先日、京都百万遍にある知恩寺に参拝させていただいた。浄土宗の大本山であり、百万遍の大きな数珠があることで有名であり、2寸ほどの玉が天井から吊されている光景は壮観でもある。
1331年(元弘1)後醍醐天皇の勅により知恩寺8世善阿空円上人が、7日間にわたって念仏百万遍を修したところ疫病が終息し、その功績に対して天皇から「百万遍」の寺号と「弘法大師利剣の名号」を賜ったという。以来、百万遍の念珠の寺として、今日まで庶民の信仰の場となっている。
百万遍のお念仏とは、10人が1080個の大数珠を100回まわすというところから、百万遍念仏の儀式が成り立っているのであるが、大勢の人々が多くの念仏を唱えることによって、その念仏の功徳が融通して百万遍とするのが一般的であろう。
数珠とは本来どのようなものであろうか。平凡社百科事典に次のようにある。
糸や紐に金属や玉石,種子,香木などで作った小玉を連ね通し
て一環としたもので,仏号(念仏)を唱えたり,真言,陀羅尼(だらに)
を唱念する回数を数えたり,仏を礼拝するときに手に掛け,つま
繰る法具。古代インドのバラモン教で用いられていたものが,2〜
3世紀ごろ仏教徒の間にとり入れられたともいわれている。また当
初は僧たちが日数を繰るために所持していたのがその起源ともい
われている。日本には仏教伝来後さほど日を経ずしてもたらされ
たと考えられるが,722年(養老6)の〈法隆寺資財帳〉にすでに
〈誦数〉の名前がみえ,正倉院宝庫には奈良時代の数条の〈誦数〉
やそれを納める数珠箱が伝存している。平安時代の初めごろより
密教の伝来によって,真言を数多く念誦する修行法が盛んに行わ
れるようになってからは,数珠は修法に必須の法具となり,多用
されるにいたった。また称名念仏の流行,多数作善業(たすうさぜ
んごう)の盛行は寸暇を惜しんでの念仏や真言念誦の回数を誇る
ようになり,常時身に持つ法具として僧俗を問わずなれ親しむもの
となるにいたった。(抜粋)
数珠は袈裟とともに仏事の必須アイテムとなっているが、一言でいえば、お念仏や真言をお唱えする時の数取りをする「ソロバン」といえよう。玉の数は、108の煩悩になぞらえて基本的には108珠である。その半分の54珠のもの、またその半分の27珠、さらに42,36,21,18,14珠のものがある。一般には数取りよりも仏事の必需品として象徴的なものとなり、108の4分の1である使い勝手のよい27珠の数珠が用いられているようである。最近では腕輪念珠として腕にフィトさせた念珠が若い人たちにも流行しているが、アクセサリーとしての意味合いが強いようで、一部では形骸化している感もある。
我が願成寺でも、昭和49年法然上人の浄土宗開宗八百年を記念して、百万遍の数珠が制作された。十夜法要などで大きな数珠を廻しながら追善供養や諸祈願をしている。
制作にあたっては 檀信徒の皆さんの多くの結縁をいただき、108の5倍の540個の珠が集まったが、大変な問題が生じた。540珠に紐を通すと本堂より大きくなってしまい、本堂を建て替えなければならなくなってしまったのである。やむなく270珠を2連とも考えたが、道具である以上使い勝手のよさから340珠と200珠とした。
玉のひとつひとつには、お檀家さん一人ひとりの願いが込められている。作られたときには単なる桜の木のボールであるが、お檀家さんの願いが込められたとき珠となったのである。
百万遍知恩寺に参拝してから、数珠を手にすると何か重みが変わったようだ。この重みを大切にしたいと思う。
時がたつと薄れてしまう心配があるが、そのときにはまた百万遍知恩寺に参拝しようと思っている。
天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久
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