本年1月11日、カメラフィルム業界に激震が走りました。カメラ業界双璧のひとつであるニコンカメラが、フラッグシップカメラ「F6」、入門機としての「FM10」を除き、フィルムカメラの生産終了を発表したのです。
(http://www.nikon-image.com/jpn/news/info/info060111.htm)
デジタルカメラの普及にともない、フィルムカメラ市場の急激な縮小という市場環境の中で、デジタルカメラ事業に経営資源を集中して、高機能で付加価値の高い製品の提供のため、フイルムカメラ製品のラインアップの見直しをするというのです。
テレビ放送のデジタル化をはじめ、社会全体がIT化デジタル化していくなかで、来るべきものが来たかという感は免れません。フィルムカメラがニコン製品の売り上げの1割にしか満たないという現実は、如何ともしがたいことなのでしょうが、自宅でフィルム現像から写真の引き伸ばしをした私には、時代の変化という一言では片付けられないものがあります。
追い打ちをかけるように、19日には、コニカミノルタが、カメラ事業とフォト事業の終了を発表しました。
(http://konicaminolta.jp/about/release/kmhd/2006/0119_04_01.html)
2003年8月にフィルムや印画紙生産を中心とするコニカとミノルタカメラが経営統合して誕生した会社です。たがいにフィルムやカメラの生産続行を考えての合併であったのでしょうに、2年余りでの撤退となってしまいました。
今やレコードが消え、カセットテープやビデオテープは、風前の灯火となっています。フィルムカメラも同じ運命をたどるのでしょうか。携帯電話に高性能なカメラがつき、写した写真はメールとともに行き交っているのです。そういえば、街のDPE屋さん(現像(developing)・焼付(printing)・引伸し(enlarging))も少なくなっているといいます。行楽シーズンや運動会のあとなど、混雑していたのは昔の話となってしまったのです。
という私も、このメルマガ始めると同時に、デジタルカメラを購入して写真を載せております。メルマガという性格を考えますと、デジカメの使用もやもえないのですが、フィルム写真とはまったく別ものと思っております。メルマガ(18.03.15)に掲載いたしました富士山の写真は、朝6時の朝焼けを写したものですが、簡単な編集ソフトで朝焼けを取ってしまうなどは朝飯前です。作為的な映像を作ることが簡単なだけに便利な一面、人間味に欠けることは否めません。
ですから、デジカメ全盛といっても、銀盤写真からフィルム写真の築いてきた文化と芸術性は、決して揺るぐものではないのですが、やはり一抹の寂しさは禁じ得ません。
メルマガを発行するには、多少パソコンやデジカメの知識が必要なところから、パソコン雑誌『ASHIパソコン』を、創刊時より愛読して参りました。どんなにかパソコンに関する技術や情報を享受したことでしょう。
ところが、この3月15日号を手にして驚きました。休刊となったのです!当然「なぜ」という疑問がおこりました。パソコンの普及を考えますと、とても考えられないことで、これからはパソコンの知識はどこから手に入れたらよいのでしょうか。
あらゆる雑誌は、売れているのに休刊するものはないでしょう。発行部数の減少こそ、その理由であろう。敗軍の将(編集長)は、パソコンの家電化により情報誌を見ての購入というものがなくなり、インターネットの急速な普及により情報誌に頼らなくともよくなったこと、そしてその使命を終えたといいます。その通りであろう。中年以降の世代は、パソコンに限らす、家電製品であっても、購入するとまずマニュアルを読むことから始めます。情報誌(本人は専門誌と思っている)やハウツー本は必須アイテムです。ところが、若い人は、ほとんどマニュアルは読みません。すぐにさわって使い方を覚えるのです。判らないことはネットで情報を得ます。パソコンソフトなど、マニュアルすらないのです。これではパソコン雑誌が終焉を迎えるのは当然でしょう。
時代は加速度的に変化をとげていきます。やはり、人間は普遍的な世界にも身をおく必要があるのかも知れません。「普遍的な世界」とは、人によって、「芸術」であったり、「宗教」であったり…………。
ぎんばん‐しゃしん【銀板写真】(広辞苑)
よく磨いた銀板を沃素蒸気で処理して表面を沃化銀とし、露光後水銀蒸気で現像して画像を得る写真法。また、その写真。1837年ダゲールが発明、39年公表。ダゲレオタイプ。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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