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第2巻「帚木」その15
頭中将の体験談(内気な女)その1
頭中将、「わたくしは、おろかな女の話をいたしましょう。」といって話し始めます。
「たいそう忍んで見そめた女が、それにいたしましても結婚とはならない様子でしたので、
長く付きあうことにはならないと思っておりましたが、慣れていきますままに愛おしく思いましたので、途絶えがちにも忘れられない女と思っておりましたところ、それほどのなかとなりますと、わたくしを頼りとしている様子もございました。頼りにすると恨めしく思うこともあろうと、自分の気持ちとしては感じられる折々もございましたが、女は気がつかないようにして、久しく途絶えましてもたまにしか来ない男とも思わず、ひたすら朝夕に使えてくれる様子がいじらしいので、わたくしを頼りにするように申すこともございました。
親もなくたいそう心細げに、それならばこの人を頼り所と、事に触れて思っているようすも可愛い感じでした。このように穏やかなことに安心をして久しく出かけませんでしたころ、わたくしの妻のあたりから、あるつてをもって情けないことを言わせていたようで、後から聞きました。
そのような嫌なことがあったとも知らず、心では忘れていたわけではありませんが、消息などもいたさず久しくたちましたところ、ひどくしおれ心細くて、幼い子供もありましたので、思い悩んで撫子(なでしこ)の花を折って届けてきました。」といって、涙ぐんでいる。
「さて、その文の言葉は」と、光源氏が問いますと、
「いや、ふつうの消息と異なることはありませんよ。
【女の歌】
山がつの 垣ほ荒るとも をりをりに
あはれはかけよ なでしこの露
(山がつの垣根が荒れていたとしても、折々にはそこに咲く撫子
に情けの露をかけてください。)
思い出すままに、女を訪ねましたところ、わたくしを信じているもののたいそう物思いに沈んだ顔で荒れた家におりた露を眺め、虫の音に競うように泣いている様子は、昔物語のようでございました。
【頭中将の歌】
咲きまじる 色はいづれと 分かねども
なお常夏に しくものぞなき
(混じって咲いている花の色はどれがよいかわからないけれど、
やはり、あなた(常夏)にまさるものはありません。)
と、子供のことはさておいて、まず「塵がつもらぬほど、絶え間なく訪れよう」と、母親の機嫌をとります。
【女の歌】
うち払ふ 袖も露けき とこなつに 嵐吹きそふ 秋も来にけり
(あなたがお訪ねくださらないので、塵を払う袖までもが露けきわ
たくし(常夏)に、嵐までが吹く秋までもが来てしまいました。)
と、とりとめもなく本気で恨んでいるようすもなく、涙を漏らしてもたいそう恥ずかしそうに慎ましげに隠しており、わたくしの薄情さに気がついておりますことをわたくしに知れることを辛がっておりましたので、また気楽に考えまして途絶えておりましたところ、跡形もなくいなくなってしまったのです。
しれ‐もの【痴れ者】
@おろかな者。源氏物語帚木「なにがしは―の物語をせん」
A狼藉ろうぜき者。乱暴者。弁慶物語「弁慶もとより―にて、行き
あふ者を蹴倒し、踏み倒す事、たびたびなれば」
Bその道にうちこんでいる者。その道でのしたたか者。奥の細道
「風流の―」(広辞苑)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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