5月と言えば端午の節句、子供の日ですね。この日は、アメリカでも日本の
Children's Day 或いは Boys' Dayとして知られています。古くから子供、特に男の子の成長や幸福を(3月3日の上巳の節句が女の子のように)祝い、祈りますよね。やはり、昔から子供は財産だと思われたのですね。
ところが、現代の日本の社会は、本当に子供を大切にしているかどうか疑問を感じます。子供の成長や教育ということを的確に大人や社会は考えていないように感じられるのです。「ゆとり教育」ということがキャッチ・フレーズになっていますが、本当にゆとりある教育なのでしょうか。もはや、私には子供の個性をつぶす制度のようにも見えます。
小学校までは結構レベルが高く楽しい環境のようですが、中学校や高校になると受験中心の教育となり、大学では4年間遊んでしまう現象があらわれ、「大学は入るまでが大変だけど、入ってしまえば楽だ」と、よく聞きます。私も大学で英語を教えていましたが、日本の大学生のレベルの低さというか、学生が授業や勉強に興味や関心をしめさないのに驚きました。
幸いに大学で教えていたカナダ人の友人に、「最初から厳しくルール付ければ、学生もそれにちゃんと反応する」と教わり、実行いたしますと、授業中に居眠りをしたり、携帯でメールしたりする学生もなく、本来の大学の授業ができました。
アメリカの教育が一番とは全く思っていませんが、大学生が授業中に居眠りや携帯をすることは基本的にマナー違反で、聞いたことがありません。日本の学生は、どうしてそんな基本的なことができないのでしょうか。
やはり教育のどこかに過ちがあるからだと思います。学生が悪いのではなく、制度がいけないのです。私の子供の頃は、高校までは本当によく遊びました。もちろん、数学、化学、英語、歴史などは学校で学びしましたが、学校以外の時間は殆ど勉強ではなく、遊ぶ時間が多かったのです。子供は遊ぶことで成長する、遊ぶことで人生や社会のことを覚えます。
大学に入って成人になった頃に、勉強を一番頑張ればよいのではありませんか?日本は、中学や高校で必死に勉強させ、一番頭の回転がピークの年齢のときに四年間居眠りし、遊ぶばかりとはどうなんでしょう?
最近の子供はちゃんと遊ばず、幼い時から勉強やプレッシャーを押し付けられ、これでは若者がある年齢になると親と会話しなくなるのは無理ないことでしょう。
子供を大事にするとは、教育から始まるのではないでしょうか?そしてその教育は家から始まるのではないでしょうか?親は子供を大切にし、子供のために時間を作り、子供は親を尊敬し、お互い家族らしく、人間らしく生きて行くことが大事ではないでしょうか?
家庭の中では、朝は「おはようございます」、出かける時は「いってらっしゃい」、帰った時は「ただいま」、食事を食べる時は合掌し「いただきます」、夜寝る前はお念仏して、「おやすみなさい」と口にすることが基本であり、とても大事なことだと思います。
原 真 理
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