はじめまして、原真理(しんり)と申します。昨年の12月に弟の潮音(ちょうおん)と東京の増上寺で加行を受けさせていただき、38歳で新米の浄土宗の僧侶にならせていただいたところです。縁がありまして、願成寺さんのご子息魚尾和英さんと一緒に加行を受けました。以前より知り合いでしたので、3人で頑張りましたことがよい思い出となっております。
先般、魚尾先生のご家族と再会いたしました折、願成寺のメールマガジンに「テーマは何でも良いので書いてみないか」と話がありました。私はどのように答えたらよいのか、ちょっと躊躇しました。実は私はハワイ生まれ、ハワイ育ちの日系アメリカ人です。現在、京都で美術書の翻訳家として十年近く活動していまが、教育は英語で、翻訳の仕事をしているといえども英訳なので、ほとんど日本語で文章を書いたことがないのです。そのうえ、僧侶としての修行も勉強も経験もまだまだ足りません。それでも良いのですかと魚尾先生に尋ねますと、先生は優しく何でも好きなこと書いて下さいとの話です。
まだお説法や人に役立つことは書けませんが、このような「スペース」に書くことは私にとってとても貴重な経験と勉強になると思いまして、厚かましく今回のチャレンジを引き受けることにいたしました。これを機会として、人生や自分が考えていること、仏教が自分の生活にどのように大切なのかなど文章にして、皆さまと一緒に考えていきたいと思います。まずは、下手な日本語、下手な文章で重ねてお詫びを申しますが、これから数回にわたってこのメールマガジンに参加させていただきますのでよろしくお願い申しあげます。
最初に自己紹介をさせていただきたいと思います。先ほど申しましたように、私はハワイ育ちで、現在は京都に(お寺ではなく、古い一軒家をアメリカ人の友達とシェアーして)住んでいます。京都には元々は茶の湯を勉強するために一年間の予定で来たのですが、この9月で日本在住12年になってしまいました。親と兄弟は、ハワイに住んでいます。父は40年前にハワイに渡り、マウイ島のラハイナ浄土院の開教師として勤めています。母も日本から父とハワイに来て、お寺の手伝いをしております。私は18歳までラハイナ浄土院に住み、高校卒業後、北カリフォルニアで大学と大学院修士課程を修了しておりますので、この20年間余りマウイには住んでいません。
ところで、私が僧侶となることを決心いたしましたのは、4年前の冬に里帰りした時のことです。密かに兄弟も加行を受けたい思いを持っていたと知ったのです。自分の宗教体験、そしていつか何らかのかたちで人のために役に立てればと考えでいたからです。
そこで山口県の附野薬師東山寺の叔父に師匠となっていただき、平成17年の8月から僧侶となるための第1歩であります少僧都養成講座を受講いたすことで出発をいたしました。しかし、親が僧侶であるとはいえアメリカで育った私が、日本の僧侶としての出発までには、家族、親戚、知人などどれほどの方々の応援や助けがあってこそ受講に至ることができのです。そしてそこには、「阿弥陀様のみ力」がありましたことを忘れることができませんでした。
毎日の生活に追われ、物事や健康を感謝することを忘れ、何でも当たり前のように暮らしていますが、今回の経験で当たり前のようなものが本当はそうではないことに気づくことができたのです。目に見えないものに感謝すること、人と人のつながりに感謝すること、そして自分が一人で生きているのではなく、生かされていることをつよく感じさせてくれました。これこそ阿弥陀さまの世界であり、そこには手を合わせて「南無阿弥陀仏」とお唱えいたすことが大切でありますことをつよく感じられました。
しばらくの間、願成寺メールマガジンを通しまして、皆さまとお話をさせていただきます。
原 真 理
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