万福寺山門 

 仏堂内の風景 

 明朝風の柵 

 立秋が過ぎ、暦の上では秋を迎えたことになります。暑さはピークを過ぎたようですがまだまだ暑い毎日です。
 先日、仕事で京都に行き、時間に余裕があったので京都宇治の万福寺へ足を運びました。というのも今回の原稿の内容とこのお寺が密接な関係にあったからです。 
 万福寺は、正しくは黄檗山万福寺といい、江戸時代の寛文元(1661)年、時の江戸幕府将軍徳川家綱を檀越として開かれた臨済宗黄檗派の寺院で(現在では黄檗宗)、開祖は明僧・隠元です。 先日、同寺を訪ねたときはスコールのような通り雨とすさまじい雷鳴の日でした。 山門をくぐり、境内に入り、ゆっくりと歩みを進めると、整然と整備された境内と数多くの仏堂や回廊が夏の生命力にあふれた緑のなかに映えて見えます。・・・しかし、目に入るものすべてにほかの寺院とそして禅宗寺院とは違う何かを感じます。その違いとはいったい何でしょうか?それが今回の主題です。
 
 日本には鎌倉・室町時代、中国の宋・元から臨済・曹洞宗などの禅宗が入ってきました。これらは鎌倉・京都五山として、時の鎌倉・室町幕府に歓迎され広範に受け入れられていきました。 その過程でさまざまな文物を日本にもたらしながらも、日本人の生活習慣や感覚にそった変化をとげ「日本化」していきました。前回、寺院建築の床に注目してみました。奈良時代以来、日本に渡来した南都仏教や、平安時代初期の真言・天台密教は、渡来当初、その文物は中国風でした。しかし、その信仰の受容と拡大とともに「日本化」していったのです。 現在伝えられる寺院建築には、土間のように石板や磚(せん、レンガのようなもの)を敷き詰めた石畳の床と、我々の住宅に見られるような縁の下のある床、2種類の床が見られます。これは、前者が上記の各仏教が日本に渡来した当初もたらされた建築様式で、中国・朝鮮半島的、後者はこれが日本的なものへと変化したものであることは前回お話したとおりです。

 私が訪ねた黄檗山万福寺は明よりもたらされた禅宗のひとつであり、法会・法要などの仏教儀礼、僧侶たちの法服、雲水たちの修行のありかた、そして、祈りの場である仏堂をふくむ伽藍建築の様式のすべてにわたって、明朝当時行なわれていた黄檗禅の在り様を守り続けたのです。 この事実こそが、私が万福寺を訪ねたときに覚えた、他寺院とは違う「何か」の本質です。万福寺は明朝の寺院そのものなのです。例えば仏堂などの礼拝をおこなう建築は、中国で綿々と続けられてきた石を敷き詰めた床です。鎌倉期に日本に入ってきた臨済・曹洞宗寺院が縁の下のある床を受け入れつつ現在に至るのにたいして、この万福寺では依然として明朝時代に日本に入ってきたままの姿だったのです。

 こうした石や磚を敷き詰めた床と縁の下のある床、この変化と相違は我々の生活とそこに立脚する文化全般に大きな影響をもたらしました。たとえば人間の立ち居振る舞い。儀式儀礼のような人間の行為や場・空間では立礼と座礼という、二種類の儀礼のあり方を創出しました。
 立礼は立って生活することが基本の空間における礼儀です。石を磚を敷き詰めた床にテーブルや椅子、絨毯のような敷物をおきます。また、居住空間内ではスリッパのような部屋履きや場合によっては土足の場合もありえます。わかりやすく言えば現在の欧米風の生活習慣です。
 座礼は床に腰を下ろすことを前提にした生活空間における礼儀です。縁の下のある床の上に畳を敷いたり、座卓や文机をおいたり、座布団のような敷物をおきますし、居住空間内では履物を脱ぐことが原則となります。現在の日本間の座敷の儀礼、といってもいいでしょう。
 日本人の居住空間では、立礼から座礼という変化が平安時代にありました。 これは前回もお話しましたが、中国風・朝鮮半島風の建築とこれにともなう生活習慣が、日本在来的なものに変化していったということでなのです。立礼から座礼、という変化が、新たな仏教の宗派が日本に伝来するたびに繰り返されてきた、といえます。次回はこうした立礼と座礼、両者における儀礼について家具や服装を通してお話したいと思います。
 
 さて、万福寺では法会や供養を、顔が映るほど磨きあげた石板を敷き詰めた床の上に円座を敷いて行ないます。これは座敷で行なう仏教儀礼とはまったく異なる雰囲気です。このお寺ではすべての重要な仏教儀礼が明朝の頃の仏教儀礼さながらに立礼で行なわれます。その伝統を守ってきた点にこの宗派とお寺の特色があるといえるでしょう。・・・こんなことを考えながら、中国風の建築と居住空間について思いをめぐらしつつ、晩夏の風情の静かな同寺をあとにしました。
 
 JR東海 そうだ 京都、行こう。 http://kyoto.jr-central.co.jp/
 黄檗山万福寺 http://www.obakusan.or.jp/

       東京大学史料編纂所学術研究補佐員、大正大学非常勤講師 佐 多 芳 彦

 


 何年か前ですが、ハワイに行く機会を得ました。驚いたことのひとつに、極楽鳥花(ストレリチア、英名bird‐of‐paradise flower)が、飛行機(http://www.alohaairlines.com/Home.php)やホテル(現在は変更されている)のロゴとして使われていたことです。
 拙寺の町では、葬儀をはじめ法要の仏花として、よく極楽鳥花が利用されていたからです。日本に戻ると、なんとお膝元である伊豆今井浜にある「東急リゾート」(http://www.imaihama-r.tokyuhotels.co.jp/ja/index.html)のロゴも同じだったのです。

 極楽鳥、そして極楽鳥花から、仏教での極楽と結びついたことは想像に難くありませんが、本当に極楽にはそのような鳥がいるのでしょうか。極楽の様子は、「阿弥陀経」に詳しく描かれています。
  「次に、舎利弗よ、かの国には、常に、種々の奇妙なる雑色の鳥あ
  り。白鵠(びゃっこう)・孔雀(くじゃく)・鸚鵡(おうむ)・舎利(しゃり)・迦
  陵頻伽(かりょうびんが)・共命の鳥(ぐみょうのとり)なり。このもろも
  ろの鳥、昼夜六時に、和雅(わげ)の音(こえ)を出す。その音は、五
  根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その
  土の衆生は、この声を聞きおわりて、みな、ことごとく仏を念じ、法
  を念じ、僧を念ず。(岩波文庫「浄土三部経」による) 」

 極楽で、常に奇妙な雑色の鳥たちの奏でる声は、悟りにいたる修行の法を解き明かしています。聞くものはみな、仏法僧に思念するといいます。白鵠は白鳥、舎利は百舌鳥(もず)で他種の鳥や動物の鳴き声をよくまねるそうです。迦陵頻伽と共命の鳥は、ともに想像上の鳥ですが、迦陵頻伽は雅楽で胡蝶舞とともに舞わられたので、比較的馴染みがありましょう。

 そこで共命鳥について触れてみましょう。この鳥は、頭が2つで体は1つというのです。頭が2つですから、考えることが常に2つあることになります。同じ考えならば問題がないのですが、別々な考えをしましたときは、体が1つですので問題が生じます。お互いを憎むようになり、一
方の鳥が相手の鳥に毒をもってしまうのですが、体が1つですので自分も死んでしまったという話をもっています。
 命というものは自分ひとりのものではないことを、互いに助け合ってこそ生きていくことが必要であると悟ったとき、極楽で法を説く鳥となったのでしょう。

 地球という1つの体に、63億7700万人(世界人口白書2004年による)の頭があることになります。互いに共命鳥にならなければなりません。
 まずは、夫と妻という共命鳥にならなければなりません。源氏物語に引用されている長恨歌の「比翼(ひよく)の鳥」も同じでしょうか。
(願成寺メルマガ2月号参照http://ganjoji.com/mlmaga.html)


【五根】ご‐こん〔仏〕
@感覚を生ずる眼・耳・鼻・舌・身の感官。→五官。
A(仏道修行の根本となるものの意) 信・勤(ごん)・念・定(じよう)・慧(え)の総称。(広辞苑)

【五力】ご‐りき〔仏〕
信・精進・念・定(じよう)・慧(え)の五根が五障を克服する力。悟りに至らしめるすぐれた五つの力で、三十七道品の一。(広辞苑)

【八正道・八聖道】はっ‐しょうどう〔仏〕
釈迦の最初の説法において説かれたとされる、修行の基本となる8種の実践徳目。正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定、すなわち正しい見解・決意・言葉・行為・生活・努力・思念・瞑想をいう。(広辞苑)

【六時】ろく‐じ〔仏〕
@インドで、古来、1年を六分した漸熱・盛熱・雨時・茂時・漸寒・盛寒の六つの季節。
A一昼夜を六分した時刻、すなわち晨朝(じんじょう卯の刻)・日中(正午)・日没(酉の刻)・初夜(戌の刻)・中夜(亥の刻から丑の刻まで)・後夜(寅の刻)の称。また、一昼夜、一日中。(広辞苑)

【迦陵頻伽】かりょうびんが(梵語 kalavika  妙音鳥・好声鳥などと意訳)
仏教で雪山または極楽にいるという想像上の鳥。妙なる鳴き声を持つとされることから、仏の音声の形容ともする。その像は、人頭・鳥身の姿で表すことが多い。歌羅頻伽。迦鳥。頻伽鳥。(広辞苑)

【共命鳥】ぐみょう‐ちょう〔仏〕
一つのからだに頭が二つあるという、想像上の鳥。命命鳥。(広辞苑)

                           天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久

 

ストレリチア 

華鬘(けまん)願成寺蔵 

迦陵頻伽


 青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊) 

 

 

(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

第2巻「帚木」その3

 つれづれとしめやかな宵の雨の折、殿上にも人少なである。光源氏の宿直所で、光源氏と頭中将に、左馬頭と藤式部丞が物忌みとて加わって、三階級の女について話を始める。

 左馬頭が口火を切る。
  「成り上がっても、もとからの家柄がその筋ではない人は、世間の人
  は上流の人とはいわないでしょう。また、もとは尊い家柄であっても、
  世渡りの術(すべ)も少なく時世に流されて名声も衰えてしまったもの
  は、不都合なことも出てくるのでいろいろと判断いたしますと、中の品
  (中流階級)とすべきでしょう。

   受領といって地方にかかわって身分の決まってしまっているなかに
  も、また階級があって、中の品のなかにも悪くはない者を選ぶことが
  できる時勢でもあります。中途半端な上達部よりも非参議で四位など
  にも、世間の評判も悪くなく元の素性も卑しくなくゆったりとした生活を
  しているのは、とても爽やかですね。家の中に不足などがなく、手を抜
  くことなく育てられた娘などに、貶むことのなく成長されることもありま
  しょう。そうした娘が宮仕えに出て、思いがけぬ幸運を得ることも多い
  ようです。」

 光源氏が、「それでは、女は豊かな家の娘によるべきなのですね」とお笑いになると、頭中将が「ほかの人のことのようにおしゃられる」という。

 また、左馬頭の中流階級の女の評価が続く。
  「本来の家柄と時世の評判とが一致して高貴な家柄の女が、家庭で
  の振る舞いやその様子が劣っているのはいうまでもない、どうしてこ
  んな風に育ってしまったのだろうと、言う甲斐もないことです。

   家柄と時世の評判とが一致していることは道理です、これは当然の
  こと思って「珍しいこと」と驚くこともありません。私などが及ぶことで
  はありませんので、上の品のなかでも上の人々は差し控えます。

   さて、そこに生活しているとも知られず、淋しく葎(むぐら)の茂れる荒
  れた貧しい家に、思いの外にいじらしい女が閉じられているのは、とて
  も珍しく覚えるでしょう。どうしてこのようになったのであろうと、思いの
  外なるところが不思議と心が引かれます。

   父親が年老いて醜く太り、兄弟は憎げな顔をしていて、とてもきれい
  な女がいるとは思われない女の部屋に、たいそう気位高くて自然と身
  に付いた才能で、それがちょっとした才能であっても思いの外興味を
  引かれます。優れていて欠点がない選びには及びませんが、これは
  これとして棄てがたいもので。」

 式部丞を見ると、「自分の妹たちの評判がよい」から左馬頭がこのような話をするのとでも思っているのであろうか、ものも言わない。

 光源氏は「さあ、どうであろうか、上の品といっても難しい世であるから」とお思いになられる。白く柔らかいお召し物の上に直衣だけを羽織って紐も結ばずに、ものに寄りかかっているそのお姿はたいそうすばらしく、女として見申しあげたいくらいである。光源氏のためには、上の品のなかでも上の女を選んだとしても、なおもの足らなく御覧になられる。


【受領】ず‐りょう
(ジュリョウ・ズロウとも。前任者から事務の引継ぎを受ける意) 諸国の長官。任国に行って実地に政務をとる国司の最上席のもの。通例は守かみ、時には権守ごんのかみ・介すけなどの場合もある。遥授(ようじゆ)の国守と区別する称。源氏物語帚木「―といひて人の国のことにかかづらひいとなみて」(広辞苑)

【非参議】ひさんぎ
三位以上でまだ参議にならない者。四位で参議の資格のある者。(広辞苑)

【参議】さんぎ
(朝議に参与する意) (「三木」とも書く) 奈良時代に設けられた令外(りようげ)の官。太政官に置かれ、大中納言に次ぐ重職で、四位以上の者から任ぜられ、公卿の一員。八人が普通。おおいまつりごとびと。宰相。(広辞苑)

【葎】むぐら
八重葎(やえむぐら)など、荒れ地や野原に繁る雑草の総称。うぐら。もぐら。万葉集19「―はふ賤しき宿も」(広辞苑)

                           天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久

 




第232回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
9月16日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
本法寺住職 清水 俊匡 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。
次   回
10月21日(金) 同時刻  講師 長源寺 高木 泰孝 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。


                           天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久

 

  

 

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