新年、明けましておめでとうございます。
寒 過 暖 来 良 思
冬過ぎて 春し来れば 年月は
新たなれども 人は古り行く(萬葉集)
だれ隔てなく、毎年新しい歳を迎えることができますが、馬齢を重ねるばかりの私です。しかし、法然上人800年大遠忌を迎えます情熱は、溢れるものがございます。
ご指導のほどお願い申しあげます。
昨年1年のあいだ頑張った人も、時間に流されてしまった私も、お正月はひとしく新しい歳を迎えることができます。頑張った人だけに良い年が巡ってくるのではなく、怠けてしまった人に悪い年がくるわけでもないからです。お正月が来たからと言って、人生をリセットできるわけではないのですが、何か新しい元気を貰うことができるようにも思われてなりません。新年をひとつの節目といたしお正月を祝い、家族それぞれが新しいスタートをができますお正月は、すばらしい行事といえましょう。
ところで、誰にもひとしく新しい年が来るように、仏さまや神さま、そしてあらゆる宗教の神々もまた、我々をひとしく見守っているのです。阿弥陀さまの慈悲のみ光も、日本の神々のみ恵みも、またキリストの慈愛も、あらゆる民族あらゆる人々を遍く見守り導いていて下さるのです。ただ残念なことに、私どもは仏さまや神さまに見守られておりますことに気が付かないことが多いように思われてなりません。
法然上人は、そのみ歌につぎのように詠まれ、私たちを導いておられます。
月影の いたらぬ里は なけれども
ながむる人の 心にぞすむ
お月さまの光はあらゆる里を照らしておられるが、その月の光のありがたさは感謝している人の心にあると、説いております。月の光は、阿弥陀さまの慈悲の光であり、時には親の愛であります。
阿弥陀さまに見守られておりますことを感じながら、おだやかな1年を過ごそうではありませんか。
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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