法然上人のご法語に「おおらかに念仏を申し候が第一の事にて候」という一節があります。これは法然上人と明遍僧都との次のような会話の最後に出てきます。
************************
明遍僧都「お念仏を称えれば極楽に往生できると心得ていても、その心が散り乱れてしまうのは、どうしたらいいでしょう?」
法然上人「それはこの私も同じで、どうしようもないですよ」
明遍僧都「どうにかできないものでしょうかね?」
法然上人「心が散り乱れていても、お念仏を称えれば阿弥陀さまのお力で往生は適いますよ。要はただ、おおらかに念仏を称えることが第一なんですよ」
************************
さてこの「おおらかに」という部分、私はずっと勘違いをしていて、【細かいことにこだわらずに】お念仏をする・・意味だと思っていたところ、ある時、尊敬する先輩僧に指摘されました。
「確かに法然上人のお説きになったお念仏は、非常に寛容で、柔軟な教えに違いないけれども、この部分はやはり【数多く】お念仏をお称えしなさい、という意味じゃないかな・・」
そして帰ってから何冊かの古語辞典を引いてみたところ、確かに現在使われるような【ゆったりとして、こせこせしないさま】(広辞苑)といった意味は皆無で、そこにはただ【たくさん・多量】(新明解古語辞典)という意味しか載っていませんでした。
このように今の言葉と昔の言葉を、同じように考えてしまうと、ずいぶんと文の真意は変わってしまうものです。失敗談ばかりでお恥ずかしいのですが、もう一例ご紹介致しましょう。
************************
「雪のうちに 仏の御名を唱ふれば
つもれる罪ぞ やがてきえぬる」
(法然上人御作 冬のご詠歌)
************************
この法然上人のお歌について、私がお檀家に次のようなお話しをしていた時のこと。
「雪が降り積もるように、私たちは日ごろの行いの中、知らず知らず小さな罪を作ってしまいます。でも阿弥陀さまのお名前をお称えすれば、日の光がゆっくりと雪を溶かすように、私の心に積もった罪も【やがていつかは】消し去って下さるのですよ・・」
するとそれを聞いていた先ほどの先輩僧いわく、「後藤くん、【やがて】っていう言葉は、現代は【そのうちに】って使われ方が多いけど、昔は【すぐに】っていう意味で使われるんだ。だからあのお歌は、阿弥陀さまのお名前を称えれば、それまでの罪を【あっという間に】消し去って、極楽に往生させて下さる、ってお話ししなければいけないよ・・」。
いやはや、頭のきれる先輩が身近にいてくれるって、本当にありがたいことですよね。
円通寺住職 後 藤 真 法
|