01 最近、襲ね色目や日本の伝統色について、きれいな写真がたくさ
ん載っている本がずいぶん安価に入手できるようになりました。

 これは長崎 巌「かさねいろ―平安の配彩美」(ピエ・ブックス ; ISBN: 4894444631、2005)で、襲ね色目についての最新の参考書です。なかなかに楽しい本で、解説も平易、写真もうつくしく、ぱらぱらと頁を繰っているだけでも意外に癒される一冊です。


02 平安時代の女房装束(復元雛形)

 葡萄色(ぶどういろ、と書いて「えびいろ」とよみます)、青色、赤、そして萌葱匂(もえぎにおい)という襲ね色目です。この女房装束の特色は肌着が赤という点にあります。赤は「禁色(きんじき)」(前回参照)で、これを着ているということは、相当に身分の高い女性でしょう。


03 絵巻物に描かれた山桜(本文参照)

 前回もご紹介した某家所蔵『年中行事絵巻』鶏合巻(部分)のなかの一場面です。貴族の邸宅の渡り廊下から鶏合をみています。この画面の左上に描かれているのが山桜です。


04 襲ね色目とそのモチーフ

 本文でお話しましたように、襲ね色目の名称には工夫があります。襲ね色目の名称が具体的にはどんなものにヒントを得てつけられたのか、考えてみるのも面白いでしょう。これは旺文社の「古語辞典」の口絵で、わたしが監修したものです。襲ね色目と名称のもととなったものをならべてみました。

第9回 「平安貴族の服と色(3)色の名前」

 桜の花まもなく満開です。今年の冬は本当に寒かったですね。
 
 この時期、天気予報は一時的に「開花予報」・・・へと変わります。春の訪れを実感する数週間です。
拙宅では比叡山の執行さんからいただいた彼岸桜が小ぶりな白みがかったピンク色の花をつけ、その後を追うように寒緋桜が濃い赤の花を咲かせます。ちょうど、今はこの2種類の桜がおわり、染井吉野が7・8分咲きでしょうか。染井吉野が満開になると追いかけるように御殿場桜、普賢象(ふげんぞう)、御衣黄(ぎょいこう)が咲き、我が家の花見は終わります。
 桜は総じて丈夫で成長が早く、あっという間に花を咲かせます。庭木にはもってこいなのでなんやかやと6種類も集まってしまいました。

 さて、今回は「平安貴族の服と色(3)色の名前」として、彼ら貴族たちの使っていた色の名称を中心にお話をします。
 
 平安貴族たちの文化が育まれた原点は、平安時代の前の時代、奈良に都が置かれていた奈良時代、7・8世紀のことです。この頃、日本にもともとあった染織技術に唐(中国の古代王朝)から伝わってきた技術が加わりました。おそらく、この頃の宮廷は想像できないくらいの「色彩の洪水」であったと思います。その面影を断片的ですが、現代に伝えてくれるのが、奈良・正倉院(しょうそういん)につたわる宝物です。これらは奈良時代の聖武天皇(しょうむてんのう)の遺品類を中心とした古文書・工芸品類で、当時、最先端の工業技術の粋でした。この正倉院につたわる染織品をみていると、その鮮やかな色彩感覚に驚きを禁じえません。
 
 しかし、長い時間、正倉院の染色品をみていると、なにやら不思議な感じを覚えます。それはある種の違和感で、なにかがしっくり来ないのです。
 じつは唐から伝わってきた色彩感覚は、日本人に比べてとても派手なのです。「色使い」といったほうがわかりやすいかもしれませんが、色の組み合わせの問題です。ある種、異国の雰囲気も感じるのですが、日本人の色彩感覚は、濃い、目にも鮮やかな色を使うときは、かならず柔らかな色もつかって強弱をつけます。たとえば、濃い赤を使うなら、薄い赤や白を配します。対する唐や正倉院の染色品の色使いは、原色の赤・黄・青・緑・紫などを組み合わせますが、そこに同じ色の系統の濃淡であるとか、白という色はほとんど出てきません。こうした色使いは日本人の趣味には合わなかったと考えられています。ですから、正倉院の染織品にみることのできる色使いは、このあとの平安時代には全く見なくなってしまうのです。
 
 以前にもお話したように平安時代以降の宮廷では、卓越した色彩感覚を多くの人々が持っていたわけですが、なかでも特にセンスが問われたのは襲ね色目(かさねいろめ)でした。これには膨大なバリエーションがあります。そして、その色目と呼称の関係もまたあきれるほどのバリエーションがありました。 
 こうした当時の宮廷の女性たちが襲ね色目を多く用いたわけですが、どうも彼らは色の組み合わせ(色目、といいます)を工夫するだけではなく、その呼び名にも相当苦心したようなのです。
 女性の使う春の襲ね色目の名称は、春なら「紅梅」「桜」「壷菫(つぼすみれ)」「早蕨(さわらび)」「躑躅(つつじ)」「桃」などがあります。夏なら「花橘(はなたちばな)」「杜若(かきつばた)」「菖蒲(しょうぶ)」「卯の花」「撫子(なでしこ)」「蝉の羽(せみのは)」、秋なら「紅葉」「萩」「桔梗(ききょう)」「菊」「竜胆(りんどう)」「朽ち葉」、冬なら「椿(つばき)」「雪の下」「篠青(ささあお)」などというのがあります。ここであげたのは比較的一般的なものなのですが、この中からいくつかのエピソードをお話しましょう。
 「桜」は真紅と白が基調でこれにピンク色の濃淡の間着を数枚着るのが普通です。ところが文献によってはこれに黄緑をいれるものがあるのです。この黄緑はなんでしょう、おそらくは若芽の新緑の色です。現在、黄緑の入った桜襲ねを間違いであるとする人もいますが、それこそ大きな誤りで、これは間違っていません。現在、桜といえば染井吉野を思い浮かべます。たしかに若芽はないから変です。しかし、平安時代のころの、今で言う「原種」の桜は山桜なのです。山桜は花と若芽が同時なのです。ですから、黄緑が色目に入ることは間違いではありません(図版03参照)。
 また「紅梅」でも面白いことがあります。紅梅の色目は真紅と濃い臙脂(えんじ:濃い赤のややくすんだかんじの色)色です。この2枚の間に白の間着を着ます。この色ですぐにわかりにくいのは、どうして同系統の2色なのだろうかという点です。梅の花の濃淡?ちがいます。真紅が花、臙脂が花のがくの色、なのです。「紅梅」とおそらくは対の襲ね色目で「白梅」があります。こちらは白と臙脂であるところからみて、臙脂は花のがくであることは確かです。
 
 はたまた「花橘」などという襲ね色目は黄味が強めの黄土色に緑色をあわせたものです。これもとっさにはわからないのですが、橘の実を考えるとこの色合いの意味がわかります。つまり黄味の強い黄土色は橘の実です。みかんに似た実ですが、みかんよりは黄味が強いでしょう。緑は葉の色です。なぜ、実の色をオレンジではなく黄味の強い黄土色にするのでしょう。ちょっとくすんだ色であまりいい色ではないのです。この理由は前回お話した「禁色」と関係があります。鮮やかなオレンジに近い色で黄丹(おうだん、おうに)というのがあります。染色で赤みの多い黄色を指し、くちなしと紅花でそめるとてもきれいな色です。ところが、この色が皇太子の服にもちいる色でありことから、ほかの人は使ってはいけなかったわけです。したがって、本当の橘の実の色を使うと皇太子の黄丹と紛らわしいことから使用が禁止されたのです。
 
 こうした襲ね色目の呼称で、私が一番驚いたのは冬の「雪の下」と「篠青」でした。「雪の下」は白と深紅、「篠青」は白と緑です。この色の組み合わせ、なにを表現しているかわかりますか?ヒントは季節です。
 「雪の下」とは雪を綿帽子のようにかぶった紅梅の花、篠青はおなじく雪をかぶった笹の葉なのです。こうした、ひとひねりした襲ね色目の名称、とても面白いのです。そしてなによりも、こうした呼称と配色を考え付いたセンスです。ちょっと思いつかないのです。ですから、平安時代の人々は、たとえば白と深紅の襲ね色目の女房装束の女性をみたら、これはなんという名称なのだろうと考え込んでしまう人もいたのだと思います。また、逆に「雪の下」の襲ね色を目と耳にしたときは即座に「ああ、あの色か」と白の深紅の色を思い浮かべていたのでしょう。「篠青」も同じようなイメージの襲ねで、積もった雪の下に青々とした笹の緑が映えて見える、ということです。私はこの発想にとても驚きました。
そこにはある種の美的な感覚が、確実に存在しているのがおわかりになると思います。この発想力は現代人には失われてしまったものですし、平安時代ならではの感覚だと思うのです。そして、たぶん、こうした感覚が解せなければ、「教養がない」と考えられてしまう時代だったということです。もうひとつ面白いのは、平安時代の人々は、自分たちを取り巻く自然を実によく観察している、ということです。それを実に豊かな言葉の知識でたくみに表現するのです。
 
 今回で平安時代の色の話はおわります。色についてはお話したいことがたくさんありますが、とりあえずはこの辺にしておきましょう。
現代人は、年齢、性別、国籍、言語などの障害はすべて乗り越えて、さまざまなファッションを手に入れました。メディアが新聞、ラジオ、テレビ、インターネットと進化し、これを追い風に、誰もがいち早くファッションの情報を手にいれることができるようになりました。
 けれど、情報やものがいくら豊かになっても、そのセンスやセンスを表現する能力においては、平安時代の人々のファッションにはとうてい及ばないような気がします。みなさんはどのように感じられますか?

 東京大学史料編纂所学術研究補佐員、大正大学非常勤講師
 佐 多 芳 彦


 本年1月11日、カメラフィルム業界に激震が走りました。カメラ業界双璧のひとつであるニコンカメラが、フラッグシップカメラ「F6」、入門機としての「FM10」を除き、フィルムカメラの生産終了を発表したのです。
(http://www.nikon-image.com/jpn/news/info/info060111.htm)
 デジタルカメラの普及にともない、フィルムカメラ市場の急激な縮小という市場環境の中で、デジタルカメラ事業に経営資源を集中して、高機能で付加価値の高い製品の提供のため、フイルムカメラ製品のラインアップの見直しをするというのです。

 テレビ放送のデジタル化をはじめ、社会全体がIT化デジタル化していくなかで、来るべきものが来たかという感は免れません。フィルムカメラがニコン製品の売り上げの1割にしか満たないという現実は、如何ともしがたいことなのでしょうが、自宅でフィルム現像から写真の引き伸ばしをした私には、時代の変化という一言では片付けられないものがあります。

 追い打ちをかけるように、19日には、コニカミノルタが、カメラ事業とフォト事業の終了を発表しました。
(http://konicaminolta.jp/about/release/kmhd/2006/0119_04_01.html)
2003年8月にフィルムや印画紙生産を中心とするコニカとミノルタカメラが経営統合して誕生した会社です。たがいにフィルムやカメラの生産続行を考えての合併であったのでしょうに、2年余りでの撤退となってしまいました。

 今やレコードが消え、カセットテープやビデオテープは、風前の灯火となっています。フィルムカメラも同じ運命をたどるのでしょうか。携帯電話に高性能なカメラがつき、写した写真はメールとともに行き交っているのです。そういえば、街のDPE屋さん(現像(developing)・焼付(printing)・引伸し(enlarging))も少なくなっているといいます。行楽シーズンや運動会のあとなど、混雑していたのは昔の話となってしまったのです。

 という私も、このメルマガ始めると同時に、デジタルカメラを購入して写真を載せております。メルマガという性格を考えますと、デジカメの使用もやもえないのですが、フィルム写真とはまったく別ものと思っております。メルマガ(18.03.15)に掲載いたしました富士山の写真は、朝6時の朝焼けを写したものですが、簡単な編集ソフトで朝焼けを取ってしまうなどは朝飯前です。作為的な映像を作ることが簡単なだけに便利な一面、人間味に欠けることは否めません。
 ですから、デジカメ全盛といっても、銀盤写真からフィルム写真の築いてきた文化と芸術性は、決して揺るぐものではないのですが、やはり一抹の寂しさは禁じ得ません。

 メルマガを発行するには、多少パソコンやデジカメの知識が必要なところから、パソコン雑誌『ASHIパソコン』を、創刊時より愛読して参りました。どんなにかパソコンに関する技術や情報を享受したことでしょう。
 ところが、この3月15日号を手にして驚きました。休刊となったのです!当然「なぜ」という疑問がおこりました。パソコンの普及を考えますと、とても考えられないことで、これからはパソコンの知識はどこから手に入れたらよいのでしょうか。
 あらゆる雑誌は、売れているのに休刊するものはないでしょう。発行部数の減少こそ、その理由であろう。敗軍の将(編集長)は、パソコンの家電化により情報誌を見ての購入というものがなくなり、インターネットの急速な普及により情報誌に頼らなくともよくなったこと、そしてその使命を終えたといいます。その通りであろう。中年以降の世代は、パソコンに限らす、家電製品であっても、購入するとまずマニュアルを読むことから始めます。情報誌(本人は専門誌と思っている)やハウツー本は必須アイテムです。ところが、若い人は、ほとんどマニュアルは読みません。すぐにさわって使い方を覚えるのです。判らないことはネットで情報を得ます。パソコンソフトなど、マニュアルすらないのです。これではパソコン雑誌が終焉を迎えるのは当然でしょう。

 時代は加速度的に変化をとげていきます。やはり、人間は普遍的な世界にも身をおく必要があるのかも知れません。「普遍的な世界」とは、人によって、「芸術」であったり、「宗教」であったり…………。

ぎんばん‐しゃしん【銀板写真】(広辞苑)
よく磨いた銀板を沃素蒸気で処理して表面を沃化銀とし、露光後水銀蒸気で現像して画像を得る写真法。また、その写真。1837年ダゲールが発明、39年公表。ダゲレオタイプ。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 朝焼けの富士山


 加工された富士山


 ASAHIパソコン最終号



 

大施餓鬼会のお知らせ

 本年もお施餓鬼会法要を、下記のごとく厳修いたしたくご案内申しあげます。ご先祖の供養とともに、一日ではありますが、みほとけの教えにふれます良い機会ともいたしたく存じますので、お誘いのうえお申し込み下さい(当日ご参加できません方には、当寺にてお塔婆をお墓に立てさせていただきます)。

日   時
5月15日(月)  【13時】法要、 【14時】法話
講   師
慶應義塾大学教授 慶應義塾大学月が瀬リハビリテーションセンター長 
木村 彰男 先生
法然上人800年遠忌を健康で迎えるために
「役に立つリハビリテーションの知識」
供 養 料
3,000円
申 込 み
お参りの折、電話、E-mail(前日までに)

 

第239回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
4月21日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
先照寺住職 磯田 隆一 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも
多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
5月19日(金) 同時刻  

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久

  

 

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