高松塚古墳壁画の女性像 


 盤領(ばんりょう、「あげくび」とも) 


 垂領(すいりょう、「たりくび」とも) 

 女房装束(復元) 

 今年は暖かい秋です。紅葉が遅れがちという話をニュースで耳にしました。紅葉見物をメインにすえた旅行会社のツアーが、日程の変更や中止を余儀なくされていると聞きます。近年の日本国内の気候変動は著しいものがあり、このままでいくと日本は亜熱帯気候になるという話もあります。
 
 ここ1・2年でしょうか、奈良県の高松塚古墳やキトラ古墳壁画のことが新聞やテレビのニュースで採り上げられることが多くなりました。その内容は、壁画の表面がカビにより侵食されるなどして消えかかってしまっている、というものです。貴重な文化財が失われていくこと自体、なんとも悲しいことです。どうにか劣化を抑えて、未来永劫伝えていきたいものです。こうした文化財の劣化にも、気候の変化や大気汚染などが関係あるのかなと、思うことはしばしばです。
 さて、高松塚古墳壁画は奈良県明日香村にある7−8世紀の古墳です。1972年に発掘されたとき、被葬者の安置されていたであろう石室内に美しい彩色壁画が発見されました。北面に玄武、東面に女性群像・日輪・青竜・男性群像、西面に女性群像・月輪・白虎・男性群像、天井に星宿図が見られる、精緻な筆致によるものです。今回、注目したいのはその中の女性の群像です。
 
 4名の女性が描かれていますが、どの女性も髪を後ろで結い、立ち姿で、それぞれ緑、赤、黄、白の上着を着て、身の丈のスカートのような裳をはいています。奈良時代の女性像ということになります。これらの像が描かれた時期にはいくつかの説があるものの、于上着の様式から見て8世紀はじめと考えられます。当時の日本は、唐王朝の制度や習慣を先進的な文化と理解して、遣唐使を派遣するなどして積極的に導入していました。高松塚古墳壁画の女性たちの服装は、当時の朝廷の女性の正装である「朝服(ちょうふく)」姿と理解され、当時最新のモードであったともいえます。
 
 これらの特徴は、男性と同じような盤領(ばんりょう)と呼ばれるまるえりの上着を着ていること、身の丈に少しあまる長さの服装であるということでしょう。地面に対して少しだけ衣服の裾を引くという感じでしょうか。そして驚くべきことは、この服装が変化して、後の時代の平安貴族の女房装束、俗にいう「十二単(じゅうにひとえ)」になることです。現在、そのプロセスはよくわかっていませんが、ちょっと想像できません。しかし、その変化の要因のひとつが、生活習慣や様式の変化、すなわち立礼から座礼への変化なのです。
 
 それがわかるのは、高松塚古墳壁画の女性たち、そして平安貴族の女性たちの装いの着丈からです。前者においては生活様式、特に住環境が石畳や磚(せん)をひいた床であったことに起因しています。こうした床は靴をはいての生活が前提です。ですから、床は地面と同じ、ということになります。ですから、着丈は長めですが、それは「引きずる」ほど長くはなく、立ち居振る舞いが優雅に見える程度なのです。服の床に触れる部分が傷んだり、汚れたるすることは少なかったと見てよいでしょう。こ
れに比して平安貴族女性の女房装束姿は、身の丈の優にあまる着丈で、後方に装いの大勢を「引きずる」ものです。後方へ身の丈にあまる服を引き、そしてその立ち居振る舞いや後姿の美しさが、着用者の品性を反映したり、あるいはセンスの良さを示す場合も多くありました。これは縁の下のある床で生活していたことに原因を求めることができます。す
なわち、室内では服をいくら「引きずって」も服が傷んだり、汚れたりすることは極めて少ないのです。面白いことにこうした時代による着丈の変化は貴族男性の「束帯(そくたい)」と呼ばれる正装姿でも同じなのです。
 
 また、こうした住環境の影響は、当時の人々の服装にもう1点の影響を与えます。それは服装の仕立て方です。立礼の生活では身体ににフィットした仕立てでした。しかし、住環境の変化にともない、たとえば、石畳や磚を敷き詰めた床の生活、立礼の世界では椅子や机を置くことになっていたからわけですが、縁の下のある床の生活では室内の好きな場所に畳を置き、その上に腰を下ろし胡坐をかいたりするするものへと移行していきました。畳に腰を下ろす生活では身体にフィットした服装ではかなり
窮屈であったことでしょう。その結果、平安貴族の服装はゆったりとかなり大きめにつくった仕立て方へ変化しました。身幅、袖の太さなどは大きめで、座礼の世界でもとても使いやすいものでした。身体にフィットする仕立て方からゆったりとした余裕のある仕立てへの変化を、衣服の「寛濶化(かんかつか)」と呼びます。この寛濶化はさらなる副産物を生み出します。それはさまざまに意匠を凝らした服を「着重ねる」着用法でした。
そして「襲色目(かさねいろめ)」を創出するきっかけとなったと考えられるのです。「襲色目」こそ平安貴族の男女にとってセンスの良さを競うおしゃれ「ファッション」の誕生であったともいえるでしょう。
 
 詳しくは次回に譲りますが、立礼から座礼への生活習慣・様式の変化が服装の仕立て方、着方、そしておしゃれにも大きな影響を与えたことは意外な事だとは思えませんか?

【玄武】げん‐ぶ
青竜・朱雀・白虎と共に天の四方をつかさどる四神しじんの一。玄は五行説で北方に配し、水の神で、亀に蛇の巻きついた姿に表す。(広辞苑)

【磚・甎】せん
中国で煉瓦のこと。土を焼いて方形または長方形の平板とし、敷瓦・壁体化粧材・天井構材などに使用。周代に始まり、漢代に発達。日本では飛鳥・奈良時代に造られ、時に鳳凰・唐草文様などを浮彫してある。(広辞苑)

【束帯】そく‐たい
@礼服を着、大帯をつけること。
A平安時代以降の朝服の名。天皇以下文武百官が朝廷の公事に着用する正服。衣冠・直衣を宿直とのい装束というのに対して、昼ひの装束という。冠・袍ほう(縫腋・闕腋けつてき)・半臂はんぴ・忘緒わすれお・下襲したがさね・衵あこめ(あるいは引倍木ひへぎ)・単ひとえ・表袴うえのはかま・大口・石帯せきたい・魚袋ぎよたい・襪しとうず・靴かのくつ(または浅沓・深沓・半靴ほうか)・笏しやく・帖紙たとうがみ・檜扇ひおうぎなどを具備し、武官および勅許を得た文官は別に平緒によって太刀を佩く。物具もののぐ

       東京大学史料編纂所学術研究補佐員、大正大学非常勤講師 佐 多 芳 彦

 


 「鮭」という字は、漢字のかなふりテスト には絶対に出題されない漢字である。読み仮名に「さけ」と「しゃけ」があるからで、回答がふたつ出るものは問題としては不的確であるからです。ちなみにパソコンの日本語変換辞書(MicrosoftのIME、ジャストシステムのATOK)は、「さけ」、「しゃけ」いずれを入力しても「鮭」に変更します。

 広辞苑をひきますと、 

さけ【鮭】
 (アイヌ語サクイベ(夏の食物)からとも、サットカム(乾魚)からともいう)
 広くは、サケ目サケ科のサケ・ベニザケ・ギンザケ・マスの一部などの
 総称。その一種のサケは、全長約90センチメ-トル、体は紡錘形。背部
 は暗青色、腹部は銀白色。秋、川をさかのぼり、上流の砂底に産卵して
 後、死ぬ。生殖期の雄の吻部は著しく曲っているので俗に「鼻曲り」とい
 う。肉は淡紅色で美味。荒巻あらまき・塩引しおびき・燻製・缶詰とし、卵
 は筋子・イクラとして賞用。北太平洋産。アキアジ。シロザケ。しゃけ。
 〈和名抄19〉

しゃけ【鮭】
  サケの転。

と、ありますので、元来は「さけ」であり、学名としても「サケ目サケ科サケ」であります。わたしは、「しゃけ」の呼び名のが、しっくりとして美味しそうに思います。「さけ」は「酒」につながってしまいます。
 NHKの「日本語なるほど塾」(第1巻第10号、2005.1.1)で「鮭」の読み方を取りあげています。「鮭の卵」、「鮭の切り身」の読み方を調べたもので、「サケの卵」、「シャケの卵」、「サケの切り身」、「シャケの切り身」を問うたものです。男女、世代、地域によって多少の違いがあるようですが、結論としては、一匹では「サケ」 、切り身では「シャケ」としています。

 ところで食品としての鮭となりますと、またその表示が問題となってきます。鮭の缶詰のラベルの表示をみますと、「カラフトマス」とあります。不当表示と思ってしまいますが、「鮭の缶詰」の「鮭」は サケ目サケ科の総称とするならば、問題はありません。商品名は「鮭の缶詰」とありますが、表示には「カラフトマス」となっています。
 鮭は回遊魚であることも、表示問題を複雑にします。標識放流によりますと、日本の川で生まれた鮭は、外洋に出ますとアラスカ半島にまで回遊していることが確認されております。したがいまして、同じ鮭であっても釧路沖で捕れたもの、ロシアの経済的排他水域でとれたもの、外洋で捕れたものと、原産地表示には違いが生じます。
 魚の名称は、出世魚の問題や、地域的な名称、和名のない魚など、多くの問題を抱えていることは確かでしょう。
 ただ言えますことは、安全と分かりやすさを重視した消費者側にたった表示を願ってやみません。

 何年前のことでしょうか。息子がカナダのツアーに参加したときのことです。バンクーバーで鮭釣りに挑戦したときのことです。ルアーのトローリングで3キロほどの鮭を釣り上げたときです。ガイドに「持って帰るかい?」といわれ、「はい」と答えますと、その場で内臓を摘出して、「ホテルの冷凍庫に入れておいてもらうように」といわれたそうです。ホテルの冷凍庫から飛行機の託送荷物、そしてとうとうバンクーバー沖の鮭が、成田空港に一緒に到着したのです。
 成田空港動植物検疫所に持ち込みますと、検疫官が「魚は大丈夫ですよ。泳いで日本まで来てしまいますから。でも、魚をもってくる人は少ないですね。」という。 食卓に鮭がのった。息子が釣ってきてくれただけに美味しかったことを記憶しております。
 ちなみに、「日本人は釣れませんとお金を損したようなこというので、積極的には進めません。」とのガイドさんの一言が印象に残っております。

                           天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久

 

シャケの切り身 

さけ(カラフトマス) 

サーモントラウト 


 青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊) 

 

 

(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

第2巻「帚木」その5

 左馬頭の理想の妻についての発言

 左馬頭が続けます。
   「大切な人のお世話ということについていいますと、情趣を知りすぎ
  てちょっとした折の情では、それほど情趣に富まなくてもよかろうと思
  えますが、しかし、夫の世話をいたすことばかりで、長い髪が邪魔に
  なると髪を耳に挟んで実用一点張りに、愛らしさの全くない世話ばか
  りの女房はいただけません。

   男たるもの、朝夕の宮仕えにつけての公私の動作、良き悪しきにつ
  け耳目にとまるものを親しくもない人に話すことはできませんので、つ
  ねに近くにいて世話をしてくれている妻が聞いてくれますならばと、笑
  みも浮かべ涙ぐみ時には憤慨もしながら、心ひとつに納めておくこと
  ができないときなどは、話してきかせようと思いますが、『何ごとです
  か』と間の抜けた顔で見上げておりましたならば、それはどんなにか
  がっかりすることでしょう。

   ただひたすら子供っぽくて素直なところのあります人ならば、不足
  するところは夫が補いまして、妻とするのも良いのではないでしょう
  か。心もとなくても直しがいのあるというものです。
   差し向かいましても、可愛らしさに免じて見ておりますことができま
  すが、側におりません時には、しかるべきことは言付けてやり、折り
  ふしのつまらぬこともまじめなことも自分で判断することができず、
  深い思慮のありませんことは残念なことで、頼りになりませんことが
  やはり困ることになるでしょう。

   ふだんは少し、よそよそしく気にくわぬ女が、折節につけてできば
  えの良いことがあるようですね。」

 何でも心得ている弁舌たくましい左馬頭も、理想の妻選びにはたいそう嘆いています。

                           天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久

 




十夜法要のご案内

 本年もお十夜の季節となりました。一日ではありますが、ご先祖のご供養とともに、み仏の教えにふれますよい機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい。
 お檀家の皆さまには、10月下旬に郵便にてご案内申しあげます。

日   時
11月19日(土)13時より
会   場
願成寺 本堂
塔婆供養料
3,000円
申 込 み
専用ハガキ、電話、FAX、E-mail (前日までに)

 

第234回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
11月18日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
西福寺住職 矢弓 尚善 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。
次   回
12月16日(金) 同時刻  講師 大泉寺副住職 小島 健布 師

 

暮れの墓地大掃除のお知らせ

 毎年12月の第2日曜日は、暮れの墓地および境内地の大掃除となっております。お忙しい折とは存じますが、ご家族でご参加下をお願いいたします。当日は「温かい豚汁」を用意いたしておりますので、お掃除終了後お召し上がり下さい。

日   時
12月11日(日) 9時より (小雨決行)
お 願 い
できますならばお掃除の道具をご持参下さい。
駐車場が少ないのでご注意下さい。

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。


                           天主君山現受院願成寺住職 魚 尾 孝 久

 

  

 

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