灯籠法要

燈籠流し

燈籠流し2

 ちょっと遅めの話題ですが、リリーフランキーさんの『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』を読みました。そして読み進むうちに自然と目に涙があふれ、気づけば不覚にもオイオイ泣いておりました。作者と同世代なので共感できたせいもありますが、何より感動したのはオカン(作者のお母さん)の人柄なのです。苦労を顔に出さず、素朴で実直で、誰に対しても持てなしの心を忘れないようなオカンの生き様にどんどん惹かれていくのです。リリーさんはそんなオカンのことを心から愛し、また一方では自由奔放に生きているオトンのことも憎めない。親子のキズナの不思議な深さを考えさせられました。まだの方は、是非ともご一読をお勧めします。

 さてお盆の時期を迎え、亡き親に思いを馳せられている方も多いのではないでしょうか。生前は、なかなか面と向かって「ありがとう」と言えなかったけれども、亡き親に対しては素直に感謝の心を伝えることができるものです。お盆はまた、そんな気持ちを引き出させてくれる大切な機会でもあります。もちろん両親に対してだけでなく、懐かしいお爺ちゃんお婆ちゃんに対しても、そしてご先祖さまに対しても、感謝の念を素直に伝えることができる時期であります。

 ご先祖さまの霊帰り・・お盆は一般的に仏教行事と考えられていますが、その捉え方、考え方は各宗さまざまです。それはそれだけお盆の風習が長い年数をかけて、日本全国に根付いてきた民間信仰であり、もはや仏教教理では一概に説明つかないほど、スタイルが変化しているからです。『日本書紀』によると、推古天皇14年(606)にはお盆の記述があるそうですから、その歴史はかなり古いといえましょう。

 お盆の根拠となる『仏説盂蘭盆経』にしても、「盂蘭盆(うらぼん)」の語源さえよくわかっておりません。古代インド語の「ウランバーナ」(=逆さ吊りの苦しみを意味する)説が一般的だったのですが、近年ではイラン語の「ウルバン」(=霊魂を意味する)説なども出てきました。はたまた民俗学の柳田国男先生は日本の「盆」は、供養の食物を盛りつける容器を意味したにすぎないとも書いています。

 いずれにしても、そのお経に説かれているのは
@今は亡き、愛しい母親を餓鬼道より救おうとする目連さまの願い。
A7月15日(インド僧侶の雨期修行の最終日)における、僧たちへの百味飲食の施し。
Bその結果、両親および七代前にさかのぼる先祖への孝養に通じる

 という内容であり、それに端を発して日本全国でさまざまなお盆行事が行われているのであります。

 そして京都の大文字焼き、徳島の阿波踊り、沖縄のエイサーなど、その土地ごとにお盆行事はその意味あいを変えていきます。例えば私の住む東京の深川では、毎年七月盆明けに仏教会で「灯籠流し」を行います。これはもちろんお盆の「送り火」という意味もさることながら、何よりも会場となる小名木川は、関東大震災・東京大空襲と、天災・戦争の二度にわたって数え切れないほどの犠牲者が出た場所であり、その祖霊に対するご供養と平和の願いがもっとも込められた行事になっています。この日ばかりは各宗派の僧侶がお互いに協力して行事を運営し、船の上では声高らかにそれぞれの宗派の読経を行い、供養と祈りの心をこの川に捧げるのです。

 さて以前、「仏教テレホン相談」の電話口に座った時なのですが、ある女性から「お盆には、どうして郷里に帰らなければいけないのですか?絶対なのですか?」という質問を受けたことがあります。よくよくお聞きすると、親戚同士の仲が良くないため、毎年お盆にご主人の郷里に帰るのが本当に苦痛なのだとか・・。いかにも現代世相を表すような質問で、答えに窮してしまいました。なるほど8月の旧盆は帰省ラッシュがおこるほど、誰もが郷里に帰ろうとやっきになります。これは中世に起こった「生身魂(いきみたま)」という考えが始まりで、お盆中、生きている父母に対しても飲食を施すことが美徳とされたのです。江戸時代「藪入り」といって奉公人を盆・正月に親元に帰したのもこの慣習によるものです。

 日本へ来た外人に「お盆って何ですか」と聞かれても、ひと言ではとても説明できないような不思議な風習。しかし日常のあわただしい生活の中で忘れがちな両親への孝養の心、ご先祖さまへの感謝の心を形として表せる大切な機会であることに間違いはありません。時代が移り、風習は少しずつ様変わりしても、いつまでも忘れてはならない日本人の心のふるさとがお盆です。

 圓通寺住職  後 藤 真 法


 最近、ジャガイモによる食中毒事故が2度ありました。7月19日、下野市吉田西小(武田武夫校長)で事故が発生しました。

 学校農園で収穫したジャガイモを食べた児童ら29人が吐き気などを訴え、うち25人が救急車で同市内の3つの病院に運ばれた。症状は軽く、全員快方に向かっているという。県はジャガイモに含まれるソラニンなどの有毒物質による集団食中毒と断定した。
                      (下野新聞2006年7月21日)

 20日には、江戸川区立鎌田小学校でも同様の中毒事故でした。

 理科の授業で栽培したジャガイモを食べた六年生七十五人と教員二人が、芽や皮に含まれる有毒物質ソラニン類が原因の食中毒にかかったと発表した。全員が回復している。
都によると、六年生が十八日正午ごろ、四時限目の授業でジャガイモをゆでて皮ごと食べた。江戸川保健所で残りのジャガイモを調べたところ、多いもので通常の六倍のソラニン類が検出された。
ソラニンは発育不足の場合に蓄積しやすく、主に皮の内側に含まれる。
児童らが栽培したジャガイモによる食中毒は一九九八年から昨年までの八年間に全国の小学校で八件、幼稚園で一件起きている。
                      (東京新聞2006年7月21日)

 ともに小学校での授業の一環として、児童がジャガイモを栽培し収穫したものを食べたところ、嘔吐(おうと)や下痢などの症状を訴えました。いわゆるジャガイモの芽や皮に含まれているソラニンによります、有毒物質による集団食中毒です。軽症で安心しました。

 昔から、学校や地域でのカレー作りの折、ジャガイモの芽は毒なのでよく取るようにといわれたものでした。細かい事情はわかりませんが、きっと芽には十分に気をつけたのでしょうが、皮には注意が足りなかったのでしょう。
 ジャガイモは収穫してから3日も光にあてておりますと、表面が緑色になってきます。いわゆる緑化がすすみ、ソラニンが増加するそうです。ある小学校では、収穫後2週間ほど教室に保存してからの調理と聞きますに、冷暗所での保存がなされなかったことが残念です。

 こうしたジャガイモの特性は、次なる問題も引き起こしているのです。発芽を防止するため、日本では世界に先駆け、1974年より放射線(ガンマ線)を照射したジャガイモが販売されました。これが世界最初の照射食品です。特に、3〜4月の端境期を中心に毎年1万トン前後が出荷されているようです。放射線を照射しますことは、発芽遺伝子組みかえ作物ほど注目されませんのは、もっぱら毒を持つ芽を出させないとう利便性によるものでしょう。

 ところで、植物が自然毒を有することは、そんなに不思議なことではありません。少し視点を変えてみますと、ジャガイモは人間や動物に食物を提供するために芋を作っているのではないことです。あくまでもジャガイモの子孫繁栄のために、根に養分を蓄え、翌の発芽に備えているわけです。植物の実に毒物がありますことと同じで、その芽を守りますために、他の動物に食べられないためにも、毒を有することは当然なる自己防衛ともいえるでしょう。

 時を同じくして、中毒事件として注目すべき事件が報じられた。

 沖縄県県南部福祉保健所は十九日、チョウセンアサガオに接ぎ木して栽培したナスを食べた本島南部に住む六十七歳の夫と六十二歳の妻が一時、記憶を失うなど食中毒症状が表れたと発表した。命に別条はない。同保健所によると、二人からは有毒物質スコポラミンとアトロピンが検出された。チョウセンアサガオを原因とする食中毒は県内初で、接ぎ木の実に毒性が転移した例は全国的にも珍しい。(中略)
 接ぎ木したナスからチョウセンアサガオの毒性が検出された今回のケースは前例がなく、学術的にも注目を集めているという。
                  (沖縄タイムズ朝刊2006年7月20日)

 朝鮮朝顔に毒があることはよく知られているが、接ぎ木によって実ったナスにまで毒が移行したことのが注目されている点です。

 ところで、ジャガイモを始め、トマト、ナス、キュウリとあらゆる植物、アジやマグロのあらゆる魚が、人間に食べられるために繁殖し命を繋でいるのではないのですよね。食物連鎖の頂点に立つ我々人間は、もっともっと謙虚な心を持たねばなりませんことを痛感いたしました。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


緑化したジャガイモ


エンジェルトランペット(朝鮮朝顔の一種)


 

8月のお盆棚経

 お盆の棚経は、「ご自宅へ伺っての棚経」 と 「お寺での棚経」 とがあります。7月下旬にハガキにてご案内申しあげますので、ご希望をお知らせ下さい。

「ご自宅での棚経」
8月13,14,15日のうちお伺いする日を連絡します。
「お寺での棚経」
8月13日(日)11時、本堂へ。
前日までにお電話で連絡をお願いします。

 

第243回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
8月18日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
植松鍼療院医師 植松 博 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも
多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
9月15日(金) 同時刻  本法寺住職 清水 俊匡 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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