ねこ


しゃくし


仏説無量寿経

 何で「猫」と「杓子」なんだろう?
そんな素朴な疑問が頭に浮かんだのは、事もあろうにお檀家さんの前で法話をしている最中・・。次のようなお話しをしていて、ふと気になったのです。

「人間死んだら、猫も杓子もみんな極楽行き・・だなんて、お経にはそんな気楽で調子の良い事ばかり書かれてはいませんよ・・」

 さて、このお話しの内容は後まわしにして、まず「どんな者でも」という意味で使われる「猫も杓子も」について調べてみました。

(イ)「禰子(ねこ)も釈子(しゃくし)も(神主も僧侶も)」の意の変化したものとする滝沢馬琴説。
(ロ)「女子(めこ)も弱子(じゃくし)も(女も子どもも)」の意とする落語「横丁の隠居」説
(ハ)杓子は主婦をさすもので、家内総出の意とする説
                    小学館『日本国語大辞典』

 奥が深い言い回しだったのですね。「禰子(ねこ)も釈子(しゃくし)も」つまり、「神さまに仕える者も、お釈迦さまに仕える者も」という意味だったんですか・・納得。

 さてそれでは、先述のお話ですが・・
「人間死んだら、猫も杓子もみんな極楽行き・・だなんて、お経にはそんな気楽で調子の良い事ばかり書かれてはいませんよ・・」

 確かに『仏説無量寿経』には、阿弥陀さまの作られた西方極楽浄土の様相が描かれ、その阿弥陀さまは「どんなに愚かな行いをした者でも、心から私の世界に行きたいと願って、私の名前を称えるならば必ず救いとろう」(意訳)と願いを立てられた事が書かれています。
 なる程、「どんな者でも」死んだ後は阿弥陀さまの極楽世界に行かせて頂ける事に間違いはありません。ただし、そのためには「お念仏」が条件付けられている事を忘れてはならないでしょう。

 また、このお経の後半部分には「五悪段」といって、それまでの極楽世界の情景とは一転、「この現実世界を生きている私たちは、どれほど罪深い存在か」、「そんな私たちは死んだ後は極楽どころか、今以上の計り知れない苦痛を受けることになる」といった内容が、事細かに説かれているのです。私は、その部分を読んでみて初めて、どうして阿弥陀さまがわざわざ、「どんな者でも救う」と誓われたのか、本当のありがたさが理解できると思うのです。「五悪段」に関してはまた、日をあらためて書かせて頂くつもりです。

 少なくとも「アイツは生前、遊び放題好き放題で、神仏に手を合わせることもなかったけれど、とうとうあの世でホトケになっちまったなぁ。いずれまたそっちで酒でも飲もうぜ・・」なーんて調子の良い事はお経には書かれていませんよ、という意味を込めて「猫も杓子もみんな極楽?」というお話しをさせて頂きました。

 円通寺住職  後 藤 真 法


 息子が布教の研修道場に参加するにあたって、会場であります諏訪の唐沢山阿弥陀寺まで、車で送ってきました。私も十数年にわたって、指導員を務めたことがありまして、懐かしく今一度お参りをしたい思いがあったからです。
 参加者たちは、おおきな荷物を持って参道を登っていきます。みな口に出しませんが、なぜこんな山の中での研修なのかと思っているようです。
 唐沢山阿弥陀寺が念仏の聖地であることを知らなかったことと、信仰にとっての聖地の意味がわかっていないところに問題があるのでしょう。

 ところで、昨年の5月、北海道長沼町で「散骨禁止条例」が施行されました。NPO法人が経営する会社が、同町の私有林で散骨を実施していることに対しての条例です。正確には「長沼町さわやか環境づくり条例」であり、その第1条に、

   町の環境美化を推進するために、町、町民等、事業者及び
  土地占有者等の責務その他必要な事項を定め、良好でさわや
  かな環境を確保し、清潔で美しいまちづくりを進めることを目的
  とする。
  (http://www.maoi-net.jp/)

とありますように、生活環境の美化を目的としていますが、散骨の禁止をうたっている第8条に

  何人も、墓地以外の場所で焼骨を散布してはならない。

と「散骨の禁止」を目的としていることはいうまでもありません。
 平成10年厚生労働省の「散骨が公衆衛生上の問題を生じたり、社会通念上国民の宗教的感情を損なうような形で行われるのでなければ、現行法上特に規制の対象にする必要がないというのが現在の行政の考え方であり、これは是認できるものである。」との非公式見解から、海や山での散骨がおこなわれるようになり、いろいろな社会問題となっております。
 これはまた、葬送のあり方を問うものでもあります。その一端を担う寺院僧侶といたしましても、正面からの対処をしてまいる所存です。

 そんな折、「永遠に一緒に遺灰からダイヤ」というセンセーショナルな記事が目に飛び込んできました。短い記事ですので全文を掲載しましょう。

   「いつも故人の存在を身近に感じていたい」―。大切な人の
  形見として、遺灰からつくられた人造のダイヤモンドが静か
  なブームを呼んでいる=写真、岩崎央撮影。
   販売を扱うライフジェムジャパン(東京都港区)によると、この
  ダイヤをつくるには遺骨ならマグカップ1杯分、遺灰なら240
  ミリリットルが必要。米シカゴの工場に輸送し、4千度の熱と
  約20万トンの圧力をかけて製造する。依頼者に届くまで約5
  カ月かかるが、昨秋の販売開始以来150家族から注文が
  入った。
   「核家族化が進むなか、仏壇を置く場所がない現代の住宅
  事情やお墓に対する意識の多様化が背景にあるのでは」と
  藤沢徹社長は話す。
  価格は大きさにもよるが約40万円から。(朝日新聞2005.06.25)

 みなさまは、遺骨をダイヤにして身につける、そばに置くということを、どのように考えますか。確かに、散骨とちがって他人や地域に迷惑をかけることではありませんが、亡くなった人を、このような形で偲ぶのに多少の違和感を禁じ得ません。
 この指輪やペンダントは、子供や孫に相続されるのでしょうか。それとも所有者が亡くなったとき、いっしょに火葬され、また次のダイヤになるのでしょうか。

 戦後の教育は、宗教教育を否定してきました。世界のおおかたの民族は宗教を持っております。難しいでしょうが、そろそろ宗教をただしく教えることを考える必要があるのではないのでしょうか。いずれも、宗教の正しい受け止め方を学んでいなかったところに、起因しているように思われてなりません。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


唐沢山 阿弥陀寺


阿弥陀寺 山道


 

第244回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
9月15日(金) PM7:00〜8:30
会   場
茶房「 欅(けやき) 」 2F 055-971-5591
講   師
本法寺住職 清水 俊匡 師
参 加 費
無料(珈琲、甘味などの茶菓代は各自でお支払い下さい。)
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも
多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
10月20日(金) 同時刻  長源寺住職 高木 泰孝 師

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

本メールマガジンがご不要な方は、下記URLから配信を解除できます。

http://ganjoji.com/mlmaga.html (解除・退会)