願成寺ガードマン 

 

 

 十数年前であるが、お寺に泥棒がはいった。台所の出窓の格子を破りガラスを割っての侵入であった。居間に吊してあった背広の財布から、私のその月の小遣いをもっていった。警察の方に防犯対策をきくと、警備会社に依頼することと犬を飼うのもひとつの方法であるという。
 ちょうどその頃、小学生の息子が犬を飼いたいと言っている時期であった。「僕が世話をするから」という言葉にはだまされずにいたが、この事件をきっかけに我が家に犬が来ることとなった。獣医の先生のすすめでラブラドールを飼うこととした。威厳のある?黒い犬である。防犯上名前は教えられない。今は立派な家族の一員である。

 それ以来何かと犬に関心を持つようになった。犬にまつわる話を紹介しよう。

 ある婦人が激怒した。マーケットの店先に犬を繋ぎ買い物をして戻ると、犬の首輪が盗まれていたというのである。何とその首輪はルイ・ヴィトン製であった。犬の首輪だけ盗む人にも驚いたが、犬にまでブランド品を身につけさせる人にも驚きである。今やブランド品は自らの洋服やバックばかりでなく、ペットのグッツにまで及んでいるのだ。

 世界有数のブランドメーカーは、日本を大きな市場として進出がめざましい。高度経済成長によるファッションの大衆化によって、高級ブランド品がだれにでも手の届くものとなり、ペット用品までに及んでいるという。 犬用グッズついてみるに、馬具商であったエルメスはもちろんのこと、ルイ・ヴィトン、グッチ、プラダ、クロムハーツ、コーチ、バーバリなどが、次々にペット用品を売り出した。人気商品は入荷待ちだという。首輪で数万から十万円である。少子化が進み、ペットが家族と同じように大切な存在となっていることが背景にあるといわれる(朝日新聞、平成13年6月6日夕刊「お犬様向けブランド人気」の記事による)。今や自らをブランド品で着飾るのではもの足らず、散歩に連れて歩く犬にまでブランド品を身に着けさせる時代になってきた。もうこうなると単なる笑い話では収まらないであろう。

 ところで、犬は「エルメス」と「ルイ・ヴィトン」の違いが判るのであろうか。我が家の黒いラブラドールに聞いてみたが、明快な返事はない。 どうもブランド品よりはビスケットを望んでいるようであるが、早速ブランドの首輪をしている姿を想像してみる。エルメスやルイ・ヴィトンでは首輪が目立ちすぎるが、黒い犬には黒いプラダの首輪が控えめで似合いそうである。予想は的中し、「いい子だ、いい子だ」と頭をなぜると、しっぽを振ってすり寄って来る。数万円が高く感じられないのが不思議である。
 ふと、かたわらにあるヒモを首輪にして「似合うよ、可愛いよ」と声をかけると、驚くなかれプラダの首輪と同じ反応をする。結局、犬にとっては、プラダであれヒモであれ、 ご主人さまに一度でも多く声をかけられるのが、何よりも嬉しいのである。

 ブランド品を否定するつもりはないが、決してその人間や犬のステータスが上るものではない。犬は集団生活が基本であり、たとえ人間と犬の関係であっても厳格な主従関係を構築しており、常にご主人さまの命令を待っているのである。なかには、散歩の折にご主人さまより前を歩くとか、吠えて要求をする犬もあるが。しかし飼い主にはとっては、ブランド品をつけさせることによって、犬との間にさらなる交流が生まれるとするならば、それはそれで他人がとやかく言う筋合いはないのかもしれない。
 きっと、ブランド品でペット用のハンドバックが登場してくるに違いない。

 12歳になる我が家の犬は、今日も警備についている。無給無休であるが、事故はおこしていない。

                          天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久

 


 2月15日はお釈迦さまが80歳で涅槃に入られた日です。「涅槃」はインドの言葉「ニルバーナ」を中国人が音に合わせて漢字を当てはめたものです。「ニルバーナ」は、火を吹き消したような穏やかな静けさを表します。
 お釈迦さまも人間でしたから、老齢と病により死んだのです。ところが「死んだ」とはいわずに「涅槃に入られた」といわれるようになります。なぜでしょうか。

 ずいぶん前の話ですが、若い僧侶と80歳過ぎのSさんの話を後ろから聞いていました。
「いやあ、お元気ですね!まだまだこれからですね。」と僧侶は冗談めかして言いました。
「そうです。これからです。」とSさんが応じました。
「いやいや、参りました。」僧侶は老人の言葉に笑っていましたが、私にはSさんが本当に「これからだ」と思っていることがよくわかっていましたから、二人の会話が愉快に聞こえました。
 Sさんは篤信の念仏者です。「死んだらおわり」なんて考えていないのです。
「余生だの、ヘチマだのいってたってしょうがないじゃないですか」三越の高級和裁職人だったSさんは、腰は曲がっていましたが、信仰はピーンと筋金が入っていました。

 今年の2月19日は、先代住職、土屋観道上人の37回忌でした。その法要に新潟県の柏崎市から夜行バスに乗って上京し参列した信者がいらっしゃいました。なんと90歳を越えていらっしゃいます。ほとんど徹夜です。その古くからの熱烈な信奉者は私たちに向かって言いました。
「目はかすむし、物忘れが激しくなりました。歳ですからいたし方ありません。しかし信仰に歳は関係ありません。今日一日何をなしたか?教えを受け、念仏を称えたならば、それが生活に現われてこなければいけません。余生なんてありません。老いも若きも今が大切です。いっしょに手を携えて上人の教えに報いようではありませんか!」
 23歳の青年僧侶が私に言いました。
「あの方は、本当に90歳なんですか?」
「ああ、並の僧侶では太刀打ちできない。迫力が違うね。」わたしは答えながら、自らのふがいなさを恥じました。
 観道上人が妻に残した道詠に次ぎの歌があります。

恋しくば ほとけのみ名を 称うべし 我も光の うちにこそあれ
 わたしが死んで、恋しいと思うときは、念仏を称えなさい わたしは必ず、如来様の光の中にいて、 あなたの真正面におりますよ
 
「すべてはかかわりあって存在している」ことを悟り、「死」を乗り越える法を説かれたお釈迦さま。彼の涅槃より2500年。教えを受けた信者たちは「永遠の生命と無限の向上」を目指して来ました。こんにちもその末裔たちが、お釈迦さまの涅槃をとおして、「これから」を見つめ「今日」を生きています。                              合 掌

                              観智院  土 屋 正 道

 

観智院ご本尊さま 

 


   

 

   

(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

 光源氏は、母親である桐壺更衣が亡くなったことによって、里に帰っていた。

 月日が経って、桐壺帝の希望により光源氏は宮中にかえられた。その姿はあまりにも気品に満ちているので、人々は不安を感じた。
 翌年の春、東宮の決定には光源氏とも思われたが、後見となる人もなくまた世間の承知することではなかったので、そのような気配すらお見せにならなかった。帝があれほどまでお可愛がりになっておられたので、ひょっとするとの噂もあったのだが、第1皇子が東宮となられ弘徽殿女御も安心されるのであった。

 桐壺更衣の母君北の方は、娘を失った悲しみを慰める方法もなく沈まれて、娘の所へ行きたいと願ったためであろうか、ついに亡くなられてしまわれた。このときには光源氏は6歳であったので、母親の亡くなったときと違ってよく物事がおわかりになり、恋い慕ってお泣きになる。

 光源氏が7歳になられると、読書始めなどがおこなわれる。世に類ないほどの聡明さに帝は恐ろしささえ感じられた。学問は申すに及ばず琴や笛の音におかれても宮中を驚かすものであった。

 ちょうどそのころ、高麗人の相人(人相見)が来朝していたので、この光源氏をみてもらうため、鴻臚館(こうろかん外国使臣の宿泊所)遣わす。宇多天皇の誡め(寛平御遺誡)に、外国人を宮中に入れてはいけないとあったからである。若宮を外国の人相見にみさせることもさしさわりがあるので右大弁の子としてお連れすると、人相見は何度も首をかしげて不思議がる。「将来は国の親となって帝王となる相がおありになる方であられる。ですが、帝となられると世の中が乱れることがあるかもしれません。」という。
 帝はすでに倭相(やまとそう)にて承知しておられたことであったので、光源氏を親王としての宣下をなさらずにおられたことを確信する。

 無品親王で後見の人々もないまま漂わすわけにもいかず、またわが治世も何時までもあるとは思われないので、臣下として朝廷の補佐となることがよいことと決心される。ますます学問の道を習わせになる。

 宿曜の道の人にも同じ答えを申しうけ、臣下とされた。源氏という姓をあたえられ、光源氏の誕生である。

【宿曜】(すくよう) インドに由来する天文暦学。宿曜経を経典とし、星の運行を人の運命と結びつけて吉凶を占う。古く中国に伝わり、仏教に伴って日本に輸入され、平安中期以降広く行われた。「広辞苑」

                          天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久

 


 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。


                          天主君山現受院願成寺住職                                魚 尾 孝 久

 

  

 

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▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。



観音堂大祭(諸祈願)のお知らせ

 春のお彼岸に観音堂の大祭を厳修いたします。寺伝によりますと、頼朝公が三嶋大社に百日祈願の折、当願成寺を宿舎といたし、その願が成就いたしたことから「願成就寺」の寺号を賜りました故事により、諸願成就の祈願をおこないます。当日ご参加できません場合には、お札は郵送申しあげます。また、当日前年のお札等を炊きあげますのでご持参ください。当日は「餅まき」「模擬店」「野菜青空市」等を予定いたしておりますので、お誘い合わせてお出かけ下さいませ。

日   時
3月20日(春分の日) 【11時】法要、【12時】餅まき
祈 願 料
3,000円 特別祈願料 1万円
申 込 み
お参りの折、電話、E-mail(前日までに)

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土い返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。