願成寺ホームページは、 こちら(http://ganjoji.com/)です。

次回配信日は、9月1日です。





インドで見かけた母と子供。クレイジーなインドの道だと、子供の手をしっかり握って歩く親がほとんど。


ちらみせ、母のレシピ!


母の愛と形は違っても、ドンとある父の愛もこれまた偉大だ。

 夏は、なぜかいつも切ない。世間一般的にも、切なさやノスタルジアを前面に押し出してきているような気がする。花火にしかり、夏メロにしかり、「今しかないよ、二度とこの時間は戻ってこないよ」と、蝉のバックグラウンドコーラス付きで、夏は夕陽と汗で叫ぶ。
 小さかった頃は、夏休みが終わって、新しい学年(アメリカの教育システムでは9月が切替月)が始まる不安もあるのか、夏のおわりに感じる気持ちには、変な満足感とともに、少し焦りや、心苦しさも含んでいる。そして大人にになった今でも。

 おませだったわたしは、若さとバカさをほぼ同義語と見なし、14の夏にはもうほぼ毎晩六本木のクラブに剥がれ落ちるほどのメイクと、こぼれ落ちんばかりの胸パッドをブラに詰め込んで出かけていた。その頃もうすでに自殺願望が強く、新しく発見し始めた「女」であるということの価値と、若さの価値を振りかざすことにより自己価値の再確認を行うかのように、慣れないハイヒールで出かけた。16のころにはそれはレイブカルチャーに移って、ドピンクの髪と厚くて重いのに時代劇のお代官様みたいなブッカブカのズボンで夜の街を練り歩いた。ほとんど帰らなくなった。
 そして8月生まれの私は、18になる誕生日を精神病院の閉鎖病棟で迎えた。母は泣いていた。父は謝っていた。だいぶ上の方に設置された、覗けない届かないちっちゃい窓が、ベッドに括り付けられ動けない私を、猫を焦らすかの様に、コンクリートの床に四角を作り上げて時間とともに動いていた。最後の夏だと思っていた。普通病棟に移った後、病院仲間と公園で酒を呑みながら花火をやって、「二度と戻らないよ」の蝉の声に攻められている気がして、また泣いた。

 今回日本に急遽2週間だけ帰っていたのだが、アメリカに発つ前日実家の荷物の整理を行っているなか、昔アリゾナの更生施設に収容されている際、ホームシックになっている私に母が送ってくれたレシピのコピーを読み返した。一度なくしてしまい、「またあのレシシピが欲しい」と去年私の誕生日にねだった際、「30歳の娘にふさわしいレシピ」と数ページ書き足してくれたものをくれたのだ。読んでいて涙が溢れてきた。18歳の娘を、助からないと思い施設に入れた母はどんな気持ちだったろう。遠い国に「置いてきた」と罵る私へ、それでも強くあろうと、そして母であろうと必死に、まるで幼稚園生の子供に書く手紙のように、包丁の絵や、豚さんの絵などでちりばめられていた。読みやすいように、おっきな字で。

 私が小学生くらいの頃、母はバランスをとても崩していた。お酒を沢山飲んだり、安定剤を飲んだりしていた時だった。いつも、「母が死ぬのではないか」と怖かった。怒って物を壊すことや、悲しみで記憶をなくすことなどもあった。母を安心させるために嘘をついたり、帰ってこない他の家族の分もと、母が準備した6人分の素晴らしい食事を途中でトイレに立って吐きながら完食したこともあった。兄から受けていた暴力のことも、兄にまた攻められる恐怖と母が自分を攻めてしまうであろう恐れで、上手く口にできなかった。
 どれだけ母を攻めただろう。どれだけ、私の「荒れた」結果を母のせいにしてきただろう。それでも母は、それを受け止め、離れた私を案じ、攻める私にさえ「かわいいキョウちゃんへ」とエプロンの絵を書いたFAXを送るのだ。

 もうすぐ31歳になる私は、今年はアメリカである従兄弟の結婚式に出るため早めにアメリカに帰り、西海岸にせっかく来ているので山を登り、誕生にはおそらく一人キャンプでもしてからNYCに帰るつもりだ。大人になった私は、やっぱり戻らない時間を知らしめる茹だるような暑さと蝉の声に、今は焦りはないものの強いノスタルジアを感じ、字面からビンビン感じる母の計り知れない愛に打ちひしがれ、アメリカに帰りたくない、とまた泣いた。なんて、なんて恵まれて育ってきたのであろう。母はとても不完全ながら、背筋をピッと伸ばし、なにがなんでも愛し抜くと、がむしゃらに、潔く、その道を進んできた。こんなに不完全な人間たちが愛すからこそ、愛は意味深い、価値のあるものなのだ。
 あまりに幼稚な私は、まだそれを優雅に堂々と受けとれなく、色んな人をこれからもがっかりさせたり、傷つけたりするのだろうけれど、不完全で、時にとても壊れやすい愛を真に受け取れるようになり始めて、自分も愛していけるのだろうと、また母から一つ学ばされた。

 きょうこ 









朝日テレビカルチャースクール三島(第3期)

「 源氏物語」を味わう  〜 光源氏が誘う平安貴族の世界 〜

 源氏物語は、今から千年もの昔に作られた物語ですが、そこに描かれている世界は色あせることなく、現在に生きる私たちに数々の感動を与えてくれます。光源氏の案内で、恋の世界・親子の世界・夫婦の世界、そして死の世界を訪ねてみましょう。きっと新しい人生観を垣間見ることができますよ。

開 催 日
第1・3金曜日 13:30〜15:00
会   場
朝日テレビカルチャースクール三島校(随時入学可、一回受講)
講   師
願成寺住職、大正大学非常勤講師  魚尾 孝久
受 講 料
3ヶ月 全6回 ・・・ 14,256円   1回 ・・・ 下記へお問合せ下さい
申   込
TEL:055-971-4041

 

第363回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
8月19日(金) PM6:00〜7:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F TEL:055-971-5591
講   師
常林寺 山田 太壱 師
参 加 費
無料 (飲み物は各自でお支払いください)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、
ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
9月16日(金) 同時刻  健康アドバイザー 泉  洋 師

 

宗祇法師の会 (8月例会)

 日大名誉教授藤岡武雄先生を中心といたしまして、宗祇法師の顕彰と研究をする会です。
どなたでも参加できます。申込は不要ですので当日お出掛けください。

日   時
8月29日(月) PM1:30〜3:30
会   場
願成寺 TEL:055-975-1763
参 加 費
無料
主   催
三島ブランド 三島宗祇法師の会

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。



ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

  「燃えないゴミ(ビン・カン)」
 市のゴミに出します
  「土に返すゴミ(花・香花)」
 寺にてチップにして土に返します
  「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
 寺にて土に返します
  「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
 市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。








▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開 催 日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場  所
 願成寺庫裡
費  用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。







 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月二回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久


 







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