先日、ネパールの友人が突然来日し電話をかけてきたので、場所を決めて久しぶりに再会、話題に花を咲かせました。
彼は私より10歳ほど若くて、スジャン・シャカといいます。そう、お釈迦さまと同じシャカ族の人です。
今から15年前、私がネパールに独り旅へ行った時に知り合い、たった3日間でしたが本当にいろいろ世話になりました。(実は旅先で私は熱を出してしまい、彼に介抱してもらったのです)
当時彼は学生で「日本に行きたい」という大きな夢を持っていました。物価が違いすぎるので、よっぽどのお金持ちでなければ日本へは行けません。しかし彼は日本語を独学で勉強し、沢山の日本人観光客と友達になり、アルバイトで旅費をため、それから数年後には晴れて憧れの日本へやってくることになるのです。
今回は来日2度目なので、以前ほどの感慨はなかったのですが、彼も社会人となり結婚して2人の子供がいるとの事。だいぶ貫禄が付き精悍に見えました。
「ネパールは今、政局が不安定で戒厳令が引かれているそうだが、君たちは大丈夫なの?」
「政治はまだどうなるかわからない。数年前、民主化運動のデモに参加した時、軍の討った弾が跳ね返って大怪我をした。今でも足に傷跡があるよ」
「あの時世話になった君のお父さんは元気?」
「父は5年前、突然の病気で死んでしまったんだ」
「君の友人のラジェンドラはどうしてる?」
「彼も結婚して家庭を持った。だが最初の子が窓から落ちて亡くなってからずっとナーバスだった。今はもう大丈夫」
彼は昔より遙かに日本語が上手になっていました。そして私は、この彼とのちょっとした会話の中に、「無常」を感じざるを得ませんでした。
諸行無常はこの世のならい。この平和な日本においても、明日は何が起きるかわからない。特に小学生の殺人事件が多発しているような昨今、子を持つ親にとっては誠に不安多き世の中です。
しかし彼の住むネパールでは、長く続いている政情不安や、まだまだ未発達の医療制度など、その「無常観」たるや我々日本人の比ではないでしょう。
そして「無常」をより強く感じているからこそ、彼らは日本人よりも「今」を大事に生きているのではないでしょうか。彼の次の一言が私の胸に突き刺さりました。
「後藤さん、こんな事言って悪いのだけど・・私には今の日本人の目に元気が感じられないんです・・」
思いがけない彼の率直な意見に、しばし絶句してしまう私でした。
さてその日、彼は私への手みやげとして母国から持ってきたマニ車(お経の入った筒状のもので、回す事によってお経を読む功徳を頂戴する道具です)をくれました。
これって私は直接おシャカさまからお経を頂いたことになりませんかしら?
有り難い贈り物、ずっと本堂に飾って大切にしたいと思います。
圓通寺住職 後 藤 真 法
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