1.某家所蔵『年中行事絵巻』鶏合巻(部分)
この絵巻物は江戸時代の写しですが、最初に作られた原本は平安時代最末期です。残念ながらその原本は現在は失われてしまっています。
先日、調査させていただき、その図版を所蔵者のご好意で載せさせていただきました。 これは貴族の家に庭先で鶏合(とりあわせ:闘鶏)をやっていて、それを家の人々がみています。鮮やかな色合いで八重の梅が咲き誇っています。ちょうど、今頃の時期なのでしょう。
こうした場面に描かれている人々をよく見ると、ほとんどが盤領(ばんりょう:本文参照)で描かれています。貴族は丸い襟(えり)の盤領を着なくてはならない、というような決まりごとが習慣としてあったということです。
2.同上(部分)
鶏合の余興に子供が舞をしたようです。これは舞を舞う少年にみんなで衣裳を着付けている場面です。この場面だけ見ていてもまさに「色の洪水」です。かれら平安貴族たちの色彩感覚が垣間見られるシーンです。この場面で人々の着ているものはほぼすべてが絹製です。これを糸の段階から鮮やかな色に染め上げたり、あるいはきれいな色の糸で刺繍をしたりして仕立てました。
3の図はこの場面のまわりもわかるようにしてみたものです。このテントのようなものもすべて絹製で何種類かの色の絹の反物に華の刺繍をほどこし、これをはぎ合わせて作ったものです。
3.同上(部分)
4.同上(部分)
これはこの絵巻物の中で私がちょっと気に入っている場面です。貴族の家に鶏合に出る鳥を持ってくる人たちです。右側の人物は天秤棒(てんびんぼう)の両端に鶏の入ったかごをぶら下げています。その右側のかごの中の鶏は、なんと!正面から描かれています。正面顔の鶏の絵はあまりありません。人物でも動物でも正面から描くことはとても難しいといえます。この絵巻物の原本を描いた絵描きさんの実力を物語る場面でもあるのです。
5.同上(部分)
鶏合の順番を待つ人々(と鶏)です。ここに描かれた人々はあまり身分が高くなく、貴族の家の使用人でしょう。彼らはわりと地味な色使いの服を着ています。彼らは貴族とちがい、絹製の服はよそ行きであり、こういうときは苧(からむし)、葛(くず)、麻(あさ)などのつるを細く割いて晒して糸にした、比較的粗末な素材の服を着ていました。こうした服はあまり鮮やかには染まらないし、鮮やかな色の染料は高価だったからです。
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第8回 「平安貴族の服と色(2)生活の中の色」
三寒四温といいますが、だんだんと春らしく暖かくなってきました。
もうすぐ三月、ひな祭りの季節です。年が明けてお正月、松の内があけると新聞と一緒に届けられる広告に雛人形のチラシがちらほらと入りだします。一月の末から二月のはじめ以降、テレビでも毎年、同じメロディーの雛人形のコマーシャルが始まります。これを見ると、「春がもう目の前だ」と思います。チラシをみて季節を感じるなんてあまり風情のあるお話ではありませんが、食べ物などがハウス栽培や冷凍保存のおかげで一年中食卓に並べられる昨今、季節感は本当に曖昧になりました。ですからチラシやテレビコマーシャルで季節の移ろいを感じるのも、むかしの歳事の観念がいまだのこっていることになり、「当世風」の季節感なのではないでしょうか。
ちなみに、ひな祭りが終わると、今度は端午の節句の甲冑(よろいかぶと)の雛形のチラシやコマーシャルが、いっせいに新聞やテレビで目にすることが多くなります。
今回は、平安貴族たちの色についてお話します。前に、第5回「平安貴族の服と色」で平安貴族の色彩感覚について触れたことがありました。あのときには様々な服装に使われる色の使い方を述べたわけですが、今回はその色使いの話をもう少し深くお話します。
平安貴族の服装、なかでも女房と呼ばれた宮廷や貴族の女性たちの服装は、当時の人々にとって、溢れる色彩感覚を競う場でもありました。わかりやすくいうと色使いの良さがセンスの良さだったのです。平安貴族のこうした色彩のセンスが驚くほどに磨かれたのには、おそらく三つの理由があると思います。
一つ目は平安貴族の服装はあまり種類がなかったことです。現在のファッションでは、色彩感覚のほかに服の種類が重要な要素となります。フォーマル、カジュアル、それぞれに数多くの服の種類があり、それぞれにメーカーやデザイナーごとにさまざまな服があります。多様な服と多様な色彩、その無限大ともいえる組み合わせがあるから現代の我々のファッションは、楽しくそして流行も生まれるのです。また個性ある服装も、矢継ぎ早に生まれてくるのです。
平安貴族の男性は、基本的に盤領(ばんりょう)という丸い襟(えり)の上着を着ることが義務付けられていました。そして、裕福であろうとそうでなかろうと、貴族男性はこの盤領という襟の形式をもつ上着を着ないとまずかったのです。見方をかえれば、盤領は貴族であることの証(あかし)でした。天皇の御前に参上するときや朝廷で勤務したり儀式に参加したりする正装から、自宅でくつろぐとき、花見や賀茂の祭りの見物、紅葉狩りなどのようなときの普段着まで盤領の襟をもつ服装で統一されていました。
平安貴族の女性はどうかといえば、現在の着物のような襟の服を重ね着して、身の丈にあまる長い紅い袴をはくことが正装で、くつろいでいるときは袴ははかなくてもよい、というものでした。平安貴族は男女とも、意外なほど服の種類はおおくなかったのです。こうした服のかたちがあまり選べない状態は、自然と色の組み合わせへと彼らの目を向けさせたと思います。
二つ目は平安貴族だけではなく、当時の人々すべてに通じていえることだと思いますが、彼らが生まれ育った日本の自然です。色彩の研究者から聞いたことがあるのですが、海のないところで育った人と海辺で育った人とは微妙に色彩感覚が違うそうです。また都会と地方でも違うそうです。たとえば、都会では真っ黒や真っ白という白黒写真を見ているようなファッションの人をよくみかけます。これは都会というコンクリートの白・灰色・黒という色彩感がもたらすものです。
また、今、冬季オリンピックの行なわれているイタリアなどのような地中海に面した国々の人々や、北米大陸のロサンゼルス、サンフランシスコのような場所の人々は、目にも鮮やかな赤や青、緑といった原色の色使いのファッションを好みます。これと同じように平安時代の日本は現代と違って大気汚染もないきれいな空気の中で暮らしていました。身近なすべての色合いが自然色であったのです。化学染料などでは染め出せないような自然の恵みからしか得ることのできない色、です。こうした自然の色は色とりどりの草花や蝶のような生き物、木々の新緑、暮れる夕方の太陽などなどをみればわかりますが、あきれるほど色鮮やかな世界です。こうした世界で暮らしていた平安時代の人々は、自ずと実に豊かな色彩感覚を持っていたかと思います。
三つ目は、平安貴族社会では一部の人しか使ってはいけない「禁色(きんじき)」という制約がありました。あらかじめ決められていた天皇や皇后などの服の色と同じ色を使うことは許されない、というものです。もしこの制約を貴族たちが違反すると罰を蒙りました。反対に禁色を使っていいと天皇に許される場合もあります。それは天皇と親しいから許されるのであり、禁色を使った色の服を着ることは、天皇と親しい間柄であることを周りの人々にアピールするものでした。禁色という制約は、平安時代の貴族たちが服に使っていい色について工夫させる結果をもたらしました。使ってもいい色を駆使して、ますます彼らの色彩感覚はみがかれていったと言ったほうがいいでしょう。
平安貴族は勝手気ままに自分たちの生活を楽しんでいたと思われがちです。しかし、たとえば服に使っていい色をとってみても、我々が思うほど自由であったわけではないのです。でも、色という点で言えば、彼ら貴族は知恵を振り絞って、色の使い方を考え、そして、おそらくは現代の我々が考えもつかない色の使い方のセンスを高めていったということです。
東京大学史料編纂所学術研究補佐員、大正大学非常勤講師
佐 多 芳 彦
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写真の料理は、日本料理での「焼きもの」にあたる。西京漬けの魚に酢蓮と青ものが添えられている。西京漬けには、マナガツオ、鱈、鰆(さわら)、ムツ、鮭などが使われるが、今の季節は程よく脂ののった鰆がやはり一番であろう。
焼きものを食したあと、つぎの料理にすすむにあたり、酢蓮などの添えものを口にして、さかなの味がつぎの料理に残らないようにするのである。これからの季節、温室ものの生姜が出荷されてくると、薑(はじかみ)が中心となってくる。いまは、瓶詰めの薑が幅をきかせているが、赤と緑のツートンカラーになっているのがいただけない。やはり、薑は赤、白、緑の3色でなければならないのに、染められるため白い部分が赤く染まってしまっているのである。
写真は、お食事処「田なか」さんの焼きもので、青ものには「ちしゃとう」が添えられている。冬場は緑のものが少ないため、工夫がされるのである。時に大葉を敷き、その上に魚を載せている店があるが、いただけない。焼きさかなの熱で、大葉が焼け黒ずんでおり興ざめである。
「ちしゃとう」をみて、大方の人は「何ですか」と聞くという。レタスの仲間で、茎レタスと呼ばれるものである。レタスといえば、今サラダに使われる葉レタス、玉レタスが中心であるが、導入されたの明治以降である。茎レタスは歴史が古く、平安時代の辞書である「類聚名義抄」はすでに、その記載がある。現在では、西京味噌や、三五八漬けとして利用されることが多い。何といっても、あざやかな緑色は見事であり、その食感もまたしゃりしゃりとして心地よいものがある。焼きものの味や臭いを消すのに、酢蓮とともに「ちしゃとう」が添えられているのは、贅沢の感さへある。
そういえば、「田なか」さんの作るお節料理には、かならず「ちしゃとう」が、盛られている。「葉蘭(はらん)」や「つくばね」もあるが、食べることができない。キュウリやアスパラガスもきれいな緑色をしているが、和料理には向かないことは、承知していただけるだろう。
やはり冬場は「ちしゃとう」である。問題は、年末になりお節料理を控えると高騰することである。お正月をすぎると、だいぶ安くなるという。今回の焼きものに添えられている「ちしゃとう」のが、お節料理の時よりも多少大きような気がする。
こんな思いから、家庭菜園で栽培をしてみた。上手くでき、この冬には「ちしゃとうの三五八漬け」を堪能したが、たくさんあれば良いというものではない。
は‐らん【葉蘭】
(婆蘭・馬蘭の転) ユリ科の常緑多年草。地下茎をもち、葉は長大な楕円形で柄も長い。4月頃、緑色、内面紫色の鐘形花を地に接して上向きに開き、緑色球形の液果を結ぶ。葉は生花または料理の敷物とし、果実は薬用。根茎を利尿・強壮剤とする。中国の原産で、古くから庭園に栽培。(広辞苑)
つく‐ばね【衝羽根】
@追羽根おいばねのはね。羽子。
Aビャクダン科の落葉低木。山地に自生し、根の一部は他の植物の根に寄生する。茎は高さ1メ-トル余。葉は対生し、卵形。雌雄異株。初夏淡緑色の小花を開く。秋に結実する果実には4枚の翅状の苞ほうがあって@に似、塩蔵して料理の飾りに用いる。ハゴノキ。コギノコ。(広辞苑)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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焼きもの
「田なか」ご主人、田中直樹さん
我が家の「ちしゃ」
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ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。
教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「
願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。
寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。
インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。
毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。
諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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