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第2巻「帚木」その10
左馬頭の体験談(指喰いの女)その2
左馬頭は、気性の激しい女に指を食いつかれてしまった。
「こんなに傷を付けられてしまったならば、世間の付き合いもできない。馬鹿にしていらっしゃる私の官位も、まったく何をより所として人並みになることができよう。出家するしかない身であろう」とおどして、「それなら今日こそは限界であろう」と、指を曲げて出てきてしまいました。
【左馬頭の歌】
手を折りて あひみしことを 数ふれば これひとつやは 君がうきふし
(指を折ってこれまで一緒であったことを数えると、この嫉妬ひとつだけ
が、君のいやなところである、いやひとつどころではない。)
私を恨むなよ 、と言いますと、さすがに泣き出して、
【女の歌】
うきふしを 心ひとつに 数へきて こや君が手を 別るべきをり
(つらいことを心に収めてきましたが、今度こそあなたと別れるときでし
ょう。)
など、言い争ってまいりましたが、まことのところは別れることになるとも思われませんで、何日も消息を出さず、あれやこれやと出歩くあいだに、臨時の祭りの調楽で夜遅く霙の降る夜、退散するに思いめぐらすと、やはり家路といえるのは、この女のほかにはないのでした。
宮中に泊まるのも興ざめでしたし、気どった女のところはそぞろ寒く思われましたので、あの女が私のことをどう思っているのか様子を見がてらと、雪を払いながら、すこし体裁悪く恥ずかしかったが、そうはいっても今宵、日ごろの恨みは解けてしまうであろうと思いました。女は、わずかに灯をともし、着なれた厚い着物を大きな伏籠(ふせご)にかけて帷子(かたびら)の布は引き上げてあり、「今夜あたりは」と待っている様子でありました。「それみたことか」と得意になったのですが、本人はおりませんでした。
しかるべき女房だけが残っており、「親御さんの家に、今宵お渡りになられました」と答えます。あれ以来女はあだめいた歌を詠むこともなく気どった消息もなく、ひたすら家に籠もり情けなかったので、がっかりして「いつまでも許さないのは、私に別れる気持ちになるようにとの下心か」とも、そうも思えませんでしたが、心まかせに疑いました。しかし、私が着るべきものはいつもより心をこめた色合いや仕立てが特別であって、見捨てた後のことも考え世話をしていたのでした。
ところが……… (つづく)
ちょう‐がく【調楽】(広辞苑)
○舞楽・音楽を奏すること。
○公事または宴席に行う舞楽をあらかじめ練習すること。予習。試楽。
特に、賀茂・石清水の臨時祭に行う舞楽の予習。源氏物語帚木「臨時の祭の―に夜更けて」
ふせ‐ご【伏籠】(広辞苑)
○火桶の上にかぶせて、衣類を乾かしたり、薫香を衣類にたきしめたりするのに用いる籠。○匂懸においかけ。源氏物語若紫「雀の子を、犬君が逃がしつる、―の中にこめたりつるものを」
○ふせて鶏を入れておく籠。
かた‐びら【帷・帷子】(広辞苑)
○几帳きちよう・帳とばりなどに懸けてへだてとした布。夏は生絹すずしを、冬は練絹を用いる。枕草子76「几帳の―いとあざやかに」
○裏をつけない衣服。ひとえもの。暑衣。枕草子33「夏などのいと暑きにも―いとあざやかにて」
○夏に着る、生絹や麻布で仕立てた単衣ひとえぎぬ。
○経帷子きようかたびらの略。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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