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桐壺帝は、桐壺更衣の里に靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)という女官を遣わし、若宮(光源氏)の参内を促す。命婦は、遺品の御髪上(みぐしあげ)の道具を賜り帰る。
帝は親しき四五人と白楽天の長恨歌の絵草紙を見ながら、命婦の帰りを待っていた。長恨歌は、唐の玄宗皇帝と楊貴妃との恋愛を題材として、その心情を七言の長詩としたものである。玄宗はその寵愛から政(まつりごと)を顧みず安禄山の乱がおこり、楊貴妃を失ってしまう。思慕の念が強く道士にその魂のありかを尋ねさせると、道士は形見としての螺鈿(らでん)の箱と釵(かんざし)を持ってきたという故事が述べられている。
母君からの遺品をみた帝は、「これが更衣の住処を探し当てての釵であるならば」と思しめすが、それは甲斐のないことであった。
(帝) たづねゆく まぼろしもがな つてにても 魂のありかを
そこと知るべき
(桐壺更衣の魂のありかを捜してくれる道士がいてくれたら、魂の
ありか知ることができるのに)
太液池の芙蓉(蓮の花)そして未央宮の柳ように美しかった楊貴妃というが、更衣はさらに親しみやすかったことをお思い出しになられる。二人のあいだでは比翼(ひよく)の鳥のように雄雌二羽が一緒になって始めて飛ぶことのできる鳥のように、あた連理の枝のように根は別であっても枝は連なっている木のようにと約束したが、今ははかなくなってしまった命の恨めしさを感じないわけにはいかないのであった。
床に入ってもお眠りになれず、朝餉(あさがれい)もほとんど召し上がられず、ご政務もままならない状態であった。人々からは玄宗皇帝と楊貴妃の例までもが引き合いに出される始末であった。
風の音や虫の声を聞くにつけても悲しさがつのる時であったが、弘徽殿女御は参上されることもなく、月が美しいといって夜おそくまで管弦の遊びをなさっているようである。帝の嘆きなど、まったくお考えになることのない振る舞いであった。
【長恨歌抜粋】(小学館日本古典文学全集「源氏物語」による)
唯旧物を将ちて深情を表はさんと(今はただ昔の記念の品によって、皇帝に対する深い思 いを表そうとて)
鈿合金釵寄せて将ちて去らしむ (螺鈿細工のはこと黄金のかんざしを、使者にあずけ持 たせてやる)
帰り来たれば池苑皆旧に依る(都に帰ってみると、池も庭園もすべてもとのままである)
太液の芙蓉未央の柳(太液池の蓮の花や未央宮の柳)
芙蓉は面の如く柳は眉の如し(その蓮の花はその人の顔を思わせ、柳はまるでその人の眉のようである)
天主君山現受院願成寺住職 魚
尾 孝 久
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