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第2巻「帚木」その18
式部丞の体験談(博士の娘)その2
「さて、たいそう久しく訪ねることがありませんでしたが、ことのついでに立ち寄ってみますと、いつものくつろいた場所ではなく、不愉快にも物越しにて会うのです。不機嫌かな、ばかばかしく物笑いの種になるとも、また別れるのにはよい機会と思いましたが、この賢い女は、軽々しいもの恨みなどするはずもなく、男女の道理を承知していて恨むこともありませんでした。
声もせかせかと言いますには、『この幾月か風邪の重きに絶えかねて、解熱の草薬を服して、大変に臭いので対面することができません。直接会いませんまでも、しかるべき用事などはうけたまわりましょう。』と、たいそう感心することに、まことにもっともに言うのです。それに何と答えますか。ただ『承知いたしました。』といって立ち帰りますに、物足りなく思ったのでしょうか、『この臭いがなくなりましたら、お立ち寄りください。』と大きな声で言いますのを聞き捨てますのも可哀想で、しかししばらく留まりますこともはばかられますので、その臭いも強いので、逃げ目を使って、
【式部丞の歌】
さゝがにの ふるまひしるき 夕暮れに
ひるますぐせと 言ふがあやなさ
(男が訪ねてくるときに蜘蛛のしきりに動くという夕暮れに、
蒜(ひる)の臭いがなくなってから来いとは、道理が合わない。)
いかなる口実かと、言い終わりもしないで走り出ようとしますと、女は後を追って、
【女の歌】
あふことの 夜をし隔てぬ 仲ならば
ひるまも何か まばゆかるべし
(会うことの隔てることのない仲ならば、蒜の臭いがしても
恥ずかしいことないでしょうに。)
さすがに賢い女だけにすばやく返しがありました。」
と、静かに申すと、君達はあきれて「作り話だ」といって笑う。「どこにそんな女がいるのか。おだやかに鬼とでもさし向かった方がよい。おそろしいことだ。」と指を打ちならしながら話にもならないと、式部を非難して、「もっとましな話をしろ」と責めるが、式部丞は「これより珍しい話があろうか」といってそこに座っている。
ささ‐がに【細蟹】
(平安時代以降、形が小さいカニに似ているところからいう) 蜘蛛くもの異称。また、蜘蛛の網い。源氏物語賢木「浅茅が露にかかる―」(広辞苑)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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