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第2巻「帚木」その19
女性論のまとめ(左馬頭)
「すべて男も女もとるにたりない者は、わずかな知識のこともすべて見せようと思っていることが、残念でなりません。女が三史五経などの学問の道をはっきりと習得しようとすることは愛敬のないことですが、女であるからといって世の中にある公事や私事について、まったく知らないではすまされないでしょう。改めてことを習いませんでも、少しでも才気のある人は、自然と耳や目にとまることが多いでしょう。知識にまかせて漢字を走り書いて、漢文では書かない女の文に、半分以上も漢字で書いてありますのは嘆かわしく、たおやかであったならばと思われます。自分自身ではそうは思わないでしょうが、自然ときつい声で読まれたりして、特別なものとなってしまいます。こうしたことは、身分の高い女に多いでしょう。
自分では歌を詠むことができると思っている人が、そのことにとらわれて、まずおもしろい故事などを取り込むことなどは、歌を詠むべきではない時には不快なものです。返歌をしなければ風情のないことになりますし、できないことははしたない者となるでしょう。 しかるべき節会などで、たとえば端午の節会に急に参内する朝、菖蒲の根の歌を詠みかけられたり、重陽の宴で、むずかしい詩の心に思いをめぐらして暇のない時に、菊の露によせて歌を詠みかけてくるなど、間の悪いことをしなくても、自然と後になって思えば趣も心うたれると思われることが、考えもせず詠み出すのはかえって気のきかないようにも思われます。
何ごとにおいても、そうした方がよいとかそうしない方がよいとか判らないような心では、風流ぶったりしないが無難でしょう。すべて、知っていることも知らぬような顔をして、言いたいこともひとつふたつは言わないのがよいのです。」
と、左馬頭が言うにつけても、光源氏はひとりの方(藤壺の宮)の様子を心の内にお思いになっておられる。この話に(藤壺の宮は)足らないこともなく過ぎたることもなくなされる方であるなと、胸が一杯になられる。
どちらになるとも決着することもなく、最後はけしからぬ話になって夜を明かしてしまった。
さん‐し【三史】
中国古代の史書、史記・漢書・後漢書の総称。
ご‐きょう【五経】‥キヤウ
儒教で尊重される五種の経典。すなわち、易・書・詩・礼らい・春秋。先秦時代に存したと伝えられる六経のうち、亡失した楽経以外の経書けいしよで、漢代に諸家の流伝をもとに復元編纂。唐代の五経博士が、詩・春秋の諸家のうち毛氏の詩、左氏の春秋を正科として以来、易経(周易)・書経(尚書)・詩経(毛詩)・礼記・春秋(左氏春秋)の五種が五経となった。ごけい。(広辞苑)
せち‐え【節会】‥ヱ
古代、朝廷で、節日その他公事くじのある日に行われた宴会。この日、天皇が出御して酒食を群臣に賜った。元日・白馬あおうま・踏歌とうか・端午たんご・重陽ちようよう・豊明とよのあかり・任大臣など。せち。(広辞苑)
天主君山現受院願成寺住職
魚 尾 孝 久
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