新年あけましておめでとうございます。
皆さまにおかれましては、穏やかな新春をお迎えのこととお慶びを申しあげます。
願成寺メールマガジンも、第8回目の配信させていただくことができました、これも皆さまのご支援の賜物と感謝いたしております。HTMLメールによってカラーでの配信を考え、いざ準備を始めてみますと、計画性の無さに愕然といたしました。文字や背景などのレイアウトに色を付けましても、何ら意味のないことに気が付いたのです。カラーでの配信には、カラーの写真が必要だったのです。文章を書くだけでも容易ではないのに、それに合わせた写真を用意せねばなりません。文章に合う写真を探すのはなかなか難しく、写真にあった文章を書くのも無理があるようです。
原稿とは、とかく批判的な内容をともなうときもありますので、そうした折の写真となりますと細心の注意が必要となります。また、文章だけでなく、写真においてもプライバシーと著作権にも配慮しなければなりません。原則として自分で撮った写真以外は使えないこととなります。
ともあれ、大変ななかにも楽しさを感じますのは、皆さまの応援のお陰と思っております。
さて、今年は「不自讃毀他(ふじさんきた)」という言葉を大切にしようと思っております。梵網経で説く仏道修行のうえで菩薩の守らなければならない十重禁戒1つで、不自讚毀他戒によります。その意味は、自分を褒めたたえることなく他人をそしることのないことをいいます。「自画自賛」や「手前味噌」を戒める言葉です。
とかく「自分に甘く、他人に厳しく」なりがちな私ですので、「自分に厳しく」を今年の目標といたそうと思っております。
インターネットは情報収集のアイテムとしては最良のものですので、早速「不自讃毀他」を検索しましたところ、岡山県玉野市にある臨済宗妙心寺派久昌寺ご住職、豊岳澄明師のご法話に説かれておりました。非常に楽しいご法話なので紹介させていただきます。
臨済宗のお葬式のとき、参列していてなんと言っても驚くのが『一喝(いっかつ)』でしょう。父が私に早く葬儀の場を経験させるべきと思ったのか、私がまだ小学生だったころ、初めて葬儀に出席したのですが、やっと三つ四つお経が読める程度で、もちろんお葬式の意味も何も分からない。そんな時にいきなり「カーッ」とやられて、飛び上がるほど驚きました。(中略)
その「一喝」はともかく、もうひとつ葬儀の場で私が小さい頃驚かされたのが、「ふじさんきたかい」です。
意味の分からないお経や言葉が長く続く中で、意味が分かったと思ったのがこれだけです。父(和尚)が言い間違えた筈はない、確かに「富士山来たかい?」と言った、と思ったのです。それで思わず左右を見回しました。『いったい富士山がどこにくるんだろう?いやいやおふじさんという名前の人がいて、その人がもうすぐここにやってくるんだろうか?』…そんなふうに考えたのを覚えています。
意味を父親に尋ねるということはしませんでした。後で自分で意味を調べるうち、葬儀は、要するになくなった人に仏弟子として守るべき戒(いましめ)を授ける儀式・授戒の儀式であり、その戒のうちの一つが「ふじさんきたかい」であるということがわかってきました。「ふじさんきたかい」は「富士山来たかい?」ではなくて『不自讃毀他戒』でした。
つまり自分をほめたりたたえたりしてはいけない、そして他人を傷つけるようなことを言ったりしたりしてはいけない、そういう戒めということです。
なーんだ、そうだったのかと最初思ったのですが、そう思った後で考えれば考えるほどこれは難しいな、大変なことだなと感じました。
http://www.tamano.or.jp/usr/kyushoji/index.htm
> 法話のページ > フジサン
豊岳澄明師に導かれ、自讃毀他することのないよう精進して参ります。どうぞ皆さまもご一緒しましょう。 合掌
天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久
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