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 昨年の5月、施餓鬼法要にてご講演をいただきました木村彰男先生が、日本経済新聞に「医師の目」(全5回)と題しリハビリにつきまして連載をされました。高齢者社会を迎え、ますますリハビリの重要性が指摘されておりますので、木村彰男先生ならびに日本経済新聞社のご許可をいただき、ここに全文を掲載させていただきます。








病院入り口


木村 彰男 先生

 (「日本経済新聞」平成18年10月22日掲載)

 慶應大学月が瀬リハビリテーションセンター所長
 木 村 彰 男 先生

 リハビリ科では患者さんの障害に対応するため、他科の医者より長く患者さんとお付き合いするケースが多いといえます。私が医師になりたてのころ担当した脊髄(せきずい)損傷で車いす生活となった患者さんが、今でも外来に来られます。同年代で、互いに年を取ったものだと苦笑いしています。もうかれこれ四半世紀にわたるお付き合いということです。

 そのような患者さんとは気心が知れているので、外来で「先生、首が痛くて回りません」と訴えられると、「それは病院ではなくまず銀行に行くことですね」「もう行ってきましたけど治らないので来ました」などと軽口をたたき合ってから診察することもしばしばです。不遜(ふそん)に思われるかもしれませんが、互いの信頼関係があってこそ初めてよい医療が展開できるのではないでしょうか。

 近ころ、患者様という呼び方が医療機関でしばしば使われます。病院の玄関で患者様をホテルのポーターのような職員が出迎える風景が報道されます。確かに従来「お医者様」という呼称があり、医療は医師主導で展開されてきました。

 医療の現場でもサービスを提供するという認識を持つ必要があるということから、患者様という呼び方が始まったのでしょう。しかし、ホテルなどのサービス業と医療とはやはり根本的にその内容が違うと思います。医療の現場では、いかに良い医者・患者関係を築くかが重要で、これは表面的な呼び方で解決できる問題ではありません。

 患者さんとの長年のお付き合いの中でリハビリ科の医者は、良い関係を患者さんと構築することが可能ですが、初診の患者さんや短い診療の間にお互いを理解することは実際には大変です。しかし所詮は人問関係です。お互いを尊重し、その場に応じた態度、言葉使いをすれば良い関係が作れるのではないでしょうか。病気を治すという共通の目標に向かって良い信頼関係を作り、それぞれの役割を果たすことが一番大切なことだと思います。

 何となく患者さんの権利が強く主張される時代となっていますが、お互いに果たすべき義務があることが軽視されている感じがしてなりません。

(次回は4月15日です)


 先日、新幹線のなかでワゴンサービスからコーヒーを買って飲んだ。ウエイトレスさんが「コーヒーが新しくなりました。今はサービスにチョコレートがついております。」と、小さなチョコレートをいただいた。コーヒーの前のチョコはいい。チョコの甘さの後のコーヒーは、また苦味がまして、たまにはよいものである。

 味もカップも新しくなり、カップには飲み口が付いている。飲み口の先端をカットすると、蓋(ふた)を取らずに飲むことができる。新幹線といえども多少は揺れるし、急カーブを通過するとき、缶コーヒーなどはカップ用の凹みに入れておかないと、テーブルの上を移動する。誤って落としてしまったときなどは、大変なことになる。新幹線などの乗り物では、飲み口付の蓋は正解である。

 ところがである。確かに舌に感ずるコーヒーの味はよくなった(コーヒーをたてた時間にもよるが)ように思うが、今ひとつ美味しく感じない。すぐに答えが出た。カップに蓋がついているので、コーヒーの色が見えない、そして何よりもコーヒーの香りが伝わってこないのである。やはり口にするのは、食べ物であれ飲み物であれ、目で見て楽しみ、鼻で香りを楽しみ、そして口にはこぶことによって味を感ずるのである。視覚と嗅覚を断たれてしまったコーヒーは、やはり寂しさを禁じえない。
 でも、乗り物のなかで飲むということを考えると、蓋もやもえないし、便利に安全になったと評価したい。

 ところで30年ほど昔のことであるが、夫婦して松本清張の小説にはまり、全集を片っ端から読んだ。箱根堂ヶ島温泉のケーブルカーをトリックに使った「蒼い描点」を読んで、そのケーブルカーに乗りその宿に泊まりたく出かけた。
 ケーブルカーにも乗り温泉も楽しみ、いささか小説の世界にひたってから久しぶりの旅館での夕食である。谷間の宿だけに夕暮れも早く、お風呂からあがると部屋のテーブルには大方の料理が並んでいる。いざ食べようとするとき、停電をしたのである。すぐに仲居さんがローソクを持ってきてくれ、テーブルの真ん中に置いてくれた。たくさんのご馳走を口にしてお腹がいっぱいとなったが、あまり美味しくなかった。
 味が悪いのではない、ほとんど視覚を断たれてしまった料理は味気ないものであった。確かにローソクの灯りでその料理が何であるかは判るのだが、目からの美味しさがないところに問題がある。料理の美味しさは、目で見た美味しさ、香りを楽しむ美味しさがあってこそ、口にしての美味しさが生まれてくるのであろう。口にする前に目にすることの大切さがわかった。

 これからは、妻の作ってくれる料理も、目で充分に楽しんでから口にすることにした。お酒は、麹の香りを充分に楽しんでから口にしよう。本格的なワイングラスは、鼻がグラスのなかに入るように作られているのも納得である。
 五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)大切にしたい。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


コーヒーカップ


飲み口



 

第250回 辻説法の会

 お茶を飲みながら、法話をお聴きになりませんか!

日   時
3月16日(金) PM7:00〜8:30
会   場
西福寺(茶房「欅(けやき)」東側50メートルくらい)
講   師
書家 米倉 隆紀 師
参 加 費
無料
主   催
県東部青少年教化協議会(この会は、特定の宗派にこだわらず、ひとりでも多くの方々に仏教を伝えることを目的に活動する団体です。)
次   回
4月20日(金) 同時刻  延命寺 高橋 俊行 師

 

観音堂大祭(諸祈願)のお知らせ

 春のお彼岸に観音堂の大祭を厳修いたします。寺伝によりますと、頼朝公が三嶋大社に百日祈願の折、当願成寺を宿舎といたし、その願が成就いたしたことから「願成就寺」の寺号を賜りました故事により、諸願成就の祈願をおこないます。当日ご参加できません場合には、お札は郵送申しあげます。また、当日前年のお札等を炊きあげますのでご持参ください。当日は「餅まき」「模擬店」「野菜青空市」等を予定いたしておりますので、お誘い合わせてお出かけ下さいませ。

日   時
3月21日(春分の日) 【11時】法要、【12時】餅まき
祈 願 料
3,000円 特別祈願料 1万円
申   込
お参りの折、電話、E-mail(前日までに)

 

 


お 願 い

 今まで、お塔婆や香花等は、寺にて焼却しておりましたが、法改定により、平成14年12月1日から「野焼き」や「簡易焼却炉」によります、すべてのごみ等の焼却ができなくなりました。現在、願成寺にあります3基の焼却炉もすべて使用禁止となり、撤去いたしました。
  したがいまして、今後、墓参の折いらなくなりましたお花などのゴミにつきましては、下記のごとく、ご処理をいたしたく存じますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。


ゴミの分別

 ゴミは、次の4種類に分別してお出し下さい。

「燃えないゴミ(ビン・カン)」
市のゴミに出します
「土に返すゴミ(花・香花)」
寺にてチップにして土に返します
「土に返すゴミ(草・落ち葉)」
寺にて土に返します
「燃えるゴミ(紙・ビニール)」
市のゴミに出します

いらなくなりましたお塔婆は、寺にてチップにして土に返しますので、ゴミ箱の脇にお置き下さい。
ゴミ箱は水屋(水道)の近くに用意いたします。
飲物や食べ物は、動物が散らかしますので、お参りの後はお持ち帰り下さい。
お手数をおかけいたすことばかりでございますが、ダイオキシンをなくし、きれいな地球環境のため、切にご理解とご協力をお願い申し上げます。


 

▼ 文学講座のお誘い
 願成寺公開文学講座といたしまして、『源氏物語』を読んでおります。写本(青表紙本、新典社刊)と活字本とを対校しての講読ですが、参加者全員で声を出しての読みますので初心者の方でもご自由に参加いただけます。
 現在、「須磨」の巻に入ったところで、朧月夜との事件から都に居られなくなった光源氏が、須磨へと旅立つところです。
 ご一緒に、光源氏とともに須磨への旅を始めましょう。

開催日
 毎月 第1,3土曜日(変更あり)
開催時間
 10時〜11時30分
場所
 願成寺庫裡
費用
 無料(教科書はお求めいただきます。 1000円〜2000円)
申し込み
 電話、FAX、E-mail

※ご参加をご希望の方は、檀家、非檀家を問わず、どなたでもご参加いただけます。

 ラジオが唯一の情報源であった時代から、新聞やテレビが加わり、小学生までがパソコンや携帯電話を利用している時代となった。ひと昔前の学生の楽しみというと麻雀とお酒が定番であったが、町から雀荘が消え泥酔した学生の姿は少なくなった。これも学生たちの娯楽に選択肢が増えたからであろう。世の中はあらゆる選択肢が増え、情報のアイテムが氾濫し、多様性の時代といえよう。

 教化活動の基本としては、葬儀や年忌法要を始め、修正会、彼岸法要、施餓鬼会、十夜法要と、あらゆる法要での説法であろう。印刷技術の発達によって掲示板伝道、文書伝道ハガキ伝道がおこなわれるようになった。拙寺でも「ハガキ伝道」や「テレホン説法」の経験があり、教化活動も多様化してきたなかで、時代のニーズにあった教化活動の一つとして、「 願成寺メールマガジン 」と名付けてメールマガジンを発行することにした。

 寺院という特質から、教化の対象となるのはお年寄りという現実は否定できない。また檀信徒全体からすれば、どれほどの人が、インターネットを利用しているかと考えるとその効用ははなはだ微少と思われるが、新しい形での教化活動として実験的に発信することにした。

 インターネットによるメールマガジンの配信は、お寺に足を運ぶことの少ないあらゆる世代の皆さまに語りかけることができるであろう。また拙寺のお檀家さま以外の皆さまとも、お寺とのつながりを持たせていただく方法としては最良と考えております。

 毎月一回とは申せ、浅才なわたくしにとってはかなりの重圧となっていくであろうことは想像にかたくない。三回で中止するわけにもいかず、発信を決意するのに一年もかかった始末である。

 諸大徳の応援をお願いいたしながら、皆さまとの交流の場としていきたいと存じます。よろしくお願い申しあげます。

 天主君山現受院願成寺住職
 魚 尾 孝 久


 

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