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第2巻「帚木」その12
左馬頭の体験談(浮気な女)その1
「また同じころ、私が通っておりました女は、人が柄もすぐれており、性格も本当に奥ゆかしそうで、歌を詠みますとさらさらと書きますし、かき鳴らします琴の音、いずれもたどたどしいところもなく、見聞いておりました。容貌もわるくありませんでしたので、例の指喰いの女を普段の女として、この女のところに時々隠れてあっておりましたときは、格別に心を寄せておりました。
例の指喰いの女が亡くなりましてからは、可哀想にも思いながらも、過ぎてしまいましたことはどうにもなりませんでしたので、しばしば通っておりますと、すこし気遅れするほど好色であることが好ましくなく思いましたので、妻とすべきには思えませんで、たまに会っておりましたところ、忍んで情を交わした男がいたらしいのです。
10月のころ、月のおもむきのある夜、宮中より退出いたしましたところ、ある殿上人に会いまして、私の車に相乗りしましたので、父大納言の家にいって泊まろうとしますに、この殿上人がいうのには、
「今宵、私を待っている女の宿を、このまま通り過ぎてしまうの
は、心苦しいな」
と。
ちょうどこの女の家が道順でありましたので、築地の崩れたところから月影の宿る池が見えますと、殿上人は、
「月でさへ宿る住処を、このわたしが通り過ぎてしまいますのは
風情のないこと」
と、車をおりてしまったのです。
もとより情を交わしていたのでしょう。この男はたいそうそわそわとして、中門近き廊の簀の子のようなものに腰掛けて、しばし月を見ております。菊がおもしろく色変わりして、風に競って散る紅葉の風情など、おもむきのあるように見えます。
懐より笛を取りだして吹き鳴らし、「宿りましょう」と催馬楽(さいばら)を口ずさむほどに、音のよい和琴で調子を整えてあるのをうるわしく合わせますのは、それほどわるくはありませんでした。
律の調子は、女がもの柔らかくかき鳴らし、御簾のなかから聞こえてくるのも、今ふうの音ですので、清く澄んだ月に似合わないことはありませんでした。
ちゅう‐もん【中門】(広辞苑)
@仏寺で、回廊正面に開かれた南大門の次にある門。
A※寝殿造で、東西の対屋たいのやから釣殿に通ずる廊の中ほどにある門。その廊を中門廊という。→寝殿造(図)。
B茶庭の内露地に出入りするための門。なかくぐり。
さいばら【催馬楽】(広辞苑)
雅楽の歌物うたいものの二曲種の一。笏拍子しやくびようし・竜笛りようてき・篳篥ひちりき・笙しよう・箏そう・琵琶びわの合奏を伴奏に数名で斉唱する声楽曲。名称は馬子歌の意、あるいは前張さいばりの転などといわれるが、定説はない。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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