息子が布教の研修道場に参加するにあたって、会場であります諏訪の唐沢山阿弥陀寺まで、車で送ってきました。私も十数年にわたって、指導員を務めたことがありまして、懐かしく今一度お参りをしたい思いがあったからです。
参加者たちは、おおきな荷物を持って参道を登っていきます。みな口に出しませんが、なぜこんな山の中での研修なのかと思っているようです。
唐沢山阿弥陀寺が念仏の聖地であることを知らなかったことと、信仰にとっての聖地の意味がわかっていないところに問題があるのでしょう。
ところで、昨年の5月、北海道長沼町で「散骨禁止条例」が施行されました。NPO法人が経営する会社が、同町の私有林で散骨を実施していることに対しての条例です。正確には「長沼町さわやか環境づくり条例」であり、その第1条に、
町の環境美化を推進するために、町、町民等、事業者及び
土地占有者等の責務その他必要な事項を定め、良好でさわや
かな環境を確保し、清潔で美しいまちづくりを進めることを目的
とする。
(http://www.maoi-net.jp/)
とありますように、生活環境の美化を目的としていますが、散骨の禁止をうたっている第8条に
何人も、墓地以外の場所で焼骨を散布してはならない。
と「散骨の禁止」を目的としていることはいうまでもありません。
平成10年厚生労働省の「散骨が公衆衛生上の問題を生じたり、社会通念上国民の宗教的感情を損なうような形で行われるのでなければ、現行法上特に規制の対象にする必要がないというのが現在の行政の考え方であり、これは是認できるものである。」との非公式見解から、海や山での散骨がおこなわれるようになり、いろいろな社会問題となっております。
これはまた、葬送のあり方を問うものでもあります。その一端を担う寺院僧侶といたしましても、正面からの対処をしてまいる所存です。
そんな折、「永遠に一緒に遺灰からダイヤ」というセンセーショナルな記事が目に飛び込んできました。短い記事ですので全文を掲載しましょう。
「いつも故人の存在を身近に感じていたい」―。大切な人の
形見として、遺灰からつくられた人造のダイヤモンドが静か
なブームを呼んでいる=写真、岩崎央撮影。
販売を扱うライフジェムジャパン(東京都港区)によると、この
ダイヤをつくるには遺骨ならマグカップ1杯分、遺灰なら240
ミリリットルが必要。米シカゴの工場に輸送し、4千度の熱と
約20万トンの圧力をかけて製造する。依頼者に届くまで約5
カ月かかるが、昨秋の販売開始以来150家族から注文が
入った。
「核家族化が進むなか、仏壇を置く場所がない現代の住宅
事情やお墓に対する意識の多様化が背景にあるのでは」と
藤沢徹社長は話す。
価格は大きさにもよるが約40万円から。(朝日新聞2005.06.25)
みなさまは、遺骨をダイヤにして身につける、そばに置くということを、どのように考えますか。確かに、散骨とちがって他人や地域に迷惑をかけることではありませんが、亡くなった人を、このような形で偲ぶのに多少の違和感を禁じ得ません。
この指輪やペンダントは、子供や孫に相続されるのでしょうか。それとも所有者が亡くなったとき、いっしょに火葬され、また次のダイヤになるのでしょうか。
戦後の教育は、宗教教育を否定してきました。世界のおおかたの民族は宗教を持っております。難しいでしょうが、そろそろ宗教をただしく教えることを考える必要があるのではないのでしょうか。いずれも、宗教の正しい受け止め方を学んでいなかったところに、起因しているように思われてなりません。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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