吉岡幸雄『日本の色辞典』(紫紅社、税別2,800円)
色について興味を持っておられる方にお勧めする1冊です。非常に
きれいな図版がたくさん載っていて飽きることがありません。解説も平
易でとても楽しい本です。著者の吉岡幸雄氏は、現在、京都を中心に
活躍している染織家です。代々、染織を家業としており、その見識と技
術に定評のある方です。
淡交社編集局編『茶の裂地名鑑』(淡交社、税別4,762円)
茶道では実に多くの道具類を大切に、そして華麗に使います。この
本ではそうした茶道具に関連するさまざまな裂地(きれじ)を紹介して
います。図版が豊富でわかりやすい解説がついています。実に多くの
文様、色彩名、文様と色の組み合わせがあることに驚きます。表具な
どに興味をお持ちの方にもお勧めします。
女房装束(十二単)の重ね色目
上段右が一番上に着る服である a 唐衣(からぎぬ、左:葡萄(表地)
右:縹(裏地)、続いて b 表着(うわぎ、左:紫(裏地)/右:萌葱(表地)、
c 打衣(うちぎぬ、紅)、下段は上段左の下に着る d〜i 五衣(いつつぎ
ぬ、右から、d 蘇芳、e 浅蘇芳、f 赤、g 黄、h 黄、i 浅紅)、下段左端
は j 単(ひとえ、青)と呼ばれる肌着。
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朝夕がめっきり冷え込んできました。皆さん、お元気ですか?
昼間はぽかぽか陽気であたたかいのに、陽が暮れ始めると一気に気温が下がって肌寒くなります。仕事仲間の多くが風邪をひいてしまい困っています。かくいう私も例外でなく、日々、朦朧として生活しています。しかし、毎朝、通勤のときに目にする季節の変化が楽しみでなりません。通勤する道筋にある街路樹や庭木がうっすらと黄や赤、朱色に色づき始め、今ではさかりまであと一歩というところでしょうか。こうした季節の移ろいを目にすると一年の過ぎ行く早さに驚きます。そして季節のめぐっていくことを目の当たりにして日本人はこの風土に暮らしてきたことを再認識します。
前回は立礼から座礼への生活習慣・様式の変化が服装の仕立て方、着方、そしておしゃれにも大きな影響を与えたことについてでした。今回は平安時代の人々の服装についてお話します。
奈良時代から平安時代への住環境の変化は人々の生活を立礼から座礼の世界へと変えました。座敷などのような場所に腰をおろしての生活は、中国から輸入されたスマートでほっそりとした服装では窮屈であると人々は考えたのです。人々の服はゆったりとした大き目の服装へと変わります。これは微妙に変化する日本の四季に対応して、重ね着などが楽にできます。これによって、夏の湿気の多い暑いときは袖口や裾の大き目の服であることから風通しがいいわけですし、冬は冬で
寒さに応じて着重ねる服の枚数を加減できます。このような実用的な面ばかりではありません。ゆったりと大き目の服は袖口や裾口がおおきいので、着重ねている服を見せることができます。そして人々はさまざまな色の服を着重ねて袖口や裾口からのぞかせることで、折々の風情や雰囲気といったものを「色」で表現し、そしてそのセンスを競いました。今で言えば「おしゃれ」を競ったのです。
そもそも、平安時代の貴族の色彩感覚は現代人よりも更に繊細で奥深いものがあります。服装でも同様で、@染め色A織り色B襲ね色目があり、さらに、C最上衣仕立て方を利用した色の使い方もありました。
@は織る前の蚕から紡いだ糸、あるいは織り上げた生地を草木染料で染めたものです。平安時代の貴族の服は大勢が絹製品ですから、それは美しい遺品が今でも伝わっています。
Aは聞きなれない言葉ですが、現代ではあまり見られなくなったものです。織物は縦糸と横糸によって織り上げられますが、そのときに縦糸と横糸の色を別々の色で織ります。すると非常に複雑ですが深みのある重厚な色の生地ができます。
Bは、何枚ものさまざまな色合いの服を着重ねて、その袖口や襟元や裾にその着重ねた服の一部をのぞかせるものです。いわゆる十二単(じゅうにひとえ:本当は女房装束(にょうぼうしょうぞく)といいます)とよばれる貴族女性の服に多く用いられたものです。季節や着ていく先の催しや儀式にあわせて多種多様な色の組み合わせがあったようです。
Cは、たとえばこの時代の服の基本は裏地と表地による袷(あわせ)と呼ばれる仕立てでした。当時の人々はこれに注目しました。表・裏の生地に別々の色を用いるのです。しかも「おめり」とよばれるのですが、裏地を5ミリから1センチ程度、袖や裾の表地に折り返してみせるのです。これによって裏地の色や文様が表地の端にみえることになります。服の枚数を重ねるだけでなく、さらにこうしたおめりを利用した袷の色をのぞかせることで襲ね色目はさらに複雑な色の組み合わせを楽しめるようになります。
また、この袷という仕立てをうまく利用して、D表地を薄い生地にして裏地の色を透けて見せるということまで考え付きました。たとえば表地を白の薄手の絹にして、裏地を濃い赤にすれば、表からは薄い桃色、ピンクに見えるのです。しかも角度によっては裏地が透ける場合と透けない場合があり、その外見はとても変化が出てきます。あるいは、表を藍色、裏地を濃い赤にして仕立てるとどうなるでしょう。紫色にみえるのです。しかも表地の藍色の濃さを調整すれば、紫色の濃淡も表現できます。これは主に男性の年齢を示すときに使われた方法です(濃い紫ほど若いことを示しました)。
私は絵画が好きなのですが、有名な国宝の『源氏物語絵巻』という作品が名古屋の徳川美術館と東京の五島美術館に分けて保存されています。平安貴族の女性・紫式部が書いた『源氏物語』を絵画化したものです。静かですがしっかりとした作風の名品です。この作品を眺めていると、今、お話したような服と色彩の使い方をたくさん発見します。何度みても飽きが来ることはないほどさまざまな色の工夫が見られるのです。季節や居合わせる場所に合わせて、そして年齢や性別、さらには心情までも服と多種多様な色の使い方で示していたことが手に取るようにわかります。
こうして考えてみると平安貴族たちは老若男女に関係なく、実に複雑で高度な色彩表現の感覚をもっていたことがわかります。現代の我々には考えもつかないような表現方法だと思うのです。座礼による生活が服のあり方に影響を及ぼし、そこに創造された複雑で繊細な色彩感覚。現代のきものは、元来、武家社会の女性の服装の影響を強く受けていますから、今回お話しているような平安貴族社会の服とはまたちがった色彩感覚です。
すでに忘れ去られた平安貴族たちの色彩感覚。でも、現代、服から別のものに姿をかえて細々と生き続けています。たとえば和菓子の包み紙や箱とか、あるいはお正月のお飾りに使われる和紙の重ねなどです。これからクリスマスです。市販のカードも素敵ですが、折り紙などにつかう色紙でもいいし、画用紙でも模造紙でもいいと思います。ちょっと懐のあたたかい人は、江戸風の千代紙や和紙などを使いオリジナルのカードを作られたらいかがでしょうか。白い紙を絵の具やパステルなどをつかって好きな色をつけてみてもいいでしょう。数色の色を重ねてみることではっとするような、美しい、世界に1枚しかない素敵なカードが目の前に現われると思います。
さて、このメールマガジンの連載も5回目です。半ばということで節目です。いままでは奈良時代から平安時代の朝廷や貴族の住生活、そして仏教と建築の関係、そして、住環境の変化と服装についてお話してきました。雑文・駄文で申し訳なく思っています。後半5回では今までとはことなる視点でお話をしていくつもりです。
東京大学史料編纂所学術研究補佐員、大正大学非常勤講師
佐 多 芳 彦
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ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。
教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「
願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。
寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。
インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。
毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。
諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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