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第2巻「帚木」その8
左馬頭の理想の妻についての発言その3
左馬頭は、物事のよしあしを判定する博士となって、しゃべる。頭中将は、この理屈を最後まで聞こうと、熱心に応答なされた。
「女の善し悪しはよろづのことに引き比べてお考え下さい。木工の職人がいろいろな物を心のままに作り出すのも、そのとき限りのもてあそび物で形も定まっておらずちょっと見はおもしろく、なるほどこうも立派にできるものだなと、その時その時で形を変えて今様であることに目が移り、おもしろい物もございます。しかし、本当に整って美しい調度品で飾りとする型の定まっているような物を、難なく作り出すことは、真の名人は格別であると判ることでしょう。
また、絵所には上手な者が多いでしょうが、墨書きに選ばれて次々に書かれたものは、ちょっと見ただけでは、ほとんど優劣はわからないものです。人が見ることのできない蓬莱の山、荒海の怒れる魚の姿、唐国のはげしい獣(けだもの)、目に見えない鬼の顔などの大げさに画かれたものは、絵師が心に任せてひときわ人目を驚かします。実は似つかぬものでしょうが、それはそれですんでしまうでしょう。
しかし、どこにでもある普通の山のたたずまい、水の流れ、目近な家居の様子を描き、「なるほど」と見え、なつかしくやわらかなる様子を画きまぜてあり、険しくない山の景色、木深く、世離れて幾重にも重ね、家近い籬の内などを画くに、その心くばりや配置などまでが、名人の画くその勢いなどは、下手な者の及ばぬところが多いようでございます。
文字を書きます場合にも、深き教養がなくて、ありらこちら点長に走り書き、なんとなく気取っているのは、ちょっと見には才能があって立派なようであるけれど、本当の筆運びを心得ていて丁寧に書かれた文字は、表面の筆の勢いは消えて見えるけれど、今一度の選びとなりますと、やはり実あるものがよいでしょう。
ちょっとしたこと(工作や書画)でも、このようでございます。まして人の心は見せかけの風情はやはり当てになりません。その体験を少し好色めいておりますが、お話しいたしましょう。」
と、乗り出してくるので、光源氏も目を覚まされる。頭中将はたいそう興味をもって頬杖をつきながら、あい対している。
まるで、坊さんが「世の道理」を説き聞かせる所の心地がするのも、興味がわくが、こうした折には、それぞれ内緒事も隠しきれるものではなかった。
え‐どころ【絵所・画所】
平安時代、宮中で絵画の制作をつかさどった役所。画工司えだくみのつかさに代って置かれ、長官を別当といい、五位の蔵人が補せられた。鎌倉時代には春日・住吉・本願寺などの社寺が、また室町・江戸幕府も、これにならって置いた。(広辞苑)
すみ‐がき【墨書き・墨描き】
@墨ばかりで絵を描くこと。また、その絵。
A下絵したえ。
B平安時代の宮廷絵所えどころの職制で、主任画家の称。源氏物語帚木「絵所に上手多か れど―にえらばれ」(広辞苑)
ほうらい【蓬莱】
[史記秦始皇本紀]三神山の一。中国の伝説で、東海中にあって仙人が住み、不老不死の地とされる霊山。蓬莱山。蓬莱島。よもぎがしま。竹取物語「東の海に―といふ山あるなり」(広辞苑)
てん‐なが【点長】
達筆らしく、文字の点や画を長く引いて書くこと。源氏物語帚木「ここかしこの―に走り書き」(広辞苑)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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