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第2巻「帚木」その9
左馬頭の体験談(指喰いの女)その1
「以前のことで、私がまだ身分の低いときに、いとおしく思う女がございました。先ほど申しましたように容貌などは特に優れておりませんでしたので、若いときの浮気心には、この方を生涯の妻にするとは思っておりませんでした。しかし妻のひとりとは思いながらも、浮気を重ねておりましたところ、たいそう嫉妬いたしましたので、それが気にくわず、もっとおおらかであってくれたならばと思いました。あまりにも容赦なく疑りましたので、「こんな数ならぬ身に愛想も使わず、どうして思いを寄せてくれるのだろう」と、心苦しく思いますときもございまして、自然に浮気心が治まるようでございました。
この女の方法は、もとより思いのいたらぬことであっても、「何とかして夫のために」と工夫をこらし、他の人よりも遅れていることも、「私に見限られないように」と努力を続け、とにかく真面目に私の世話をしてくれ、「少しでも私の気持ちに背くことのないように」と思っているうちに、出過ぎた女と思っていたが、次第に柔和になり、容貌の醜さをも「私に疎まれないように」とお化粧をし、また見知らぬ人に見られたならば、「夫の恥じになりはしないか」と気を遣い努力しておりましたので、見慣れるままに女の心も悪くなかったのですが、ただ憎らしい嫉妬の点だけが納得ができませんでした。
その時に思いましたことは、「このように、女があながちに私に従い怖じていたことです。ですから女が懲りてしまうようなことで脅かして、この嫉妬のことも性格も良くなるであろう」とまた「やはり嫉妬はいやだ」と思い、ことさら女につれないさまを見せて、女がいつものように腹を立て嫉妬したときに、「こんなに強情であるならば、夫婦の縁が深くとももう再び会うこともないであろう、もうこれ限りと思うならば、好きに嫉妬するがいい。もし妻として長くつき合うのならば、辛いことがあっても我慢をしておおように考えて、こうした嫉妬の心がなくなるならば、たいそう愛おしいものになるであろう。私が人並みの官位になり大人となるにつれて、おまえに並ぶ者はいないであろう」など、「うまく教えたなあ」と思って得意になって言ってやりました。
ところが、女はすこしうち笑って、「見ばえなくて目立たない存在としても、いつかは人並みになるときもあるであろうと、待つことは、そう気にもならず不満に思うこともありません。しかしあなたの薄情を我慢して、浮気心の治るのを待とうと年月を重ね、当てのない頼みはたいそう苦しいことなので、ちょうど別れるよい機会でしょう」といまいましく言うので、腹を立てて憎まれ口を激しく言いましたところ、女も我慢できない性分でしたので、私の指に食い付いてきたのです。
」
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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