、その昔は1月25日(旧暦では、現在の2月中旬から3月上旬頃)に、全国各地の浄土宗寺院で、盛大なお勤めがされていた。多くの人々に、親しまれていた一例が「御忌詣」と言う、俳句の季語にもなっていることでもわかる。

   着だふれの京を見に出よ御忌詣

 江戸中期の俳人、高井几董(たかいきとう)の句で詠まれている。
 しかし、後の時代の明治10年から、春暖かい4月頃に日程が変わった事もあり、今では多くの寺院が4月から5月頃までの季節を、御忌としている。
 ところが、現在も1月25日に、御忌のお勤めをしている寺院に行く機会があった。福岡県南西部、大川市の福岡教区筑後第二組の法泉寺だ。
 御忌会法要は、3日間。1月23日から25日までで、布教法話五席の為に伺った。
 仏縁は、平成19年11月に、大本山善導寺布教師会と大本山光明寺布教師会の、合同研修会「宗祖 捨世派以八上人ゆかりの寺参拝」の旅だった。
 法泉寺の住職、安藤雅寛上人が、当時の善導寺布教師会会長であった事もあり、旅の途中に多くのご教示をいただいた。
 昨年の12月に、「末代念仏授手印のふるさとを訪ねて」で、九州にお伺いした。再びお会いした時に、お声をかけてくださり仏縁が繋がった。
 霊玉山浄土院法泉寺は、天正年間(1573〜1592)に開山された、筑後有数の名刹だ。
 ご本尊は、上品上生の阿弥陀如来および、観音菩薩、勢至菩薩は、浄阿弥陀作と伝えられている。
 本堂は、開山当時のものと伝えられている。宝形造り本瓦葺き、内部は内陣外陣境と来迎柱のみ円柱で、その他は角柱となっている。
 山門は、二層山門だ。重層の鐘楼門で入母屋造りの、本瓦葺はとても形が良い。祈りの空間への導入として、空気を変えてくれる建築力が強く感じられた。

 法泉寺前の街道は、江戸時代に久留米藩と柳河藩の藩境に位置していた。
 現在も近くに「藩境の石列」として保存された場所がある。この地に、文化8年(1811)測量の為に立ち寄った、伊能忠敬の日記に「右八幡宮、左側久留米柳河境石」と書いてあるという。
 大川市は、筑後川の流れが木の道となり、家具の街を育んだ。川の肥沃な水は、有明海を貴重な自然環境の宝庫として、豊かな海を形成している。

 自然の恵みの中で、日常を暮らしている篤信の檀家の皆様と共に、3日間の御忌における念仏を、お唱え続けられたのは、有難かった。
 後柏原天皇からいただいた、大永の御忌鳳詔の精神が、法泉寺で今も生き続けていると思えた。

 桂林寺住職  永 田 英 司


今回久しぶりの個展です。
お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。








 宗祇法師が、わが願成寺で『古今和歌集』の奥義である「古今伝授」を、東常縁(とうのつねより)から授かったという。するとわたしも俄然、宗祇法師の出自がら業績まで興味が湧いてくる。
 宗祇法師は連歌師として大成するも、その旺盛な文芸観は和歌にも及び、古今伝授を受け、さらには相伝にまで及ぶ。その奥義は、東常縁の子である東素純、さらには公家であり朝廷との繋がりを持ち、また当時の文芸の中心人物である三条西実隆(さんじょうにしさねたか)に伝授されていく。ますます宗祇法師に興味が湧いてくる。

 今から500年前の時代であり、宗祇法師も数々の連歌集や歌論書を残すが、その時代の生き様は思うように知ることができないのが現実である。そうしたなかで三条西実隆は『実隆公記』という日記を残してくれた。
 部分的欠損があるものの63年間にわたる日記であるので、その時代を知るには好史料といえよう。また宗祇法師は82歳、実隆は83歳と長寿であり、文芸ばかりでなく、互いに利害関係もあったところから、その親交は長く深いものであった。

 したがって必然的に『実隆公記』は、読まなければならない史料といえよう。枕もとに電子辞書とともにおいて、少しでも目を通すことに心がけているというと、神妙に聞こえるかも知れないが、現実は厳しいものがある。
 恥ずかしいことに、日本漢文で書かれた日記は思うように読めないのである。1ページと読まないうちに熟睡となる。これではほとんど読んでいないことと同じであるが、このところ長く続いている。

 きっと、関心のあることは長続きするという一語であろうか。睡眠不足もなく、健やかな毎日である。

実隆公記】(さねたかこうき)
室町時代の公卿三条西実隆の日記。実隆20歳の文明6年(1474)正月から、死の前年82歳の天文5年(1536)2月までの約63年間にわたる日記で、その間欠落した部分もあるが、巻子本・冊子本合わせて尨大なものである。原本は三条西家に伝わっていたが、現在は東大史料編纂所の蔵に帰している。昭和6年(1931)から同19年までの間に、芝葛盛・三条西公正・是澤恭三の校訂により、大永6年(1526)末までの日記が、太田藤四郎の主宰する続群書類従完成会太洋社から刊行された。第二次世界大戦後しばらく中絶していたが、高橋隆三・斎木一馬の努力で昭和42年5月に全部の翻刻刊行が完成した。記主実隆が後土御門・後柏原両天皇の信任を得、室町将軍からも重んじられた公卿であるだけに、その日記は当時の朝廷の儀式や動静、公武の消息、とりわけ式微した皇室経済の実情などを知る上の好史料である。また、この日記には応仁・文明の乱の戦火で荒廃した京都の様子、戦国時代的相貌の一段と顕在化しつつあった当時の不安な世相や人心の動揺がいきいきと描写されており、かつ武士の侵略による荘園の不知行化と年貢の減少、それに代わる青苧(あおそ)座の本所料の三条西家家計に占める比重の増大などが、具体的な数字で克明に記されており、この日記は当時の社会史・経済史の研究にも豊富な材料を提供するものである。とりわけ実隆が生来好学の士で、一条兼良のあとをうけて中世和学の興隆につくし、古今伝授の正統をついで当代最高の文化人と仰がれた存在であるだけに、この日記には当時における古典の書写・校合の仕事、『源氏物語』『古今和歌集』などの講釈の盛行、宗祇・肖柏・宗長ら連歌師の活動、また彼らを媒介にしての実隆と地方の大名・土豪らとの文化的な交渉、公家文化と禅宗文化との融合の傾向、公家社会における浄土宗の浸透など、当代の文化史の研究に資する貴重な史料が多くふくまれている。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


『実隆公記』(わたしの睡眠薬)









第321回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
2月15日(金) PM6:00〜7:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
三明寺 大嶽 正泰 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
3月15日(金) 同時刻  延命寺 高橋 俊行 師

 

宗祇法師の会 (2月例会)

 日大名誉教授藤岡武雄先生を中心といたしまして、宗祇法師の顕彰と研究をする会です。
どなたでも参加できます。申込は不要ですので当日お出掛けください。

日   時
2月25日(月) PM1:30〜3:30
会   場
願成寺 TEL:055-975-1763
参 加 費
無料
主   催
三島ブランド 宗祇法師の会

 

観音堂大祭(諸祈願)のお知らせ

 春のお彼岸に観音堂の大祭を厳修いたします。寺伝によりますと、頼朝公が三嶋大社に百日祈願の折、当願成寺を宿舎といたし、その願が成就いたしたことから「願成就寺」の寺号を賜りました故事により、諸願成就の祈願をおこないます。当日ご参加できません場合には、お札は郵送申しあげます。また、当日前年のお札等を炊きあげますのでご持参ください。当日は「餅まき」「模擬店」「野菜青空市」等を予定いたしておりますので、お誘い合わせてお出かけ下さいませ。

日   時
3月20日(水) 【11時】法要、【12時】餅まき
祈 願 料
一般祈願料 3,000円  特別祈願料 1万円
申 込 み
お彼岸のお参りの折、電話、FAX、E-mail (前日までに)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

  「燃えないゴミ(ビン・カン)」
 市のゴミに出します
  「土に返すゴミ(花・香花)」
 寺にてチップにして土に返します
  「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
 寺にて土に返します
  「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
 市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。








▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開 催 日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場  所
 願成寺庫裡
費  用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。







 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


 







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