一ヶ月はあっと言う間にたってしまうのですね。子供のころは暇で暇で時間が余っていたのに、どうして年を取るとともに時間に余裕がなくなるのでしょうか。
何年か前のことですが、ある博物館の前館長さんが人生を川に喩えました。年取るとだんだん川が瀧のように早くなり、最近は大洪水になっているというのです。私もその洪水に巻き込まれたように、時間が大河のようにスピードアップしてしまい、子供の時の暇の時間が欲しいと思います。コンピューターや様々な器械の普及で今までより時間を有効に使えることが可能になり、もっと色々なことをしようとするために忙しくなるのか、時間が早く動く感じになる錯覚なのでしょうか。子供のころや祖母の姿を思い出すと、ゆとりがあるように感じました。
今は何でも早くて便利であることは、本当に人間の心にとってよいことなのか考えてしまいます。最近、LOHASやスローライフなどのキャッチ・フレーズで流行になっていますが、私にはよく分かりません。忙しい人にインスタントなリラックスを作ろうと、ヨガやアロマ・セラピーも流行していますが、これはまたマーケティング作戦でコンビニのように便利そうで、どこか基本的に間違っていると思われてなりません。私も急いでいると時などコンビニを利用したり、ヨガやアロマ・セラピーも嫌いな訳ではありません。実はヨガは7年前からはまっており、体と心には最高なものだと思っています。ただ、便利や流行だからはまったり、無意識で機械的に行動したり、instant
gratification (直ぐに満足感)を要求するのではなく、もっと人間らしく行動するのが大切ではないでしょうか?
「人間らしく」と言うことは、もっと自分らしく、素直に、正直に生きて行くことです。そしてたまには、ものごとに疑問を感じたり、「これはおかしい間違っている」と思うことには、自分の意見を発言することではないでしょうか?一方的に自分の意見を通すのではなく、相手の意見も聞き、考えながら会話をしていくことが人間らしさだと思います。一見、当たり前のようですが、現代の社会では忘れられているように感じられます。
近頃、あまりにも人と人の間に、十分な会話がないと思います。コンピューターやゲームの世界に入ってしまっている若者が増え、私自身も翻訳の仕事が忙しくなると時にはお昼はコンピューターの前で食べたりしてしまいますが、人間と対応するより器械と過ごす時間が多くなることがあります。やはり、これはおかしい。切羽詰っても、やはり友達や同僚と一緒に食事をとるべきでしょう。
やはり「人間らしく生きる」とは、家庭の中から始まることだと思います。親子との挨拶や会話が基本です。、社会が器械化や便利なることで色々と社会問題などが起こりますが、人間である我々が対処できることなので、一人一人が責任を持たなければならないと思います。
手を合わせて、お念仏を唱えることもまた「人間らしく生きる」ことです。希望や夢を持つことが大切なのです。前向きにお互い励まし合うこと、阿弥陀様に励ましてもらうことが「人間らしく生きる」ことだと思われてなりません。
写真:5歳くらいの私、自然の中で伸び伸び育てられました。とてもやんちゃでした。
原 真 理
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