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光源氏は12歳になり元服なされた。同時に結婚を意味し、左大臣家の婿となった。
光源氏は、帝がいつもお召しになりお離しにならないので、心やすく里住み(左大臣の屋敷、葵の上のところ)もおできにならない。
心の内では、ただ藤壺の御ありさまを世に類ないとお思いになられて、藤壺のようなお方を妻としたいが似かよった人はいないものだと、お考えであった。確かに、葵の上は大切に育てられておられたが気に入ることがなく、幼心にはたいそう苦しいまでに、藤壺をお思いになれている。
元服なされてからは、帝もいままでのように藤壺の御簾(みす)のうちにお入れになられない。管弦の遊びの折など、藤壺の琴に自分の笛の音を吹き合わせ、ほのかに御簾から漏れ聞こえる御声を慰めとして、宮中の生活のみを好ましくお思いになるのであった。五、六日宮中におられて、大殿(左大臣の屋敷、葵の上のところ)には二、三日と絶え絶えにご退出になられるほどであったが、左大臣は幼いほどであられるので咎めることもなさらず、女房達には選りすぐった人々を仕えさせ、お世話されるのであった。
宮中では母親の桐壺更衣がおられた淑景舎を御曹司(みぞうし)とされ、更衣に仕えた女房たちをそのまま光源氏に仕えさす。更衣の里邸は、修理職(すりしき)内匠寮(たくみづかさ)に宣旨(せんじ)が下り、ふたつとないほどに改められた。光源氏は、こうしたところに藤壺のような人を迎え住みたいものであると嘆き思われる。
光る君という名は、高麗人のおほめになっておくられたと言い伝えられている。
*いままで母のごときにしたっていた藤壺が、元服することによって会うこともままならなくなると、藤壺の存在が満たされぬ恋愛の出発となり、物語に一貫して流れるテーマとなる。(次回より第2巻「帚木」)
【曹司】ぞうし 宮中または官署などの官吏または女官の用部屋。また、貴族や武家の邸宅内で子弟に与えられる部屋。「広辞苑」
【修理職】すりしき 平安時代以降、皇居などの修理・造営をつかさどった令外の官司。818年(弘仁9)初置。「広辞苑」
【内匠寮】たくみづかさ 中務省に属し、宮中の調度の製作、殿舎の装飾をつかさどった役所。728年(神亀5)設置の令外の官。「広辞苑」
【宣旨】せんじ 平安末期以降、天皇の命を伝える公文書。その本来の形である詔勅は発布にきわめて複雑な手続を要したのに対し、宣旨は内侍から蔵人に、蔵人から太政官の上卿に伝え、上卿は少納言または弁官をして外記または大史に命じて文書に作らせ発行した。「広辞苑」
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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