ミネラルウォーター

 このごろ巨人戦をほとんど見なくなりました。メジャーリーグも野茂投手が大活躍した時代ほど手に汗握って観戦することはなくなりました。年を取って色々な興味や、仕事が増えて野球が特別なものでなくなったからかもしれません。私は1959年生まれ。王・長島の現役真っ盛りの頃小学校中学校時代をすごしました。当然、巨人ファンです。以前は巨人が負けると機嫌が悪く、勝てば大喜びして同じく巨人ファンの友人に電話して喜びを分かち合ったものです。そんな私を父はいつもからかっていました。私が遅くに帰ると、
「おい、今日も巨人負けてるぞ!」と私の顔を眺めてニヤニヤしています。ところが逆転で巨人が勝ち、私が大喜びしていますと、
「巨人が勝とうが負けようが、われわれの生活には何の関係もない。」なんていって席を立ってしまいます。アンチ巨人ファンというほどではありませんでしたが、「常勝巨人軍」は気に入らなかったのでしょう。政界でも「抵抗勢力」という言葉がはやりましたが、みんながちやほやすると、どうも抵抗してみたくなることもありますね。
 
 さて、ここで問題です。現在世界で一番ミネラルウォーターを消費している国民は?
そうです。ご想像の通り日本人だそうです。日本は世界でまれに見る、飲料水に恵まれた国ですが、水道水が飲めない国をごぼう抜きでトップに立ったようです。それだけ健康に関心を寄せる人が多くなったのかもしれません。実は私の妻もミネラルウォーターを買って飲んでいる一人です。
 近頃、アンチエイジングという言葉が良く使われるようになりました。エイジは年齢のことです。エイジングは加齢、老化と訳したらいいでしょうか。つまりアンチエイジングは抗加齢、抗老化ということで、要するに「いつまでも若々しく生きていたい」という願望に、医療や化粧品、食品、レジャー産業などがサービスを展開している状況です。ミネラルウォーターもその代表選手です。何もめずらしいことではありません。昔から不老長寿は多くの関心を集め、そのための薬や環境を人々は追い求めてきました。しかしアンチエイジングは老化を遅らせるだけです。老いないわけではありません。逆に言えば人生が延びた分、老いの苦しみを感じる期間が延びることになります。なぜみんなそのことを言わないのでしょう?不思議です。私はどうもアンチ・アンチエイジングの気分になります。
 
 生老病死(四苦)はお釈迦様の時代からわれわれを苦しめるできごとでした。仏教では老いの苦しみを諦(あきら)かに良く見て、苦しみの原因を探り、苦が取り除かれた状態をイメージして、具体的な方法を施すことを説きます。それは老いをなくしたり、先延ばしすることではありません。アンチエイジングの議論は、「臓器移植」の問題とも密接に結びつきます。人の臓器やクローン技術を使ってでも長生きする意味は何なのでしょうか?後世を信じない人は、アンチエイジングで何とか老化を遅らせ、寿命を延ばそうとするのでしょうか?

いけらば念仏の功つもり、死ならば浄土へまいりなん。 とてもかくても、此の身には思いわずろう事ぞなきと思いぬれば、死生ともにわずらいなし。

生きている間はお念仏を称えてその功徳が積もり、命尽きたならばお浄土に参らせていただきます。いずれにしてもこの身にはあれこれと思い悩むことなどないのだと思ったならば、生きるにも死ぬにも、なにごとにも悩みなどなくなるのです。とおっしゃる法然上人は、現在の人間の生命が終わったとしても、往生浄土の生命として連続し、さらにその先に仏となって十方界(すべての世界)に帰って苦しみの衆生を救うお勤めがあることを私たちにお教えくださいました。まさに「いきどおしのいのち」です。永遠の生命を信じていらっしゃったのです。
 
 鎌倉時代に生きた法然上人は80歳、親鸞上人も90歳。念仏はアンチエイジング効果抜群です。一種のエアロビクス(有酸素運動)ですから長生きに効きます。でも願いの無い長生きではつまりません。願いは大きく、往生浄土→成仏→衆生済度です。念仏申して、無量寿(はかり知れない生命)、「いきどおしのいのち」をいただこうではありませんか。

 観智院住職  土 屋 正 道


(前話は、願成寺ホームページ「メルマガお申し込み」のバックナンバーにあります。)

第2巻「帚木」その14

 左馬頭の体験談(浮気な女)その3

 前の指喰いの女のこと、そしてこの度の浮気な女のことを比較してみますと、若いときの心であっても、このような浮気な女のように出過ぎたものは、たいそうけしからぬことで信頼できないと思われました。これから先はまして、浮気な女よりも多少難があっても誠実な女がよいでしょう。心のおもむくままに手折れば落ちてしまう萩の露、拾おうとすると消えてしまいそうにも思われる笹の葉の上の霰など、風情でか弱く好色じみたことだけをおもしろくお思いになるでしょうが、私と同じ年になります7年の間には、思い知ることになるでしょう。

 私のようないやしい者の忠告でございますが、浮気な女にはご用心下さいませ。そうした女は過ちを起こして相手の男の悪評までもが立ってしまうものです。」

と、忠告をなさる。

 頭中将は、例によってうなずいている。源氏の君は微笑されて、そのようなものであろうなと、思っていらっしゃるようである。
  「いずれにしましても、人聞きのわるいはしたない話ですね」
と、みんなで笑っている。

 次回は夕顔の登場。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


青表紙本源氏物語「帚木」(新典社刊)




大宮町2丁目 子供シャギリ

 「三嶋大社の夏まつり」が始まった。人口10万人の町に50万人の人出があるという。行政は宗教色を嫌うためか、「三島夏まつり」(同まつり実行委員会主催)と称しているが、みんなの気持ちはあくまでも、「三嶋大社の夏まつり」である。異論のある人はいないであろう。

  山車はお祓いを受け、それぞれ、三島囃子(シャギリ)のうち「神楽、昇殿」を奉納演奏して、宿中の祈祷のため市街の引き回しに向かうが、山車同士がかち合うと「けんか囃子」で勇壮な競り合いとなります。現在では、競り合いのエスカレートを避け、引き回しの後、社頭で競り合いがおこなわれる。山車の引き回しの先駆を、農兵節や三島サンバがつとめる。まさしく三嶋大社のお祭りである。

 このシャギリの伝統を継承していく原動力は、なんといっても子供シャギリである。地域社会の文化や伝統を伝えてこその「おまつり」であるが、そこに宗教を断ちきったものに、真の文化はないように思う。まちがっても、シャギリのリズムだけを伝えることのないように願ってやまない。子供シャギリをバックアップしていうこではないか。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

第244回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
9月15日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
本法寺住職 清水 俊匡 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも
多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
10月20日(金) 同時刻  長源寺住職 高木 泰孝 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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