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イラスト 古宇田順一

 法然上人のご法語に「おおらかに念仏を申し候が第一の事にて候」という一節があります。これは法然上人と明遍僧都との次のような会話の最後に出てきます。

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明遍僧都「お念仏を称えれば極楽に往生できると心得ていても、その心が散り乱れてしまうのは、どうしたらいいでしょう?」

法然上人「それはこの私も同じで、どうしようもないですよ」

明遍僧都「どうにかできないものでしょうかね?」

法然上人「心が散り乱れていても、お念仏を称えれば阿弥陀さまのお力で往生は適いますよ。要はただ、おおらかに念仏を称えることが第一なんですよ」
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 さてこの「おおらかに」という部分、私はずっと勘違いをしていて、【細かいことにこだわらずに】お念仏をする・・意味だと思っていたところ、ある時、尊敬する先輩僧に指摘されました。

「確かに法然上人のお説きになったお念仏は、非常に寛容で、柔軟な教えに違いないけれども、この部分はやはり【数多く】お念仏をお称えしなさい、という意味じゃないかな・・」

 そして帰ってから何冊かの古語辞典を引いてみたところ、確かに現在使われるような【ゆったりとして、こせこせしないさま】(広辞苑)といった意味は皆無で、そこにはただ【たくさん・多量】(新明解古語辞典)という意味しか載っていませんでした。

 このように今の言葉と昔の言葉を、同じように考えてしまうと、ずいぶんと文の真意は変わってしまうものです。失敗談ばかりでお恥ずかしいのですが、もう一例ご紹介致しましょう。

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「雪のうちに 仏の御名を唱ふれば
       つもれる罪ぞ やがてきえぬる」
(法然上人御作 冬のご詠歌)
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 この法然上人のお歌について、私がお檀家に次のようなお話しをしていた時のこと。
「雪が降り積もるように、私たちは日ごろの行いの中、知らず知らず小さな罪を作ってしまいます。でも阿弥陀さまのお名前をお称えすれば、日の光がゆっくりと雪を溶かすように、私の心に積もった罪も【やがていつかは】消し去って下さるのですよ・・」

 するとそれを聞いていた先ほどの先輩僧いわく、「後藤くん、【やがて】っていう言葉は、現代は【そのうちに】って使われ方が多いけど、昔は【すぐに】っていう意味で使われるんだ。だからあのお歌は、阿弥陀さまのお名前を称えれば、それまでの罪を【あっという間に】消し去って、極楽に往生させて下さる、ってお話ししなければいけないよ・・」。

 いやはや、頭のきれる先輩が身近にいてくれるって、本当にありがたいことですよね。

 円通寺住職  後 藤 真 法


 先日、お檀家の皆さんと「寒餅」をつきました。大寒のころつくお餅なので寒餅と呼び、おおかたは、豆、胡麻、青のりなどを入れて、なまこ状にまとめます。ところによっては、その形状から「なまこ餅」ともいいます。
 特に豆餅をつくのには多少注意が必要です。普通についたのでは豆が潰れてしまいますので、8割がたつき上がったときに蒸した黒豆を加え軽くつきます。豆を潰さないために、間違っても杵が臼の底に当たってはいけません。お餅と豆が均一に混ざったところで完成です。
 少しお塩を入れてありますので、そのまま焼いて食べても美味しく、またある程度乾いてきましたら、薄くスライスしてさらによく干して、かき餅として保存いたします。

 参加された人たちはたいそう珍しいようで、ほとんどの方が寒餅の経験がないようです。わたしの地域では、寒餅をつく習慣がないからです。
 お餅というと、お正月の鏡餅に代表されますが、我が国ばかりでなく東南アジアではあらゆる行事の折にお餅が用意されているようです。いわゆる米作のおこなわれている地域ということになるでしょう。お正月の鏡餅に始まって、寒餅、お雛さまの節句、端午の節句、田植え、夏祭り、お盆、稲刈りと、節目には必ずお餅がつかれたものです。昔はお節句の時、田植えや稲刈りの折、お寺にもお餅が届けられました。まだ、お砂糖が貴重な時代は塩餡で重箱の隅に少しお砂糖が添えられていましたが、そのうち砂糖のコッテリ入った餡餅に変わっていました。
 三島は、節句もお盆も新暦でおこなっております関係で、2月に寒餅をつきますと、すぐにまた3月3日のお雛さまの餅つきとなってしまいます。したがって寒餅をつく習慣がなかったのです。寒餅をつきます地域は、おおかた旧暦でひな祭りをおこなっている地方でしょう。

 ところで我が国では、仏事にもお餅をつきます。最近は少なくなりましたが、葬儀の折や年忌法要の時にも用意します。お施主さんから、近所の手伝いの皆さんへの振る舞いといえましょう。また、49日忌にもお餅が用意されます。「四十九の餅」といって、49個盛られ供えられます。そのお餅は、寺の仕事を手伝ってくださった方のおやつに利用され、やはり子供にとっては最高のおやつでした。

 四十九のお餅は今も供えられるのですが、最近お餅にカビが生えないのです。あるお菓子屋さんに、「防腐剤が入れてありますので、一週間ぐらいは大丈夫ですよ」といわれたのには驚きました。夏場は冷蔵庫に入れませんと、二日目にはカビが生えたものです。お餅はすぐにカビが生えるので、その保存に注意したものですが。そういえば真空パックのお餅、さらには瀬戸物でできたお供え餅がある時代ですものね。

 わたくしの寺では、お正月にほとけさまにお供えいたしますお餅は、農家の方にお願いして大きなものを特別に用意していただいております。やはりほとけさまには、本物でなければと思うからです。どんなに時代が変わっても、守らなければならないものがきっとあるのです。お餅ばかりでなく。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


寒餅


 

第250回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
3月16日(金) PM7:00〜8:30
会   場
西福寺(茶房「欅(けやき)」東側50メートルくらい)
講   師
書家 米倉 隆紀 師
参 加 費
無料
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
4月20日(金) 同時刻  延命寺 高橋 俊行 師

 

観音堂大祭(諸祈願)のお知らせ

 春のお彼岸に観音堂の大祭を厳修いたします。寺伝によりますと、頼朝公が三嶋大社に百日祈願の折、当願成寺を宿舎といたし、その願が成就いたしたことから「願成就寺」の寺号を賜りました故事により、諸願成就の祈願をおこないます。当日ご参加できません場合には、お札は郵送申しあげます。また、当日前年のお札等を炊きあげますのでご持参ください。当日は「餅まき」「模擬店」「野菜青空市」等を予定いたしておりますので、お誘い合わせてお出かけ下さいませ。

日   時
3月21日(春分の日) 【11時】法要、【12時】餅まき
祈 願 料
3,000円 特別祈願料 1万円
申   込
お参りの折、電話、E-mail(前日までに)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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