師走を迎え、今年も残すところ30日あまりとなった。猛暑から残暑と続いたが、さすがに朝は冬の到来を感じさせる今日この頃である。暮れの忙しさに追われると、あっという間に、お正月を迎えてしまうであろう。
しかし子供にとっては待ち遠しいお正月であったが、暮れのうちにしなければならないことが多かった。まず大掃除である。畳をあげて叩く男衆、割烹着に手拭いを被った女衆が象徴的な光景であった。子供は本堂の雑巾掛けである。
25日を過ぎると、お金を渡され、床屋に行って綺麗になってこいという。床屋は大晦日の夜中過ぎまで営業していた。職人たちが仕事を終えてからの散髪であったためである。
三島だけのことであるが、小学生が床屋に行くと「お駄賃(おだちん)」10円をくれる店である。決してまけてくれるのではなく、正規の金額を払うと、お駄賃として10円がいただけた。こうした情報はすぐに広まって、多くの子供が集まり、2時間ぐらいは待たなければならなかった。駄菓子屋さんの商品が、3円5円の時代である。大変にうれしかったが、いつの間にか無くなってしまった。
冬休みになって、毎日が日曜日であるが、テレビがあるわけなく、野山を駆け回るのが遊びであった。しかし自分たちのテリトリーから出ることはない。よその学区、よその町内は、なんとなく怖かった。我々の縄張りは陸軍墓地(城山)であった。
大晦日になると、新しいパンツとシャツが用意されていた。お正月はこれ着るようにと。ようやく待ちに待ったお正月を迎えることになる。
東くめ作詞、瀧廉太郎作曲、唱歌「お正月」の歌詞に
「もういくつねると お正月
お正月には 凧(たこ)あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやく来い来い お正月」
とあるように、お正月を指折りながら待ったものである。お年玉をもらって、三嶋大社境内の露店やおもちゃ屋さんに、かけ参じた。おもちゃ屋さんも、元旦から営業していたように思う。
子供の頃は、お正月をはじめ、どうして待ち遠しいことが多かったのであろうか?今はあっという間に一日が過ぎ、あっという間に一年が過ぎてしまう。
残り少ない人生を、ゆっくり過ごしたいものである。リニアや新幹線ではなく、鈍行電車のように、ゆっくりと景色を楽しみながら。
そうだパンツとシャツを買いに行こう。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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